優先席
道徳というかモラルというか、そういう意識はあまりないのだけれども、私は妊婦とかもしくは嬰児を抱いた母親や、あるいは老人が電車に乗ってきて座れないとき、私が座っていたならば席を立って、その人が座れるようにする。
これは親切云々というよりは、その人のことを気にしながら座っているよりは、立っていたほうが手っ取り早く楽だとか、身体も鍛えられるし悪い話じゃないといった、妙な損得勘定の結果として席を立ちます。
まぁ世間ではこれを「席を譲る」というわけですが、席を譲るというのは親切になってしまうわけで、私は親切がしたいわけではないのです。
というのも、席を譲りました、向こうから「あら、すみません。よろしいですか」「ええ、どうぞ」「ありがとうございます」といった、こんなやり取りを人前でするぐらいなら、無視して座っていたほうがマシだと損得勘定するからです。
なので、あたかも自分は席を譲るためではなく、個人的事由により席を立ったというスタイルをとります。
ただ、妊婦や乳飲み子を抱いた母親などには、多少なら離れていても座らせてあげたいと思うので、その場合は止むを得ず、他の誰かが座らぬようにその人を座らせるべく、アイコンタクトのみで席を受け渡し、一言お礼を言われている隙に、その場を早々に退散します。老人であればそこまでしません。
こういう人はけっこう多いんじゃないかと思うのですが、そうでもないのですかね。
老人が、階段やエスカレーターで、歩行補助のための手押し車で困っていたりすると、声をかけて階段やエスカレーターの先まで持って行ったりもします。
これも、気がついてもやらなかったということの居心地の悪さや、後味の悪さを避けるための知恵であって、主観的には親切からは程遠い行為です。やったって自分が大して損をしないことならば、別にやりゃーいい、という判断です。
しかし、当たり前ながら相手はこれを親切と受け取るわけですから、頭を下げてお礼を言おうとするわけで、私はそれを尻目に「いやいや、ではでは」と、その場を後にします。無礼な話です。
見知らぬ年寄りと会話まで交わす労力は、損得勘定をすると、運ばずに後味悪い方がマシかな、と考えてしまうからです。
乗り物での席の話に戻りますが、完全なる親切心からやっているわけではないので、必ずしも老人のために席を立つかといえばそういうわけでもありません。
例えば、当たり前ですが指定席券を入手し座っている席は譲りませんし、あるいは、座る目的で始発駅に戻って並んだり、わざわざ遠い駅まで歩いて得た席を明け渡そうとは考えません。そのための労力の方を優先して考えるからです。
さらに言えば、セコいことに、三十分以上の乗車時間が見込まれるときは、けっこう席を譲りません。三十分が分水嶺です。四十五分以上ならば、まず譲りません。それなら、居た堪れなく座っていたほうが勝るのです。がしかし、妊婦には負けます。
私は、妊婦や乳幼児連れの母を、老人よりも優遇すると言うのは、妊婦は母子の人命とか若干は関わってきますが、それよりも大きなウェイトを閉めるのは、私の住む自治体の福祉の影響が強いのではないかと自己分析します。
今は財政難で変わりましたが、何年か前まで、私のいる自治体では、自治体が運営に関わる公共交通機関は、福祉の名目で乗車賃が無料でした。
無料といっても、自治体の税金から支払われているわけで、つまり電車内での状況を見ますと、以下のようになります。
住民税を支払う納税者が、乗車賃を払って座席に座っています。そこに年金暮らしの老人が税金から支払われることによって無料で乗車します。乗車賃を払って乗った納税者が、税金から支払われて無料で乗った老人に席を譲るのです。
これはどう考えたって割に合わない話です。
私は、老人のために席を立つぐらいは、大したことではないのでやってもかまわないのですが、上記の構図を考えると、そうすべきであるという損得勘定が、どうしたところで出てこないのです。
なので私は、地元の自治体が運営に関わる公共交通機関では、老人に代わって席を立つという行為に、大きな葛藤を持たざるを得ないわけです。
私にとっての「敬老精神に映る損得勘定」は、自治体による福祉によって、摘み取られているわけです。