セックスをしてもいい権利

  
 セックスをする、というのは、両性の合意があれば、そして双方が十三歳以上(性交同意年齢)であれば、強姦罪に問われることもなく、法的には「セックスをしてもいい」ということに、「自己決定権」的にはなっている。
 しかし、十三歳未満には、両性の合意があっても「強姦」として扱われるし、それが同性であっても、強制猥褻にはなるであろうし、また、淫行条例といわれる地方自治体の青少年保護育成条例でも規制されている。
  
 つまり、ここでは、性交同意年齢や条例対象基準を超えた者同士の、両性の合意があれば、公の場ではない限り、セックスをしてもいい、ということになっている。
  

一条あや乃さん 中絶で胎児の命を奪うなんて許しがたいから中絶医は殺しちゃおうぜ
中絶なんて許せねえ!という男のひとは“妊娠を打ち明けてきた彼女に堕ろしてくれって言う男”を全滅させてくれたらいいと思います。(略)
初めての妊娠からこっち私は、いや最初に妊娠するよりももっと以前から、私は彼氏には妊娠したら堕ろせと言われてきていて、産むな堕ろせ産まないでほしいとばかり言われてきて、言われるたびに泣いたり死にたくなったりしていて、あなたにだけはそんな台詞を言われたくなかったと思うひとにまで言われて、それから私はそんな言葉を言われる前に産むか産まないかは女が決めるものですからと先に言っておくようになった。だってセックスしたら子供はできるのに堕ろせって意味わかんねえ。

http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20070219/

  
 私は、この一条あや乃さんの記事を読んで、皮肉ではなく、こりゃ「堕ろせ」という莫迦な男はいなくならないはずだと、暗澹たる気持ちになった。
 「中絶なんかは許せない」という、中絶の責任を「自ら」女にのみ帰せているではないか。
 産むか産まないかは女が決めるなどと言っている時点で、妊娠や出産の責任から、男を解放している。
 産むか産まないかは女が決めることであって、男のほうは自らに選択権がなくなったのであれば、そりゃ男のほうにも、当然持つべき責任感も希薄になる莫迦だってでてくるだろう。
  
 「中絶はするべきではない」という主張の私から見れば、中絶した女と同じだけ、中絶させる男にも、同じ罪を負わせるのは当然のことである。
 しかし、妊娠や出産の責任から男を解放するという、その不平等を、女側が容認している限り、無責任でどうしようもない莫迦な男というのは、これからも再生産され続けるのではないか。
 莫迦な男を責任から解放してはいけない。
  
 セックスをするというのは、両性の合意で行われ、セックスは、そのまますれば妊娠をともなうということは、性交同意年齢や条例対象年齢になれば、知っていなければならない。この「知っていなければならない」というのは、セックスをするという自己決定をする際の、「自己決定権」という概念上の問題だ。知らないことに「自己決定権」は行使できない。
 つまり、必ず両性の合意で行われ、妊娠をともなうと双方が認識しているものの結果の責任は、当たり前ながら両性が負う事は、論理上の帰結であり、他は有り得ない。
 つまり、セックスすれば妊娠する、その妊娠にともなう責任は、両性の双方が負う事は当然のことである。
  
 生物学的な問題として、女(メス)しか、妊娠をしないという違いはあるが、それも、性交同意年齢に達していなれば、誰でもが知っている事実である。
 もし、女しか妊娠しないのは不平等であると女が思うのであれば、セックスに対して合意をしなければ良い問題であって、合意するならば、それは妊娠や出産の結果に対して、両性の責任であるとの合意も一緒にすべきであろう。
 それを、女のほうから「産むか産まないかは女が決める」などと、男を不当に免罪している、責任から解放しているのは、私から見たら理解に苦しむし、そもそも、それでセックスしていいのかどうかすら疑問である。
  
 セックスは妊娠することもあるものであって、それを認識してセックスをする以上、実は行為者である「両性」だけではなく、その行為結果として誕生するかもしれない「第三の他者」である、新しい生命についても、当事者として考えるべきであると思われる。
 もちろん、未だ存在していない段階であるし、河童でもあるまいに、産まれて来たいかどうかを事前に意思確認することは不可能である。
 であるならば、セックスがしたい人間が出来る最低限のこととして、「妊娠した場合には、産んで育てる」という、行為当事者である両性の意思確認こそが、セックスをしてもいい権利と呼べるのではないか。
  
