「見返りを求めない無償の愛」を求める童貞

  
 昨日からの続きです。 「心的童貞」であるスマイリーキン骨さんについて。
  
 非モテの童貞というのは莫迦なまでに夢見がちですから、恋愛というものに対して歪んだ崇高な理念を見ています。
 「見返り」というものを求める恋愛は、そんなものは偽物で、本物じゃないんだ、ってな感じに思っています。
 これだけ愛しているからこれだけ愛して欲しい。何かしてあげるから何をしてくれるのか? こんな「見返り」や「ギヴ&テイク」を潔癖に嫌ったりします。女は肉体を差し出すことにより、男からプレゼントを欲しがったり、車の送り迎えなどの労力を期待したり、そのような要求をもとなうような愛は本物ではない、などと考えます。
 さらに童貞は、モテ男が女性にマメに気を使っている姿を見て「媚びやがって」「金かけてるんじゃん」とか負け惜しみをしているものですから、男のほうから女性に優しくすることに嘘臭さを感じて嫌悪します。俺は見返りが欲しくて優しくしているように思われるのが嫌だから、媚びたりプレゼントをあげたり好意をみせつけたりはしないぞ、なんて。
 「男はやっぱりマメさなのかね?」「やっぱり女ってそうなのかな?」 これは「なんだよ、やっぱりお前も見返りを求めるのか?」というシーザーの叫びに等しいです。
 するとどうでしょう?
 相手に対しては、見返りを求めない無償の愛を与えてくれることを望み、自分は、男が女性に優しくして歓心を買うことは売春と変わらない、などと拒否します。こんなんエクスキューズですよ。優しくするというコミュニケーションは気を使うから苦痛でやりたくないだけです。面倒臭い、と。
 モテ男は、モテるために努力を惜しんでいないわけですよ。金も手間もかけてる。それを「媚びてるだけだ」「金で買う売春と変わらない」とか思って下に見ている。「努力をしない素の状態の自分を愛してもらうことが本当の愛だ」とか思ってるんだよね。人間の素の状態なんて、みんな同じ「赤ん坊」ですわ。
 見返りを求めない無償の愛だけを本物の愛だとしながら、自分は面倒臭い。
 もはやそこにはエロスの関係はありません。一方的に相手からの無償の愛を望む、アガペーを求めているのです。
 無償にして無限の愛。地上界においてそれは何かというと「母親から子供への愛」が近いでしょう。
  
 「無償の愛=母親から子供への愛」に似た愛を「努力をしない素の状態の自分=赤ん坊」に与えて欲しいと願っている。もちろん、関係性はエロスではなくても、肉欲はあるわけですから、セックスはしたい。
 つまりは「セックスできる母親」を望んでいるだけですわ。「甘えさせてね、お母さん。で、セックスもさせてね」 モテるわけがありませんわな。女性像が幼稚なんです。だってなにしろ女性は母親以外をよく知らないんだから。
  
 童貞でいると、すぐに至る境地が「別に恋人が欲しいわけじゃない。好きな人ができたらできただけど、恋人はいなくていい」というものです。「出会い? 別に求めてないよ」というね。
 私は童貞として、これは極めて正しい姿勢であると思いますし、むしろ「恋人が欲しい」と思っている姿の方が異常に思えるぐらいです。だから、合コンに出ないというのは全く問題ないわけです。まぁ、出たことないしね。
 童貞とは、異性を意識しすぎる哀れな生き物なのですよ。自意識も過剰で、女性に対して構えてしまうのです。恋人なんか必要ないし、異性は気疲れするし、面倒臭いし。
 異性との関係性に対しては「この人は会社という給与体系の契約があるから私と接してくれる」とか、なんらかの外的な利害関係があるから関係性の維持が保証されている状態でない限り、コミュニケーションが取れないのです。
  
