「女子力」の弱い女とケチな男

  
 昨日からの男どもは一体どうしたら満足するのか?に対するレスポンスのレスポンスです。
  
 さて、私は女性からしてみたら、特に奢られ慣れていない女性からしてみたら、非常に居心地の悪い時間だ。(中略)奢られ慣れていない女性にはつくづく面倒臭い話である。と書きました。
 奢られることに馴れた女性、いわゆる「女子力の高い」女性というのは、私は特にそれほど問題とはしていないわけです。奢られることに馴れていて満足していて、いつも通りに奢られれば良いわけですから。私が言っているのは「奢られ慣れていない女性」つまりは「女子力の弱い女性」についてです。
 確かに女子力の高い女性の行動としては、会計時にトイレに行くというのも賢くスマートな行動であるといえるでしょう。しかしそれでも女子力の弱い女性にとっては「会計時にトイレに行くのは失礼ではないか?」とか心配になるわけです。実際に男同士では「いつも男が払うことになる」とか文句を言ったりもするわけですよ。
  
 金を払うほうが払うつってんだから素直に好意を受ければ良いという考え方が、男どもの根底に流れているような気がします。
 奢られ慣れていない女性にとっては、奢られる金銭的な利益よりも、奢られることへの心的負担の方が大きい可能性があるということを完全に無視しています。
 Say::So?というサイトのb_say_soさんは、このような経験をしたそうです。ただ、b_say_soさんが奢られ慣れているか慣れていないのかは私は知りませんし、件の飲み会は割り勘だったようです。
 フェミニズムなども含めて、男性が金を払うのが当然であるという風潮を愉快な状況ではないと思っている女性は少なからずいるわけです。
 そういう奢られることに抵抗や嫌悪を持つ女性に対して、「気持ちよくすかっと奢られるには、会計時にそれとなく席を外して、後で払う姿勢を見せて、断られたらニコッとお礼」という処方箋を提示しても、男どもが「男ばっかり払わせられる」などと思っているのであれば、やはりそれは負担になるのです。後で男同士でみみっちいことを言うぐらいなら、見栄を張ろうとするなよ。
  
 男が「いつも男が払うことになる」とか不満を陰で言う以上は、男にとっても奢られ慣れていない女性にとっても、男が満足する振る舞いなどというのは最初から存在していないのではないか?
 男は下心という見返りに応えない限り、あるいは応えてすら、支払ったことに対する優越を誇示しかねない。勝手に見栄を張っておいて。
 奢る男が不満をいい、奢られ慣れていない女性が面倒臭がり、奢られることに嫌悪を持つ女性もいる。これ、誰が望んでいるの? という話です。
 ことはこれ、奢られ慣れている女が喜んでいるだけなのですよ。
 男も、一部の金持ちは奢ることを楽しんでいるかもしれませんが、ケチな男にとって見れば、奢りたくないというか割り勘で良いなら割り勘にしたい男性にとっても、奢らないとケチと思われるのが嫌で、仕方がなく払うケースも決して少なくありません。というか、多いよ。
  
 つまりは、奢られることに慣れている女子力の強い女と、金があって奢りたがる男の作り上げる、強者による支配により、女子力の弱い女や男性に奢られることを潔しとしない女性やケチな男などの、弱者が虐げられているという構図なのです。
 恋愛至上主義や親密性パラダイムの一人勝ちのおかげで、恋愛結婚が当たり前になった時代の中で、見合い結婚や結婚相談所経由がなんとなく肩身が狭くなったのと同じ構図です。非モテ童貞という弱者が虐げられているのと同じです。
 これは、ブックマークでjunkMAさんが書かれているように「いじめ問題と同じように『“奢ろうと見栄を張ろうとする男”ほどかっこ悪い』というイメージを垂れ流せば……!」ということも言えるでしょう。前園さんの言うとおりです。
 奢られることに慣れている女子力の強い女と、金があって奢りたがる男の作り上げる、強者による支配により、奢らない男はケチで、男失格みたいなレッテルを貼られていることが問題の根本です。
 二人で飯を食べに行って、割り勘にして自分の分はちゃんと払っているにもかかわらず、それでも「ケチ」呼ばわりされてしまう社会なんて、金のない男にとってもいい迷惑ですよ。
  
 とはいっても、結局は男の方が抜け駆けしようと思うんだよな。
 見栄を張って抜け駆けしようとする。それで後になってから「男ばっかり払わせられる」なんて愚痴ってたら世話ないわな。
 もう、男が払うのやめよ?