 「自己決定権」の肝要は、行為結果の「自己責任」である。
 「自己決定権」の行使として、セックスをする以上は、その行為結果の責任は、その行為者両性が負う事は当然の理である。セックスの場合はここに、新たな生命の可能性という、第三者の産入の可能性が予見されていることがあり、その第三者に、意思表示や自己決定が存在していないことの問題がある。
 しかし、産みたくて産んだ場合にしても、出産に際しては、当事者の一人である嬰児は、自己決定なく一方的に産まれたわけである。
 自己決定できない胎児の選択を全ての人間生命で公平にするとして、「一律に産まない」か「一律に産む」かの、どちらかになる。意思表示も自己決定もないのだから、統一して見做すしかないからだ。
 「一律に産まない」か「一律に産む」か、どちらかに決めるならば、「一律に産む」ほうが選ばれるだろう。「一律に産まない」のならば、人類は間もなく滅びるわけだし、ほとんどの社会的な価値観として「生きていることは、死んでいることよりも、ひとまずは素晴らしい」という、ある程度で普遍的なものがあるからだ。
 これは、自己決定能力が低いとされる未成年者が、未成年者保護として、一律に社会基準によりある程度の行為を規定されている現状と同じと見てよいと思う。
  
 現在は、昔とは違って、避妊の精度というのは極めて高くなっている。
 「コンドームしてても正しく使えてなかったり色々あって妊娠することはある」というのは、避妊も正しく出来ない人間は、セックスする権利もない、と考えるべきだろう。
 避妊の精度が極めて高くなっているからといって、100%ではない。正しく避妊すれば、100%に近く避妊できるけれども、100%では有り得ない。
 その、極稀にしてしまう妊娠の場合にも、産んで育てるという意思を持つものしか、セックスをしてはならない、と考えるべきだろう。
  
 避妊をしないでセックスをするのは、普通に両性とも罰すればいい話であり、「自己決定権」の立場からも、そうすべきだ。
 もちろんこれが、強姦や暴力など、女が防ぎようのない状態での、妊娠である場合、強姦の罪のほかに、中絶の罪も、男のほうにのみ罰すればいい。
 女に「自己決定権」はなかったからだ。
  
 避妊も出産もできない奴がセックスをするな、というのが、「自己決定権」の立場からの結論になるのではなかろうか。
 セックスが「自己決定権」の行使であるとするならば、両性の合意があり、双方が、妊娠した際に子供を産み育てるとの「自己責任」を負う者にのみ、セックスは許される、と言うべきだろう。
  
  
  

女に中絶の「自己決定権」はありません    (同日18:52に書き加え)

 上の記事に対して、一条あや乃さんから、トラックバックにて返事をいただいた。
  
 まず、先に確認しておきたいのは、私は「自己決定権」として中絶が可能であるという間違った「思想」に対して、その矛盾性や欺瞞性を否定しているのであって、たとえば中絶した過去を持ち、後悔している「人」に対して、ことさら蔑んだり、難詰するのを目的としているわけではありません。
 「これからだって避妊もせずに、中絶堕胎を繰り返してやるぜ」という人であれば、男女問わず、否定することもあるでしょうが、過去ログ等を読むところ、一条さんはそうではありませんので、誤解なきように願います。
  

女に決定権があるというのは単なる事実であって(だって男がどんなに中絶を強要しても女が産む気であれば産めるわけで)だからといって男に何の責任もないとか放免してるってことじゃないんだけどなあ。

http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20070220

  
 これは、上の記事の繰り返しになりますが、女にも「決定権」なるものは、存在していません。もちろん男にだってありません。
 胎児の生命に関する「自己決定権」は、一番重要であるのは「胎児」そのものが有すると考えるべきでしょう。
  
 この場合の、女が中絶をするという「単なる事実」は、今から私が金属バットや刃物を持って、駅周辺の通行人を無差別に殺傷することが「自己決定の末の結果として可能である」という程度の意味しか持たず、どう考えたところで、その行為に対する「決定権」が私にあるとは言えないでしょう。実行力が「単なる事実」として備わっているだけで。
 もちろん、胎児が、九ヶ月強、母体に寄生することは事実でありますが、そんなことはセックスの段階から承知しているはずであり、「自己決定権」を行使してセックスをしたのであれば、その寄生を両性双方が認めた末の行為であると言えます。
 つまり、セックスをする時点で、妊娠する可能性の結果責任を負う。
 九ヶ月強の間、寄生されること、寄生させることを、受け入れないものは「セックスをする権利」を、「自己決定権」として行使することができない、ということです。
  
