たとえばお前が死んでも

  
 先日、突然にチャットで呼びかけられた。まぁ、チャットはたいてい突然に呼びかけられるものだが。
  
 「お前、赤嶺さんのお母さん、会ったことあるんだっけ?」
 「あるよ。高価なご馳走までしてもらった」
 「そうか。羨ましいな」
 「いや、俺が赤嶺さんに宮廷料理をご馳走したからそのお返しだよ」
 「いやいや、そうじゃなくてさ」
  
 この男、藤村というのだが、藤村が言うのはこういうことである。
 藤村と私と赤嶺さんは、もう何年も前にネットの趣味のサイトで知り合い、それからチャットはもちろん、たまに電話でも話すし、オフでも何度となく会っている。
 私も赤嶺さんも二人とも、藤村の奥さんとも会っているし、私は藤村の奥さんを毎日オナニーのオカズにするほどの仲である。
 私と藤村は連日チャットをしていて、藤村は「俺、奥さんと話をしている時間よりも、お前と話している時間のほうが長いんだけど」というぐらいの、他人から見ればマブダチ状態だ。
 いろんなことを話し合ったり、相談したりするような、傍から見れば親友のような関係になってしまっている。
  
 「もしさ、赤嶺さんが今、死んでいたとしても、お前のところには連絡が来るかもしれないが、俺のところには来ないんだろうな」
 不吉な奴だ。
  
 「たとえばさ、今、俺が死んだとしても、俺の奥さんは、お前や赤嶺さんには連絡しないと思うんだよな」
 藤村は、妙にしんみりした口調で言う。連絡してもらわないと後家が狙えないではないか。
 「赤嶺さんに何かあった場合、お前は赤嶺さんのお母さんと面識がある分、お前のほうが連絡をもらえる可能性が高いんだな。羨ましいよ」
 確かに、私はお中元やお歳暮を贈ったこともあるし、連絡が来る可能性もあるとは思う。ただ、私は藤村の奥さんにもDVDやCDを送ったりしているわけだが。
  
 しかしまぁ、どれだけネットで毎日のように話をしていたり、あるいはそれが発展して携帯で話をしていたりしたところで、親や奥さんなど家族は、わからないだろうなぁ。
 これからは、故人の携帯のメモリと履歴、あるいはメールの受信履歴から、連絡をするという手法が一般化していくのだろうか?
 うっは。メールの送受信履歴と内容を家族に見られたら、死んだ後でも死ねる。つーか、メールソフトは使ってないから大丈夫か。
 どのみち、ネットで知り合った連中とは、直前まで仲良くしていても、知らぬ間に死んでいくわけか。
 「最近、連絡つかないね」となるわけか。「死んでんぢゃないの?」なんて冗談を言われながら。
  
 藤村はしんみりしながら呟くように言った。
 「何年にも亘る交流なんだけど、ネットの関係って、儚いもんだよな」
 「ただ、俺が死んだとしても、俺の親は俺の学生時代の友達の連絡先もわからないと思うけどな」
 「あー、まぁ、お前は死んでもいいよ」
  
 そうだね。ネットの関係って、儚いもんだよね。