何かを背負って説教垂れろ

  

 id:sho_ta 江原啓之と細木数子が嫌いだ
 ビジュアルですでに不気味でならないがしかし、どんなことを言っているのかだけでも聞いてみよう、とTV番組を我慢して見ていた。
 話を聞いてみると、霊能者も占い師も「親を大切にしなさい」だとか「好きな人を裏切らないように」だとか、なんだか道徳めいたことを言っている。なんなんだろうこれは。そんな当たり前のことも、オーラやら占星術やらから導かれないと聞く気にならんのか。

 私自身は見たことがないのですが、私のお袋が細木の番組を見て、こんな感想を言いました。
 「細木は嫌いだし、占いがどうのは信じてないんだけど、言ってることは私も同感。言い難いことでもはっきり断言して、頷ける」 まぁ、典型的な愚民ですわ。
 で、具体的に何を言ってるのかと聞けば、先祖や親を大切にしろとか、大したことのない道徳であったりするわけです。

 id:sho_taさんは、そんな当たり前のことも、オーラやら占星術やらから導かれないと聞く気にならんのか。とおっしゃるわけですが、こりゃ逆に当たり前なんじゃないかと。
 例えば、江原某よりも間違いなく、いろいろな経験やら場数を踏み、書物を読んだり勉強しているであろう、武田鉄矢
 金八が、人情味あふれる説教を垂れれば垂れるほど、鼻につき、聞きたくもなくなるだろう。道徳的な説教というのは、道徳的であればあるほど、善意から出ているほど、これ見よがしに正義を背負っているほど、鬱陶しいものです。
 誰がわざわざ金八の説教を一時間番組で聞きたがるだろうか? 金八の説教を聞いて「金八自身は好きじゃないけど、言ってることは私も同感。言い難いことでもはっきり断言して、頷ける」などと言うだろうか? いや言うまい。(反語)
  
 道徳やモラルというのは、なんとなく共有されているが故に、誰もが知っているはずで、知っていてもそれに従えない「心の弱さ」などの後ろめたさがあるからこそ、面と向かって言われると勝手ながら不愉快であったり、あるいは「お前はどうなんだよ」と思うわけです。思いながらも「わかっちゃいるけどやめられない」と反省するわけですわ。
 最近は、それぞれが「世間様」よりも「自分という個人」を優先するために、「知るかよ、俺の方が大事なんだよ」というDQNも確認されていますが。ともあれ、DQNに限らず全体的にしても、世間様は弱体化してきています。
  
 世間を背負うには、自らが世間に恥ずかしくないようでなければならないわけですが、昔はそれが立場と建前で守られていたわけで、その防御すら解体された現在、誰がどの立場で世間様から説教できるのか。
 そのうえ、問題のある行動をとりたがる偏差値の低い人間は、この「個人主義」という御伽噺を騙されて信じちゃってますから、世間様よりも自分の方が優先されると思い込んでいる。
 となると、金八の世間様を背景にした説教なんぞ、鬱陶しい以外の何物でもなくなるわけですわ。
 しかし、社会は、モラルも道徳も世間様も、実は欲しているわけです。必要としているわけです。しかしそれは、個人の自由というのと反しているわけです。
  
 そこにぽこっと、オーラだの占星術だの、自称次元の上のものを根拠に持ってくれば、「対人間同士」よりもすんなり受け入れやすいわけですよ。
 理性ではオーラだの占星術だのを信じているわけではないので、「占いがどうのは信じてないんだけど」なんて留保をつけて、安っぽい道徳を語って欲しいわけですわ。
 そんなものは、留保をつけたって、細木や江原の思う壺ですわ。そうではないと言うならば、武田鉄矢を有り難がれば良い話で。
  
 世間様や道徳やモラルが弱体化してきているからこそ、世間様や道徳やモラルが求められ、世間様や道徳やモラルが弱体化してきているからこそ、世間様や道徳やモラルでは根拠とならず、その結果として、明らかに如何わしい下品な詐欺師に、オーラやら占星術やらで説教を求めているのでしょう。
  
 「個人の尊重なんて、不可侵の真理でもないんだから、世間様との折り合いをつけましょう」という真実を言ってしまうと、それはそれで、パラダイムの転換になってしまうわけで、体制護持としては出来ないわけです。
 その隙を突いて、オカルトは上手くやっていくわけで、個人の尊重とオカルトは、共犯関係にあるわけです。