童貞をこじらせてしまった人のための正しい身のふり方

  
 ということで、童貞は生涯関わりのない人を好きになって一生を終えるのが一番望ましいと書いたわけですが、ところが童貞というのは、かなり惚れやすく出来ています。困った仕様です。
 童貞が誰かに惚れてしまった場合、どうしたら良いかというと、諦めることです。というのも、童貞は意外に舐めてるからです。他に手段がないとは言え、その場だけでも懸命に頑張れば何とかなるんじゃないか、などという根拠のない希望に縋るのです。
 例えば格闘技とか、サッカーとか、全くの素人が試合の時だけ懸命に頑張ったからといって、急に活躍できてしまうのはマンガだけです。童貞はどこかで舐めていて、マンガのような展開を夢見ています。
 童貞も、確かにイメージトレーニングは繰り返ししています。が、水に触れずにクロールのイメージトレーニングを繰り返したところで、実戦で水に入ったりするならば、溺れてしまうものなのです。イメージトレーニングも大切ですが、それはあくまでも、実際に水の中での練習の補助として意味を持つものです。
 私は別に、童貞は全て女性に対しての実戦的練習をせよと奨めているのではありません。何度も言いますが、童貞は生涯関わりのない人を好きになって一生を終えるのが一番望ましいのです。ただそれならば、惚れてしまったときにもすっぱり諦めること。諦めきれないほど惚れてしまう可能性があるならば、水に馴れておく必要がある、ということです。
  
 私は高校の三年間、男子校に通っていました。そこで、女性の居ない生活というのを満喫していました。異性の目がないと、とにかく楽でした。異性の目を気にしなくていいからです。童貞は自意識過剰で疲れるのです。他の学校の女子、とかは面倒臭いので、無理に紹介された数人を除いて、ほとんど交流を持ちませんでした。
 三年間、異性のない世界で甘やかされてきて、いざ大学で異性の目に晒されたとき、もう「面倒臭い」のです。とにかく距離を置こうと考えてました。
 面倒臭いにもかかわらず、何を好んでか話しかけに来る女性とかも居るわけですよ。そうなると面倒臭いものだから、相手の嫌がるような失礼な話題とかを言ったりして、遠ざけようとするのです。
 しかも、自分は女性と離れた場所にいながら、女性たちが話をしている内容とかを「なんかレベルの低い話をしてるなぁ」なんて思うわけです。
  
 これは完全に自己防衛によるものです。
 三年間の隔離生活で免疫がないので、自分が受け入れられる自信が全くないのです。それ故に「自分は入りたくないのだ」というエクスキューズを先に提示するのです。受け入れられないのではなくて、自分が入らないのだ、と。
 そして、会話を無難に楽しめるかどうかもわからないので、最初から敵意や悪意のあるような話題を振ることで、相手を会話で喜ばせられなくても仕方がないことなのだ、というエクスキューズを用意します。また嫌われてもいいんだよ、という捨て身の姿勢は、会話をするのが格別に楽なのです。さらに、自分が会話を楽しむことが出来ないのを、相手のレベルが低いからだと責任転嫁します。まぁ、確かにつまんないんだ。
 この自己防御は、惚れた女性が出来たときにかなり厄介です。
 まず、惚れた女性がこちらに敵意を持っています。しかし童貞は莫迦なので、その惚れた女性にだけ真摯に口説けば何とかなるんじゃないか、なんていう甘い観測を立てていますが、それが大きな誤りなのです。非モテのくせに舐めてるんですよ。熱意と純真さで何とかなると思ってる。非モテなのに。
 その惚れた女性の周囲の女性も、みんなこちらに敵意を持っているのです。周囲に反対されてもこちらに付き合ってくれる女性なんて、童貞にとっては夢のまた夢です。無理です。完全に後の祭り状態になっています。
 しかし童貞というのは、惚れた相手にだけ丁寧に接して、自分がどうでもいいと思った女性には、本当にどうでもいいという対応を取ります。本当に何にもわかっていない莫迦です。これではどうにもなりません。
 健常者には物凄く当たり前のことなのですが、全ての女性に対して嫌悪感を持たせないような接し方が普段から必要になります。どこに「惚れる」ような罠が隠されているかなど誰にもわからないからです。惚れてからでは遅いのです。
 そもそも、敵意や悪意のあるような話題を振ることで、反感を買うことには何の利益もありません。しかし童貞には、この「楽」というのが、麻薬に溺れたジャンキーのように骨身に染み付いてしまっています。キン骨マン
 これは童貞にとっては非常に大変なことです。だけれども、これが嫌ならば、目を閉じて耳を塞いで口を噤んで、生涯自分とは関わりのない人を好きになって一生を終えるしかないわけです。
  