 童貞をこじらせてしまうと、恋人ができたときのコミュニケーションが成立させられないほど、コミュニケーション能力が壊滅させられています。
 コミュニケーションを放棄するというのは非常に楽です。この「楽」というのが、麻薬に溺れたジャンキーのように骨身に染み付いてしまっています。外的保証がない異性との関係は、拒絶されるかもしれないという恐怖から、コミュニケーションを取ること自体が苦痛になります。
 気を使わなくてはいけないというプレッシャーだけで、既に自分の器量を越えてしまうほど、楽に馴れた器は小さくなってしまいます。異性とのコミュニケーション、恋愛においての廃人と化します。コミュニケーションとしての恋愛から下りてしまって、一回は完全に脱落している恋愛廃人です。 
 これ、一度でも廃人になってしまうと、この毒素を抜くのは極めて困難です。恋愛的コミュニケーションからのドロップアウトって、やっぱり楽だもん。その楽さを一度覚えたら、なかなか手放すのは大変だ。まさしく麻薬のジャンキーと一緒です。社会復帰を果たすには要介護状態で長期のリハビリが必要になります。
  
 ところが、この血の出るようなリハビリに、政府の補助も出なければ、家族の支えも期待できません。唯一可能性があるのは「男友達」だけですが、多くの童貞は、親身な男友達だって多くない。
 ここに「水商売」という処方箋を出す人もいますが、水商売は金銭という外的保障があるため、プラシーボ効果程度の期待しか出来ないのです。
 そもそも、なんで女の子と話をするという苦痛を味わった上に、金まで払わなきゃならないんだよ。気を使うし疲れるし内心で莫迦にされた上に金まで取られて大して役になんか立たないんだよ。話のレベルだって低いしな。
  
 彼女は血反吐を吐くようにしてこう言いました。
 「せめてギャルゲでもエロゲででもいいからコミュニケーションを学んで欲しい」
 普通は逆です。ギャルゲの感覚をリアルなコミュニケーションに投影して怒られたり笑われる人は数多あれども、ギャルゲでいいから学んで欲しいとまで言わしめる。恐るべし。
 さらに付け加えました。「でもギャルゲもエロゲもやってるはずなんだけどな」
 やってるんですよ。間違いなくね。そーゆーの好きな人らしいんですわ。
 トラックバックをいただいたエロゲのシナリオライターそのだまさきさんから面白い指摘をいただきました。
 エロゲは基本的にそこ(交際に持ち込めた時点)をゴールにしてるな。
 なんだ、なんてことはない、ギャルゲから学んだコミュニケーションがそれだったんじゃないか。
 「学ぶのはそこじゃなくてさ。どんなギャルゲだってね、晴れ着の写真を見せられたらさ、褒める以外の選択肢を選ぶと爆弾が破裂するでしょ?」
  
 ライフカードのCMを思い出してください。あのコマーシャル、人生の選択の場面で「どうする、俺?」と悩むわけですよ。そして、手持ちのカードの中から選択肢を選ぶわけです。分岐フラグ立っちゃってます。
 しかしですね。あれはオダギリジョーが空気を読めるからなんですよ。
 廃人にまで陥った非モテ童貞は、フラグが見えていないんですよ。だって旗なんかどこにもないもん。カードも持ってないし。普通にスルーしてるから「どうする?」も何も、ここって何か決めなきゃいけなかったところなの? って感じですよ。ちゃんと選択肢があるならば、いったんそこで時間を止めて、選択肢を全て提示してくださいよ。そしたら一番良さげな選択をしてみせますから。
 分岐点なら分岐点で誰か出てきて分岐点だと教えてくれないと、スルーしちゃうでしょ。そういうのがないままに、そこで何も選択しなかったからって死亡フラグが立っちゃうなんて、そんな酷いギャルゲなんて聞いたことないよ。
  
 これはさ、うっかりひょっこり現代社会の恋愛市場に顔を出しちゃったのが間違いだったんだよ。
 もうさ、分岐フラグも死亡フラグも立たない、穏やかな童貞の世界でゆっくり余生を過ごそうぜ。