 「自己決定権」の行使により発生した「自己責任」を放棄する「自己決定権」の行使、などというのは、「自己決定権」という概念自体の否定であり、すなわち、最初の「セックスをするという自己決定権」自体の根拠を揺るがすことになります。
 つまり、「セックスをする権利」を認めない(最初からセックスをしないということね)か、妊娠した際にも「中絶は女性の自己決定権ではない」と認めるか、必然的にどちらかになるのです。
 セックスをしておいて、中絶は女性に自己決定権があるというのは、自家撞着を起こしています。
  

ばかな男を許すひともばかな女を許すひともいてばかな人間は減らなくて中絶もなくなりはしないんじゃないですかね。

http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20070220

  
 「許す人」という概念の中に、当事者である「胎児」が含まれているのでしょうか? 上の記事の通り、胎児は意思表明をできません。よって、当事者が「許す」主体から外されています。これは「自己決定権」からは考えられないことです。つまり、中絶する自己決定権、などは存在しないということです。
 それであっても、権利などなくたって、人は何かを実行する「実行力」を持っていることがままあります。
 そして権利などないままに実行に移す人もいます。
 その場合には、平等に罰せられるということが正しいのではないかと思います。堕胎に同意した男だって、平等に堕胎罪で罰せられるべきでしょう。
 そして、罰したところで、中絶はなくならないですよ。この世から、犯罪がなくならないのと同じことです。
  
 以下の部分に関しては、一条さんの個人的な出来事に対することになりますので、言及は控えます。私のは、中絶を女の自己決定権だと考える思想についての意見であって、後先考えずにセックスをした男の個人的感情については、どうでもよいのです。
 ただ、「産むか産まないかは女が決める」という思想は、その後の「産んだ子供を育てるのは誰か?」という問題にも密接に絡んできます。
 「生むと決めた女の自己決定権行使」による子供の誕生に、論理的に男は免罪される可能性を多分に含んでいるのは、言うまでもないでしょう。
 「産むか産まないかは女が決める」という、如何にも女に対して甘い言葉が、実は論理的には女に不利益を被らせようとしていることもあるのです。
  
 最後に、もう一度、誤解のないように言っておくと、中絶した女性個人に対して、過去の行いを批難したり蔑んだりする目的ではありません。
 育てる気もなくセックスするなら避妊しろ、それでも妊娠したら育てる覚悟のあるものだけがセックスしろ、と言っているのです。
 中絶した者を許さない、という意味ではないのです。
 強姦や、暴力的な非避妊、母体の身体的危険による緊急避難など、中絶が許されて然るべき事態はあるでしょう。ただ、きちんとした避妊をせずにセックスしたというのは「自己決定権」の観点からは、中絶の権利などありません。そんなセックスをするな、ということです。
 セックスをするな、と言うてるのです。俺だってしてないのに。
  
  

男の責任 (同日19:33に追記)

>2007年02月21日 lakehill sex, 中絶 典型的な観念論。男にも妊娠や出産の責任を負わせろとおっしょいますがどうやって男に責任を負わせるの?男には肉体的に妊娠や出産の責を負いようがないのだろうから、口で責任を取れたと言っても効果がない。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070221%231172032943

よくわからないなぁ。
私の書いた文章を読めば、「産み(産ませ)、育てる」ことが責任と書いてあるわけですが。
私は、男も妊娠しろ、とか、男も出産しろ、などとは言ってませんよ。
堕胎罪で罰せられるならば、現行の、女だけが罰せられるのが不平等だとは言っていますけど。
lakehillさんは、セックスをして子供を産んだ際の責任について、「妊娠」して「出産」したら、もう責任は果たした、と考えられるのでしょうか? 自分の身体からでちゃえば、はいおしまい、というのは、責任としてどうなんでしょうね?
  