 童貞は、どうでもいいと思っている女性に対して、好意的な会話をすること自体に「媚びている」とか「インチキ臭い」とか感じて避けようとする傾向もあったりします。これもまた防御反応のひとつです。
 童貞は、非童貞も「俺ってインチキ臭いなぁ」と思いつつ女性と会話をしたり優しく振舞っていたりすることを知らない。非童貞も自分で「インチキ臭い」と思ってるんですよ。
 しかし童貞は、インチキ臭く媚びて自分を売った、などと自分を否定します。次に、もし媚びた相手にまで拒絶された場合、媚びたのに俺は拒絶された、と、他人にも否定されます。童貞はそれを恐れるのです。これで拒絶されたら、もう自分にはのびしろがなにもない、という。どうやっても拒絶されるのだという事実が怖いのです。
 これはファッションについても同じような傾向があります。
 まずファッションに関心を持ち、気を使うことが面倒臭いです。さらに、人気のある服を着ているにもかかわらず、それでもモテないときのことを怯えます。これでダメならもう自分にはのびしろがなにもない、と。
 つまりは、敢えて不完全にしておくことで、自分がモテない原因を、その「不完全である」ことに出来るという逃げ道を残しておきたいのです。
 惚れた相手が出来てから慌てて着てみたところで、着慣れていない不自然さと、靴にそれが出てしまいます。なにしろ私はスニーカーしか持っていませんから。だからダメなんだよ。
  
 どんな異性に対してでさえ、興味があろうがなかろうが、好意的な会話をするのは原則です。当たり前ですね。悪意のある会話を好んでする意味がありません。ところがしたくなる。でも我慢する。
 しかし人生どこに罠が潜んでいるかはわかりません。
 余りに媚びたようなインチキ臭いお世辞ばかり言っていては、底が浅いですし、見透かされたりします。だから適度に冗談っぽくバランスを取ることもアリなのです。
 が、童貞や非モテというのは、バランサーが壊れています。しかも途中でヤケクソになりやすい。こんな童貞に「空気を読め」という無茶な助言をしても意味はありません。もっと応用の利かない画一的なアドバイスのほうがいいでしょう。
 「褒めるのと貶すのの収支は、瞬間的にでも貶すほうが多くなってはいけません」
 「貶す量の二倍から三倍は褒めておきましょう」
 私自身が童貞ですから、これ以上のことは知りません。
  
 童貞は褒めなれていないから、どう褒めたらいいのかというのが分かりません。キザな褒め言葉なんて、馴れてないんだから使わないほうがいいです。素朴に行きましょう。
 服を褒めましょう。顔を褒めたくないなら服を褒めろ。簡単です。「いいね、似合うじゃん」これです。反応が良ければ「可愛いよね」ぐらいつけましょう。わざわざ嫌いな服を着る人はいないですから、服を褒めておけばいいんです。おめかししてそうなときなどは、もはや褒めるのは義務と言っても過言ではありません。貶すなんて以ての外です。
 だがしかし、まれに反応が悪いときもあります。そんなときには「いや、着こなしてるからさ」とか言っておけば問題ありません。それでもよくわからなかったら「いいよね」とか言っておけばいいんです。
 作業着とかを嫌々ながら着ている人に言っても、ギャグとしてそれなりに通用しますから、この「いいね、似合うじゃん」で服を褒めておけば無難です。
 あとは、化粧やアクセサリーを褒めると、それを落としたり外したりするときに思い出してもらえる、などの応用技もあります。
  
 褒めるというのは、どうやったところでインチキ臭いです。自分がどれだけインチキ臭いかを自分で笑いながら褒めるしかありません。嫌になるほどインチキ臭いわけですよ。
 それで相手が喜ぶならいいじゃないか。そう思うよりありません。
 それが嫌ならモテようと思わないほうがいいです。思っても悲しくなるだけです。
  
 しつこいようですが誤解のないように繰り返し言っておきますと、私は、童貞や非モテに、上のような努力をせよ、と言っているのではありません。
 どうしようもなく惚れてしまった場合、その人と恋愛関係になりたいと考えてしまうような、その程度の軟弱な、童貞の風上にも置けないような弱輩者は、苦しかろうが日頃から努力するか、惚れた相手をミスミス逃して泣けばいい。
 誇り貴き童貞であるならば、生涯関わりのない人を好きになって一生を終えるのが一番望ましいのです。それが出来ないようであれば、さっさと努力でもして、非童貞に成り下がればいいのです。
 
 勝負から降りるのならば、きちんと身を引く。中途半端が一番始末が悪いのです。