「私のどこが好き?」と訊く女はどう答えたら一体満足なのか?

  
 どこの誰という話ではないので、詮索しないでください。架空の人です。
 まぁ、美人ですわ。100人中105人(税込)が認める美人でしょう。
 この女性、仮に松たか子さんとしましょう。いや、他意はない。なら、大塚寧々さんでもいいや。*1
 この自称大塚さん、現実社会で男性に告白されると、腹を立てるわけですよ。
「何も知らないくせに。お前は私のなにが好きやねん。顔か? カラダか? 雰囲気か?」と。
 いや、架空の人の話です。細かい突っ込みはナシで。
 そして、ネットでの文章や振る舞いで気に入ってくれるならば、本当の自分を受け入れてくれている、と。
 いや、くどいようだが架空の人の話です。細かい突っ込みはナシで。
  
「ネットは、外見がないから、生身の人間性が見られる」というのは大きな誤解です。
 簡単に言うと、ネットで文字だけで好意を持つと「人間性を気に入ったのに、外見で拒否するのは、私はできない」みたいな意識はあるわけですよ。限度はあるけどな。自分では竹野内豊だと言っておきながら、来たのは三瓶だったとかな。うるせーよ。ほっとけよ。似てねーよ。
 私もあるわけですよ。松嶋奈々子に似てると言われたことがあると言いながら、現れたのは今にして思えばハリセンボンの箕輪だった、みたいな。いや、別にそんな邪な期待して会ったわけじゃないし、単なるオフ会に参加しただけ出し、ハリセンボンの箕輪さん、可愛いじゃんね。うん。
 まぁ、限度はあるんだけれども、外見で拒否はしづらいな、みたいなね、のがある。まぁ、これは後日書くとして、要点を言うと、つい「外見」と「中身」という分け方で考えてしまう。
 「中身」こそ、その人間の本質だ、という考え方ね。「中身」は、考え方や性格や知識や人間性ね。
  
 これは「精神」と「肉体」のどちらが『私』なのかという問題から派生する二元論ですね。「精神」と「肉体」の二元論。
 揺るぎない変わらない連続性のある「個」といえる私の自我は、その「本物」は脳の中にあり、その脳の中にあるものが「精神」であって、つまりは、「精神」こそが「私」の「本物」であって、この「肉体」は入れ物に過ぎない、と。
 これはもう、近代の前提となっているわけですから、現代の中で生きるならば、このパラダイムは非常に強固であるわけで、デカルトからメルロー=ポンティまでみんなそう言ってる。メルロー=ポンティ後も、まだ亡霊がいっぱいいる。
  
 だからね、「外見」をよく知っている「オフライン」での好意は「外見」に向けられてるんじゃないか。「外見」情報が少ない「オンライン」では逆に好意は「中身」に向けられている、と思いがちになります。有りのままの素の「本物」の私を受け入れてくれる、と。
 ところが、これはそこまで二元論として切り離せないし、さらには、「外見/中身」は「オフライン/オンライン」と正確に対応しているわけでもないのです。
  
 たとえばだ、飽くまでも、たとえばだ、ネットでの振る舞いで「好き好き大好き」と言っている女がリアルでブサイクだったら、こんなもん明らかに刺されるでしょ? 美人だから許されるんだよ。
 日常生活の社会で「好き好き大好き」と言っている女がそのままブサイクだったら、現行犯逮捕か措置入院でしょ? 美人だから許されるんだよ。
 いや、嘘を吐きました。美人だから許されるんじゃなくて、美人だから推奨されてるんですよ。ありがとう。
  
 こんなんね、不細工がキャピキャピしてて御覧なさいよ。エビちゃん気取りで口角上げてたり、ガッキーのポッキーみたいに踊り狂っててごらんなさいよ。
 男なら誰だって「おい、お前、たいがいにせいよ」と注意するし、同性からもボコボコにされるでしょ。「退場だ、退場!」 と。
 そうするとね、不細工は自覚するわけですよ。ああ、私ははしゃいではいけないんだ、と。まぁ、そうなんだよ。
 そうやってね、「外見」の型に合わせた「精神」に育っていくわけですよ。あれ? そんな話で良いのか? なんか急に偏差値が50ぐらいにまでさがったが、まぁ、わかりやすくて良いか。
 「精神」と「肉体」は、二元論に切り分けるには、互いに影響を与えるものであるし、「外見/中身」は「オフライン/オンライン」と正確に対応しているわけでもなく、連動しているのです。
  
 そもそもね、「美人と言われると腹が立つ」なんてね、美人しか言えないんですよ。
 不細工が同じ発言をしてごらんなさいよ。裁判を経ずして即銃殺されますよ。
  
 だからね、私もネットで「とりあえず結婚しましょう」とか書くわけですが、見た目が三瓶のときに、どこまでネットで自信を持ってそう書けるのか。私がもし三瓶だったら、とてもじゃないけど怖くて書けません。つまり、三瓶か竹野内豊かの二種類しか分類がなかったら、私は必然的に竹野内豊になるわけですよ。
 なんかもう、くぐるしかないぐらいにハードルが上がってる気がするんだが。まぁ、自分で上げたんだけど。さあ、好きなところを蜂の巣にしてくれ。
  
 で、だ。
「私のどこが好き?」という質問は禁じ手にして欲しい。
 男が「顔とスタイルだよ」と答えた場合、女性はどう思うのか? 「私の身体が目当てなのね」とか言い出すわけだ。
 あるいは逆に、男が「考え方だよ。顔やスタイルは気にしないからね」と答えた場合はどうであろうか? これはこれで怒るだろう。
 私は怒らない、という女性がいるとすれば、それは美人だからなんですよ。
 美人の特権を内在化して利用しておきながら、美人だといわれると憤るというのはどうなのよ? もう、そこは素直に喜んどけ。
 美人なら、たいてい外見だって好きになりますがな。無茶を言わんどいてください。
 こんなん、美人を好きになったらもう、全てが不純な動機みたいになっちゃうぢゃないか。全く否定はしないが。
 じゃあ「私のどこが好き?」と訊く女はどう答えたら一体満足するのか?
  
 よし、これから私はそう訊かれたら「まんこだまんこ」と答えよう。まぁ、訊かれることは一生なさそうだから言えるわけだがな。
 「私のどこが好きなの?」 「おまんこだよ」 よし、これだ。

*1:後に深津絵里に訂正