  
  

トラックバックをいただきました    (22日0:50に追記)

『女性が「中絶」を選ぶのは「シングルマザー」に対する手当てが足りないから』
中絶はダメって言うのは正論かもしんないがだからセックスもダメっていうのは話が違うと思うの私
  
 私の文章は隙間を埋める文章なので、そこから要点のみを抜き出せば、凡そ次のようになります。
・避妊もせずにセックスするな
・セックスする自己決定権と中絶する自己決定権は両立しない

 以上です。
  
 id:inumashさんの書かれている、社会保障の充実にしては、実は「子供は社会で育てる」という観念から、社会保障拡充に賛成の立場です。
 また、血縁実子にこだわり過ぎることへの弊害についての立場から、私は里親制度や養子縁組についても、「子供を育てる」という責任の中に含んでおりますので、是が非でも最後まで自身の手で面倒を見ることにのみ、責任を果たしたと見ることはありません。
 ただ、産む気もないのにきちんとした避妊もせずにセックスして中絶したり、里親なども見つからないままに放置して餓死させたりなど、そういう行為に対しては、そりゃ「避妊しろよ」と言わざるを得ません。
  
 産む気もないのにきちんとした避妊もせずにSEXする人間は阿呆ですわ。DQNね。これは容認をしてはいかんでしょう。
 「産む気もないのにきちんとした避妊もせずにセックスして中絶するのは私の権利である」と主張する人がいるのであれば、その道理を聞いてみたいですし、「産む気もないのにきちんとした避妊もせずにセックスして中絶する権利はない」ならば、「避妊もせずにセックスするな」というだけの話だと思います。
 「ナマでやったほうが気持ちいい」とか「彼に嫌われるから生を拒めない」って、中出ししたり、中田氏を容認するって、それはもう「自己決定権」を主張する資格がないと思うんですけどね。もちろん連動して「中絶」もね。
 女の人って、「生で挿入させてくれないなら嫌う」という腐った男と交際したいものなの? したいのかなぁ? でもそれって、中絶を権利として主張できる内容だとは、到底思えないわけなんですけどね。

出産する・させる気のないひとはセックスするなと。ねえそりゃあセックスしたら結果的に子供ができることはあるけどセックスって子供作るためだけにするもんでもねえですよ? 子供作るためにセックスをしています! というカップルがどれくらいいるだろう。セックスって性欲処理と快楽と生殖以外に用はないと思ってるのかなあみんな? 

http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20070222

  
 私は、子供を作る目的ではない「セックスをするなら、きちんと避妊せよ」という主張です。正しく避妊すれば100%に近く避妊できるんですよ。コンドームと低ピルを使えば、よほどのことがない限り、妊娠しないでしょう。
 少なくとも、きちんとした避妊が行われているならば、ここまで多数の中絶経験者が発生していることはないはずです。きちんとした避妊をしない莫迦な男と、それに従ってしまう女がいるから、これだけの数になるのでしょう。
 正しく避妊すれば100%に近く避妊できるのに、それでも生まれてこようと受精するならば、、、、、もう生んであげようよ。それは
  
 これは、一条さんに対する個人批判と取られてしまったら困るのですが、誤解を恐れずに言いますと、どうも「中絶は女性の権利」という主張の人って、男女を問わず、避妊に対する意識が希薄すぎる気がするんですよね。
 正しく避妊すれば100%に近く避妊できるんですよ? 「中絶してでも生でピル無しでしたい。それが私たちの権利だ」というカップルっているんですかね?
 避妊って、妊娠と病気の両面で女の、病気の面では男の、身体を守る効果もあるんですけどね。胎児だけでなくね。
 避妊に対する意識がしっかりしていれば、ほとんど問題化しないレベルの話であって、ほとんどの中絶は、「産む気もないのにきちんとした避妊もせずにセックスするな」という主張で、最終結論ではないかと私は思っているんですが。
  
 「セックスする自己決定権と中絶する自己決定権は両立しない」 というのは、論理的な帰結であり、意見の相違ですらないので、こちらは確定的結論だと思っています。
  

katsuyasanni doukandesu とかいうメールをメールフォームからいただいたもののカツヤって誰? 勝谷誠彦? おまえの彼氏? っつかあんた誰? などと思いつつもid:takisawaさんのことかしらと思い当たったのと(カツヤじゃなくてタツヤだと思うけどな)

http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20070222

 これ、私なんですかね? 私のほうには特に届いていないようなので、わかりませんが、私のことであれば、とりえあず御礼申し上げておきます。
  
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070221%231172032943
>2007年02月21日 sdmt うーん、とってもシンプル。まあ揚げ足取り?をするなら胎児にいつから人権を認めるかってところだろうか。
  
