ネガティヴコメントを気に病むな
私、あまり他の人のサイトとか見ないんですけど、いくつかは見るサイトがあって、そういう人はインテリだったり恋愛強者だったり文才があったり、そういう自信が有りそうな分野を持っている人たちが多いんです。でも何故か知らないんですが、皆さん、コメントに打たれ弱いという発言をしてるんですわ。
何でそんなに私に無い物をいっぱい持っている人たちが、いちいち気に病んで心を痛めているのか、不思議でしょうがないわけです。
私は以前に我ながら愚にもつかない記事*1を上げておりまして、その中で、ブックマークのネガティヴコメントについて書いています。
私としては、ネガティヴコメントを「枯れ木」だと思っています。邪魔臭いし、時には火事を起こす。しかし山の賑わいでもある。腐れば肥料ぐらいにならないかなぁ、と。
http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20061205#1165254402
だから、どう考えても誤読だよなぁ、と思っても、まぁお互い様と言うことで気が向かない限り放っておこうと考えているわけです。
それはただ単に、反論する手段がなかったり、手間をかけてまでする必要がないから放っておくだけなので、せっかく批判してやったのに反論もないのか、と思う人がいましたら、ブクマコメントで批判した内容を、そのまま本文コメント欄にもコピペしてやってください。
逆に気が向かない限り放っておこうと考えていますので、見下したネガティヴコメントをしたいけど、反論されたらかなわんという人は、はてブコメントだけで済ませておくのがお奨めです。
こんなのは、私が私のウェブログの中でどういう基準で振舞うかのマイルーラであって、他の人にも適用できるルールだとは考えておりませんが、こんな感じの意識です。まぁ重いテーマならば、はてブコメントにも返事しますけどね。
普通のコメント欄に関しては、コメントして貰えたなら、可能な限り返事をするつもりでいますが、なんつーか、あれですわ。こんなコメントを返していては、誰がコメント欄にコメントをするのでしょう? ちょっ、これ、普通に気違いだ。明らかに犬神様が憑いてる。チャカポコチャカポコ
まぁ、私のウェブログほど、ホストがコメントを返すといってるのにゲストが書き込まずにコールアンドレスポンスのないところも珍しかろ。止むを得まい。あ、私が「こーる」してないからか。よし、次のエントリは「こーる」してみよう。みんな、飛びっきりの「れすぽんす」を頼むぜ。
まぁ、私がネガティヴコメントに対して比較的に平気であり、何故に私よりも遥かに才能のある人たちが傷つきやすいのか、という理由を考えると、いくつか思いつきます。
まず第一に性別が違う人は傷つきやすかろう。まぁ女になったことがないから知らんけど。
次に、慣れの問題。
私は高学歴のインテリ大人が本気でお互いの人格を罵り合う掲示板で何年も遊んでいて、完全に麻痺しているのかもしれません。自分に向けられたどんな辛辣な罵倒であっても、読むときに「コイツ阿呆や」と笑いながら読む癖がついてしまったのかな。
仕返しができる環境であれば、どんな指摘だろうが罵倒だろうが、気にならなくなりましたね。思う存分にやり返せばいいわけですから。さすがにもうそういうのにも飽きましたが。
次に、ここがポイントだと思うのですが、傷つく人は私よりも完璧であろうとするのでしょう。たぶん。
私は、自分の無知を指摘されたり勘違いを指摘されて莫迦にされて恥をかくことよりも、その指摘の方が嬉しかったりするんですよね。それは、知識欲なんて綺麗なものではなくて、虚を突かれて「おー、やられた」感という楽しみというか。試合やゲームできれいに決められたような。
それこそ、すんごい頭の良い人の文章を見せられると、余りに自分との差が有りすぎると、嫉妬よりも「うおー、すげー。おもしれー」と思うわけですよ。自分のかく恥なんかよりも、そっちのほうが価値が高くない? とか思うわけです。自分よりも頭のいい人が相手をしてくれるんだから、感謝こそすれども、不満なんかないですよ。
逆に、程度の低いコメントなんか無視すりゃいいだけの話です。
「つまんない」とか「お前が言うな」とか「バカみたい」とか「死ねばいいのに」とか「これはひどい」とか、あーもうムカツクな。なんだそのタグは。ふざけんなよ。なんでお前が上から目線で評価下してんだよ。ならお前が「面白い」「これは素晴らしい」「お前が言うべき」「頭の良い」文章を「生き永らえて」書きゃー良いじゃねーかよ。とりあえず書いてみやがれってんだ。質の高いものをコンスタントに量産してから言えよ。タグだけ付けてりゃ偉くなった気分か。このクソガキが。
なんて、わざわざ相手にすることはないわけで、実生活で「ウンコ、莫迦、お前のかーちゃんでーべそ」と言ってきたら、まぁ可哀想な目で見るわけですからね。頭の弱い子を追いかけていって殴ったってしょうがない。
ネットは比較的安全ですから、おかしな人にもちょっかいをかけてもいいんですが、それはお遊びとしてやればよく、程度の低いコメントは憐憫の情と慈悲の心で見逃したりたまに懲らしめて遊べば良いわけです。「うんこ」「ばーか」「お前のかーちゃんでーべそ」と言われても、気にすることはないんです。
自分と同じぐらいに頭が良いか、ちょっと低いぐらいの人が批判してきた場合、これは、自分の考えを補強するために場を与えてくれたと考えましょう。その人に返答するふりをしながら、自分の主張を再度自然に開陳できます。
ここぞとばかりに言いたかったことを繰り返して言いましょう。ついでに、言い足りなかったことまで一緒に言えれば、こんなありがたいこともありません。感謝こそすれ心を痛める必要はありません。
ネガティヴコメントで困るのが「嫌い」とか「気持ち悪い」みたいな感想です。知らんちゅーの。俺は愛してるよ。だから住所と電話番号教えて。一緒に「気持ち良い」ことしようぜ。
で、話を戻すと、おそらく傷つく人は、私よりも他人の評価を気にするんでしょうね。
私は、自分が評価する人間からの評価は、臆病すぎるほどに気にするんですが、どうでもいい人には個人的に恨まれていても、あまり気にならないんですよ。それが多数になれば気にしますが、少数であれば、自分のほうを信じるんですよね。あるいは、指針と思える人がいるならば、その人に確認したり。
最初から万人に好かれようという気概がない。
ある意味、嫌われるのに慣れているのかもしれません。嬉しくないよ。
と、ここまで書いておいて、今までのを全否定するようなことを書きますが、どうも私はネットの入り口がそれこそマミー石田とか罵り合いの見物から入っているので、交流のツールとしてネットに入ってきた人との違いが一番大きいのかもしれない。
コミュニケーションの場という認識でネガティヴなことを言われるからショックなのであって、私のように罵り合いを見てきた*2人間としては、言い返せばいいじゃん、とか思ってしまうんでしょうね。
言い返したり、主張したりしたいわけではなくて、賛同して欲しいという姿勢だと、ネガティヴなコメントは凹むのかもしれませんね。
まぁなんだ、あれだ。コメントが全然付かないこのウェブログに比べれば、ネガティヴコメントなんかもう、いらっしゃいませ、ぢゃないか。私のとこはネガティブコメントや反論や罵倒のコメント、ウェルカムなんですけどね。枯れ木も山の賑わいで。
全てのネガティヴコメントは凹む人のところじゃなくて私のところにくればいいのに。