赤い薔薇の花弁

  
 私の家は駅からすぐの場所にあるのですが、人通りは比較的に少ない場所になります。
 駅の北側には、その先に大きな公営団地があり、さらに先には山を削った新興住宅地があり、人口も多い。削られた山は、一部を祖父が保有していたため、私の兄弟はその土地に家を建てて住んでいます。
 駅の南側はというと、昔からの一戸建てに代々住む土着民たちが暮らしておりまして、その土着民の中に私の祖父がいました。私の父は、その祖父の家の庭に、一戸建てを建てて、我が家はずっとそこで生活をしていました。
  
 私は高校生の時分、電車による通学でした。
 部活動を終えて電車に乗り、家の最寄の駅につく頃にはしっかり日は暮れておりました。
 帰りのラッシュ時、多くの乗客が駅を出て、そのほとんどは公団や新興住宅地のある北側に歩を進め帰宅を急ぎます。
 南側は歴史のある、土着民が動かない地域ですから、道路も車一台がかろうじて通り抜けられるような、おそらくは歩行者と荷車用の道にアスファルトを張っただけの、そんな道しかなく、交通量も少ないため街灯がぽつんぽつんと、後は庭の向こうの屋敷から漏れる明かりだけが頼りの薄暗い道でした。
 私はその暗い道を歩いて帰ります。暗くて一人静かな道のりなので、男でも寂しい恐怖を覚えますが、たった徒歩二分です。
  
 ある日、私が部活を終え電車に乗り、そして駅を降りると、珍しく私の前を歩く若い女性がいました。暗いから確かではありませんが、雰囲気から若いと判断できました。
 日も暮れて、薄暗い道ですが、その女性が手に何かを持っているのはわかりました。どうやら花束のようです。
 私の祖母は、花、お茶、書道の先生をやっていましたので、私は、おそらく、花のお弟子さんだろうと想像しました。
 案の定、予想通り、その女性は右に、私の祖母の家の玄関に向かう小径へと折れていきました。
 隣家の塀に見えなくなった女性を「あんなお弟子さんがいたのか」などと私は思いながら、祖母の家の隣に建つ我が家へと帰るため、その女性と同じように、小径を右に折れました。
 その瞬間。私は何かでいきなり顔を左から殴られました。
 かすった程度で全く痛くありませんが、思わず「うわっ、なに!」と叫びました。塀の上から猫でも落ちてきたのかと思ったのです。しかし目の前には、最前の女性が、花束を振り回しながらも、彼女も半ば呆然とした感じで、いました。
 しばらく見詰め合った後、女性は「あっ、すみません」と言い残し、祖母の玄関まで走っていきました。
 私は薄暗い小道で、一人ぽつねんと、無意味に周りを気にしながら、左の頬に手をやりました。そして、徐に釈然としないまま、自宅へ歩き始めました。
  
 家に着くと、無性に腹が立ってきました。私を痴漢だと思ったのか。
 私は母親に怒ってその話をしました。すると母親は「その人、駅からずっと怖かったんだろうね。可哀想に」と言いました。
  
 私がお風呂に入ろうとシャツを脱いだとき、首元からはらりと赤い薔薇の花弁が散りました。
 私はそれを拾い、湯船に浮かべました。
 私はお風呂で、その女性と見合ったときの、怯えと呆然がない交ぜになった表情を思い出し、怖くて必死だったんだろうなぁ、と悪くもないのに申し訳なく思いました。
    
 結局、その女性とは、二度と会うことはありませんでした。