我輩は下戸である

  
 私は酒も飲まなければ煙草も喫まなければ賭け事もやらなければ女遊びもしない。
 「それで人生楽しいの?」とか言われるわけだが、酒飲んで煙草吸ってギャンブルに金をつぎ込んで風俗行ったら、人生が楽しくなるということは、私にとっては、ない。
  
 酒は体質的に向いていない。
 しかし私は、飲み会というのは、限定的に嫌いではない。
 あからさまな上下関係がない場合。そして、人数が七人以下の場合だ。
  
 私は酒が飲めないにもかかわらず、酒が入っていないと言えないようなことをいうデリカシーを持っている。
 だから飲み会に過度なハイテンションがなければ、楽しめないことはない。
 しかし下戸にとって、ある程度楽しめるようにするにはしておかなくてはならない作業があって、それは参加者に「私は飲めない」というのを知らしめておかなくてはならない。
 最近は、飲めないという人間に、無理に勧めるというノリはかなり減っていて、これは非常に有難い風潮で助かっているのだが、未だにDQNは存在する。
  
 私が酒を飲めないというのが、どの程度のものかというと、ビールを200mlで生命の危険に至る。
 友達の結婚式の二次会で、お冷に使うような小さいコップに、ビールを一杯と半分飲んだ日、吐きに行ったトイレで、瞳孔が閉じていくのか、視界が徐々に狭くなっていき、覗き穴から覗いているように、真正面の真ん中だけしか見られないという症状になった。
 あー、これはちょっとやばいな、生命の危機かも、と思い、みんなのいる部屋に戻って、動かないようにして回復を待った。
 しっかり完全には回復はしないままながら、なんとか家に帰り、翌日には普通に戻ったわけだが、一切酒を飲まないようにしたほうがいいなと心に決めた。
 なにしろ、飲んだところで、つまらなくなるだけなのだから、飲む意味がない。
  
 ところが、DQNというのはいるもので、安田という酒癖が悪い先輩と飲みに行かなくてはならない時があった。私とは直接業務上の関係はないのだが、先輩は先輩だ。
 通称「ヤッサン」と呼ばれる、典型的な酒癖が悪いタイプで、酒を飲むと他人に絡む。絡み上戸だ。
 で、私はそのヤッサンとは一番離れたところにいて、とどこおりなく飲み会は始まった。
 が、進んでいくとヤッサンが出来上がって、私に「飲め飲め」というパターンから入り、「飲めないんで」と断ると、「なんだ俺の酒が飲めないのか」という古典パターン。
 「誰の酒でも飲めないんです。体質的に飲めないんです」と断っても「だめだ、俺の酒は死んでも飲ませる」という最悪パターンですわ。
 「このビルの屋上から飛び降りるか、このビールを飲むか、どっちか選べ」とか言い出して、さすがに回りも止めに入ったんですが、この人が一番先輩であったし、DQNですから周りの言うことを聞きもしないわけですよ。
 「俺は酒の上での無礼なら我慢するが、こいつは酒も飲まず、酔ってもないのに、素面で俺を反抗的な目で見ている。それが許せん」とか言ってるわけです。
 で、周りも困ってしまい、しかもまわりも、いくらなんでも私が、コップ一杯のビールすら飲めないとは思っていないので、「とりあえずここは一杯だけでも飲んどけよ」的な空気になるわけです。
 飲み会は険悪な雰囲気になり、もう「お前が飲んでくれれば、これで無事に帰れるんだから」的な空気が流れます。
 凄まじいまでの同調圧力に、私はそのコップ一杯のビールを一気に飲みました。
 するとヤッサンは「よし、もう一杯」とか言い出したのですが、周りが「よし飲んだ、さあ帰りましょう」とお開きに持って行き、ヤッサンは私に悪態をつきながらも納得し、帰ることになりました。
  
 地下鉄に乗るためにぞろぞろと階段を降りるとき、またヤッサンが絡んできました。
 「今度はお前、俺が『良い』と言うまで飲ませてやるからな」
 とりあえず私は「あははははははは」と酔っ払ったような笑い方で大笑いすると、ヤッサンの背中をドンと押しました。
 ヤッサンは地下鉄の階段を転がり落ちました。その様を私はまた酔った笑いで「あははははははは」と指をさして笑いました。
 押したといっても、階段の途中で十数段のところですから、残念ながら死にはしないわけで、ヤッサンは「いててててて」とか言いながら千鳥足で起き上がっています。
 それを見てまた私は「あははははははは」と笑いました。そしてヤッサンの背中をなでながら「大丈夫? あはははははは」とまた笑いました。
 その後、それぞれの家の方面へ、地下鉄に乗って帰りました。
  
 翌日、そのヤッサンの課の友達から内線電話がかかってきました。
 「ヤッサン、太腿が痛いとか言ってすごい怒ってるぞ」
 「なんで? なんかあったの?」
 「え? 覚えてないの?」
 「なにを?」
 「瀧澤さん、ヤッサンを階段から突き落としたじゃん」
 「まさか」
 「本当に覚えてないの? まわりすげー凍ってたじゃん」
 「え? どこで? いつのことだよ?」
 「マヂかよ。こえーなー」
 これ以来、ヤッサンに絡まれることはなくなり、ずっとかなり嫌われてはいたようですが、飲み会では腫れ物に触る扱いで済むようになりました。ヤッサンその後しばらくして転職したので関係なくなりましたが。
  
 それ以来、飲み会の前には「私、ビールを一杯飲んだだけなのに、全く記憶をなくして、階段から人を突き落としたらしく、絶対に酒は飲まないって心に決めてるんですよ」という話をするようになった。
 「私は体質的に酒は合わないから、ビール一杯でも身体に異変が出て危険だから飲まない」と言っても、「でもちょっとは飲めるんでしょ?」と言って勧めようとする奴はいますが、上の話をすると、今のところ、まず勧めてくる奴はいません。
  
 酒の席でのコミュから見た非コミュ
 こんなマッチョな記事が話題になっていたらしいですね。書いている花見川さんという人は、女性にも男性にも等しく優しい、同じだけ愛情を持って接する人らしい。
  
 酒を飲めない人間はね、人を階段から落としたり、いろいろと苦労があるんですよ。っま、落とした記憶はないんですけどね。