そこで逃げちゃえ! 高倉健!

  
 とある女性から聞いた話です。
  
 彼女の家に泊まりに着ていた彼女の恋人、ここでは仮名で歌麿としますが、歌麿は、彼女の家に泊まりにきていながら、彼女のテレビとゲーム機で、自前のギャルゲーを始めたという。
 彼女はギャルゲーをやっている歌麿を隣で見ていた。
 歌麿はゲームをやりながら、「あの娘がいいな、この娘もいいな♪」などと歌っていると、こんなフラグが勃ちました。
 Q.夏祭り、彼女と歩いているとヤンキーに取り囲まれた。どうする?
1. 戦う 
2. 謝る
3. 自分が盾になって彼女だけ逃がす
4. 彼女を置いて逃げる

 歌麿は「ここは普通に『3』でしょ」と言いながら、彼女に向かってこう言ったそうです。
 「これさ、ゲームだから普通に『3』を選ぶけどさ、現実だったら置いて逃げるよね。あははははは」
 歌麿が笑いながら言うと、彼女は無表情でまばたきを繰り返した。
 そして搾り出すようにして聴いた。
 「私は……?」
  
 その話を聞いたとき、私は瞬間逡巡した上、誠実に生きる道を選びました。
 「ごめん、俺も昔、同じ発言をしたことがある」
 「はっ!」
 息を呑む音をリアルに聞きました。
 「他にもいたか、人間失格が」
 どうも。人間失格です。
  
 まして見知らぬ女性が絡まれていた場合、よほどの美人でもない限り、自分の身の安全が確保できる場合でしか、行動を起こさないでしょうねぇ。
 電車男の話もありますけど、とりあえず自分の身の安全が優先でしょう。
 見ず知らずの女性が被害に遭うかもしれないのは、それはそれで可哀想だし助けたいですけど、自分が被害に遭うのは嫌ですもんねぇ。
  
 さて、上の文章を読んでどう思われたでしょうか?
 やはり人間失格と思いましたか?
 女性の場合、こういう男が自分の恋人だった場合、どう思いますか?
  
 「酷いな」とか「そんな人は嫌だな」と思うのであれば、それは相手に対して「男らしさ」という役割を押し付けているわけです。
  
 これ、全ての「女らしさ」から女が解放されるのと、全ての「男らしさ」から男が解放されるのと、比較すると男のほうが得をするんじゃないかという気さえしてきます。
 もうちょっと男の男女平等主義者が増えてもいいような気がしますね。
 ただ、女の「女らしさ」からの解放というのは、部分的にそこそこ推し進められるような気がしますが、男の「男らしさ」の解放というのは、それを破ったときの視線の怖さが女のそれに比べて厳しいような気がします。
 女が部分的に解放されるだけで、男はなかなか解放されないんじゃないかな、随分と不平等な話に思えるね、と、茸みたいな頭をした人が私に呟いて行きました。
  
 見ず知らずの別嬪さんではない女性が助けを求めていたら、逃げたいねぇ。高倉健なら逃げないだろうなぁ。逃げたら世間の目が怖いから逝くしかないかなぁ。イくしかないだろうなぁ。
 私が一途に想っている女性だったら、私はその女性が全てですし、人生やけっぱちですから、殺すつもりで殺されるつもりで何でもするでしょうけど。
 筋トレに慣れたらグレイシー柔術でも習おうかな。