電車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください

  
 携帯電話の電源を切り損ねて飛行機に乗った話を知人にしました。その流れで、その空港から家に帰る電車内で、デカい声で携帯電話で通話しているDQNの話をしました。
 でまぁ知人の二人は、マナーがなってないからねぇ、という話になったわけですが、私は「そのマナーとはなんなのか?」という話をしました。
  
 というのも、電車では「計器に影響を与える」という話はないわけで、電鉄会社が初期に言っていた理由は「心臓ペースメーカーに影響がある」とのことですが、これはもう、通常で使っている状態では、悪影響を与えることなどは考えられないとされてしまして、鮨詰め状態のラッシュ時に密着して使わなければ大丈夫とされています。そんな混雑した状態で使われればペースメーカーをつけてなくても問題があります。ただ、胸ポケットや首からかけるのはズボンのポケットに移したほうがいいかもしれませんが。
 まぁ、結局のところ、電鉄会社は、ペースメーカの人間に危険性を煽るだけ煽って不安に陥れて、その不安を利用して、電車内の携帯電話使用を禁止させるという非人道的な行為をしてきたわけです。
 電車の計器にも心臓ペースメーカーにも悪影響を与えないのであれば、何故に電車内の携帯電話の使用を控えなくてはならないのかというと、何故でしょう?
  
 知人Aは、車内で周囲に聞こえるような声でしゃべれば、それは迷惑でマナー違反でしょう、と言いました。
 電車内で大きな声でしゃべっているおばちゃんの集団がいます。この人たちも迷惑ですが、電鉄会社は公式的に、おばちゃんの車内での会話を控えろということは言っていません。
 知人Bは、でもおばちゃんの会話は両方が聞こえるけど、携帯電話は相手の返答が聞こえないから、どういう会話をしているのかわからず気になるから迷惑だ、と言いました。
 外人が異国の言葉で会話をしていても、どういう会話をしているのかわからないわけですが、これは許されています。ただ中途半端に半分聞こえるから気になるというのは確かにありますが。
 知人Bは、なかなかいい線をいっています。
  
 で、車内で化粧をしたりするのも、モラルが問われています。見苦しい、という理由が言われます。しかし、見苦しいというおっさんの顔のほうが醜い顔をしていることは往々にしてあります。
 床に座り込むというのは物理的に邪魔なんですが、女性がパンツが見えるように膝を開いて座るというのは、特に誰に迷惑をかけているわけでもなく不愉快です。
 この不快感というのはどこから来るのかというと、自分が他者として、つまりは「人間」として認識されていないところから来ていると稗田阿礼は分析しています。
 白人は昔、黒人や黄人などの有色人種が奴隷のようにしていたとき、彼らを前にしても白人女性は裸を隠しもしなかったという逸話があります。今の女の子が飼い猫の前でオナニーしても平気な感覚です。
 この、同じ場にいる他者から、他者として認められない、というのは、殊の外不愉快極まりないことなんです。人間扱いされていない、ということですから。
 お前にはパンツを見せても恥ずかしいとは思わない。化粧をした顔を見せる必要のある相手と見做していないんだぞという意思表示にもならない宣告。お前からの評判なんかは気にもしていない、と言われているようなものです。
 若者の「世間」が、いわゆる昔の世間よりも矮小化してきて、自分の手の届く範囲程度の「世間」だけしか認識できなくなった、ということなのでしょう。想像し認識する能力もさることながら、その認識する必要性すら感じることが出来ないのでしょう。目指してきた戦後教育の成果です。
 「他者」ではないから、その場に人間がいないが如く振舞っても平気なのです。
  
 電車内で目の前にいる知り合いと会話をするのは、知り合いもその他の他者と同じ場にいるわけだから納得させることができますが、携帯電話の場合、自分という他者が同じ場にいるにもかかわらず、同じ場にいない第三者に電話をかけて会話をするという行為が、同じ場を共有する自分を蔑ろにし、他者と認識していないという居心地の悪さというか、端的に言えば不快さを催させるわけです。
 化粧をしてたりパンツを見せてたりするのも同じで、そういう他者性から自分が排除されていることに機縁するという、という説明したところ、知人Aが一言。
 「いや、やっぱり、うるさいから不快なんだろう」
 でもおばちゃん同士の会話は許されてるわけでしょ?
 「でも、自分が蔑ろにされてるからと不快になったことはないなぁ。そんなこと考えたことないもん」
 しゅ、主観ですか。その時に自己で認識していたかどうかの主観ですか。
 「結局は、マナーとかモラルから外れるから不快に思うんだよ」
 いや、ですから、そのマナーやモラルを形成するものの根底の話なんですが。
 主観には勝てません。