あなたの尊敬する人は誰ですか?

  
 私は自分がほとんど本を読まない人なのに、本をよく読む人が好きだったりします。女性は特にですが、男であっても同じです。
 本なんて、ただでさえ読まないのに、読んだ本が外れだったら目も当てられないので、本をよく読んでいそうな人に「お薦めの本って何?」とか聞いてしまいます。
 これがこうじて、どんな相手に対しても会話に困ると「どういう本を読むの?」と聞いてしまうクセがついた時期がありました。
 これ、けっこう罠が潜んでいます。
  
 「私は、あのね、知ってるかな? 『太陽の法』ってあるんだけど」
 「えーーーーーーっ!?」
 時遅しです。エルカンターレ。七次元。それはたぶん菅原洋一も知りたくなかったと思う。
  
  
 私の高校入試の際、私は品行包茎で真面目な生徒だったので、学校推薦入試という特待生枠に、中学校から一名だけ推薦してもらえるという特別枠の入試で受験しました。
 主要五科目と面接と小論文の試験があり、テストと小論文は完璧だったのですが、面接は緊張しまくりで、非常に困った記憶があります。
 その面接の設問の中で、明らかに流れが変わった瞬間がありました。

 「では、あなたの尊敬する人は誰ですか?」
 私は思いっきり戸惑って、そして「菅原道真です」と答えました。洋一ではありません。
 「えー? どうして?」
 面接員、無茶苦茶、喰いついて来ています。確かに我ながら「どうして?」なのですが、私は理由を聞かれると思っていなかったのでしどろもどろです。
 「藤原氏全盛の時代に、菅原道真は学業で身を立て、九州に左遷されてからも、地元の民衆に慕われ……」
 「いや、そうじゃなくて、なんで両親じゃないの?
 「はい? えっ?」
  
 わけがわかりません。面接員、乗り出してきています。思いっきり圧倒されてます。
 「あ、いや、両親とは仲が良く、よく知っているので、尊敬というよりも、敬愛の親しみの方が大きいという感じですね」
 「ふ〜ん。へー。なるほどね。ふーん」
 この一言で私、不合格になっちゃうんでしょうか? という勢いでした。
  
 面接が終わった後、他の学校から受験に来ていた生徒たちに話をすると、その生徒たちも不思議そうに言いました。
 「学校で、面接の授業受けてこなかったの?」
 「なにそれ?」
 「面接で聞かれそうなことを、先生が聞いてくるから、それに答える練習。想定問答集とか貰ってないの?」
 「全くない」
  
 私の中学校がどうしようもない莫迦だったというわけですが、その生徒たちの話も馬鹿馬鹿しい話です。
 「尊敬する人を聞かれたら『両親』と答えるように言われたよ」
 そういうもんなのね。
 私は予定調和の中の、不調和だったわけか。
  
 確かに、この「両親」という答えは秀逸です。
 何しろ理由を問えない。問うたとしても意味が無い。
 「なんで両親を尊敬しているんですか?」
 「一所懸命に働いて僕を育ててくれました」
 「君を育てることが尊敬に値することなの?」
 これでは両親も本人も侮辱していることになります。
  
 しかも、なまじ有名人を尊敬している人に上げると、その人の知識を問われることになります。これは危険です。
  
 私には、とても大好きな女性がいました。偏差値70の女性で、優しくて可愛い、この人と結婚できないなら一生独身童貞でいいや、などと思っていた女性でした。まさかのその通りになりそうな勢いです。
 ともあれ、生まれて初めて心の底から愛した女性でした。
 その人と話をしているとき、テレビ画面に、南アフリカの元大統領であるネルソン・マンデラが映りました。その女性は言いました。
 「私、この人をすごく尊敬してるの」
 「へー。そうなんだ。なんで?」
 「えっ? う〜ん、黒人だから」
 私は二日ほど寝込みました。このとき以来、偏差値は必ずしも当てにならないと確信しました。
  
  
 会社の面接で「座右の書はなんですか?」と聞かれたときにも思ったんですが、この手の質問って、思想調査にも引っかかりそうです。
 「あなたの尊敬する人は誰ですか?」
 「わたくしはっ、乃木マレスケ大将であります!」
 「お前、右翼だろ」
 とか
 「あなたの座右の書はなんですか?」
 「はい。『共産党宣言』です」
 「お前、アカか」
 とか、普通に起こりえるわけです。
 最初の「太陽の法」にしても「人間革命」にしても、まぁ、わかってしまいますわな。
  
 その点においても、尊敬する人で「両親」と答えるのは安全です。
 「あなたの尊敬する人は誰ですか?」
 「両親です」
 「お前、儒教徒か」
 まず有り得ません。
  
 座右の書は何がいいんでしょうね?
 「広辞苑」とか答えると変態っぽいし。なんと答えるのが一番スマートなんだろう?