 そこだけですね。ただ線引きの問題で、明確な線引きが可能なところは、出産のタイミングと、受精のタイミングの二つしかありません。
 恣意的な線引きでは、現行法にて妊娠22週目ですかね。しかしこれはご存知のように胎児の権利としてではなく、母体保護の観点と言うことになっています。
 この点については、現在の最重要イデオロギーである「人権思想」の適用範囲の問題になりますので、また別に考えたいと思いますが、私としては、生まれる直前の、鼓動のある、「あ、お腹を蹴った」という状態の胎児を、間もなく人間になるものとして、人間に準ずる存在と見做さない現行法に疑問を持ちます。
  
  
  

ブクマコメントより   (22日11:03追記)

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070221%231172032943
>あと言及控えるつって「後先考えずにセックスをした男」とか断言されてますが彼が後先考えてなかったとか言いましたっけ?

あや乃の決定に従うけど、俺は堕ろしてほしいけど、あや乃が産むと決めるんだったら、これこれこのように責任を取りますねと言ってくれました。

http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20070222

 きちんとした避妊もせずに妊娠したら「俺は堕ろしてほしい」というのは、どう考えたところで「後先考えずにセックスをした」としか見えないわけなんですが。それとも、ほぼ100%可能な避妊をしても、妊娠してしまったということなんですかね?
 それとも、「きちんとした避妊もしないけどセックスはするぜ。そのために妊娠しても、中絶は権利だから俺はそれを選択する」という考え方の人なんでしょうか?
 それが果たして「後先を考えてる」と言えるのかどうか。
 私には、「ギャンブルで生活費をすっちまったら、銀行強盗をすればいいんだろ」という程度の「後先」にしか思えないのですが。
  
>2007年02月22日 skyk ジェンダー, 人生 胎児の権利、とかいう人は、年寄りのオムツも変えないのに「施設はかわいそうだから家でみる。あとはよろしく」とか言いそうで怖い。セックスすんな→避妊ありのセックスOKな変化は、いいひとなんだなーと思います。
  
 胎児の権利?との関係性がわかりませんが、私の意見を無理に当てはめるとしたら、「手がかかるからって老人を殺さないで面倒見ようよ。せめて施設に入れるとかあるんじゃね?」ということになると思うのですが。関係性がわからないからかなり無茶苦茶な当てはめですが。
 なんで「避妊する」という最初の部分がみんなすっ飛ばされてるんでしょうね?
 あと、「セックスすんな→避妊ありのセックスOKな変化」というのは、私は最初から一貫して、「きちんとした避妊しろ、それでも妊娠したら、受け入れて産まね?」という立場ですよ。
 避妊の精度が極めて高くなっているからといって、100%ではない。正しく避妊すれば、100%に近く避妊できるけれども、100%では有り得ない。
 その、極稀にしてしまう妊娠の場合にも、産んで育てるという意思を持つものしか、セックスをしてはならない、と考えるべきだろう。

 これがスタートですから。で、すごくいい人ですよ。
  
  
・避妊もせずにセックスするな (きちんとした避妊をすれば妊娠はほとんどない)
・セックスする自己決定権と中絶する自己決定権は両立しない
社会保障制度の拡充は必要 (子供は親だけが負担や恩恵を背負わないように)
・強姦や暴力による妊娠は、男だけを堕胎罪で罰するべき
 
 どれをとって見ても、女性を保護する主張しか私はしていないんですがね。
 「産む気もないのにきちんとした避妊もせずにセックスして中絶するのは私の権利である」と主張する人以外は、全員が否定できない内容だと思うし。
  
  
  

?   (23日0:42追記)

 ブクマコメントで、意見の変化とか矛盾と言う人がいるんですが、どこが変わってますかね?
 具体的な指摘がないからわからないんですが、最初から一貫して「避妊しないでセックスするな」というのと「中絶は権利じゃない」ということで変わってないし矛盾もないんですが。「男を許すな」も最初からの主張だし。
 どこを読んで言ってるんですかね?