「自己決定権」の立場からは自由売春は認められるべき

  
 長崎のラヴホテルで十八歳の女性の全裸死体が発見されるという事件がありました。
 何が凄いといってテレビ等でも「女性は長崎県○○市○○町の風俗店従業員○○○○○さん(18)」と、風俗嬢であることと、大まかな住所と、本名をモロ出しされてます。娘は殺されるわ、住所と本名で特定されるわ、娘が風俗嬢だということが公表されるわ、親はたまったもんじゃありませんね。殺された被害者でありながら、これほど親不孝な悲劇もないもんです。
 これはいわゆるデリヘルというやつで、ホテルに派遣されるタイプの風俗嬢なんでしょうね。
 原則はケツ持ちのヤクザがいて、基本的にはなんかあったら店員が駆けつけるということなんですが、殺されちゃ間に合わないですからね。
  
 現在の日本国では、自由主義国家ということで、個人の自由というのが認められていることになっています。
 十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 これは、公共の福祉に反しない限り、何をやっても自由ということとされ、それはジョン・スチュアート・ミルという功利主義者の自由論を根底としています。
 これは『自己決定権』という権利とされ、「自分のことは自分で決める権利」のことで、「他人に迷惑を掛けない以上、何をやっても自由」であり、「自己の選択の失敗は『自己責任』で引き受ける」という考え方です。
 今現在、この「自己決定権」という考え方は、社会的に概ね合意されており、なかばこれを前提として社会は運営されちゃってます。
 ということで、今日は社会に倣って「自己決定権」を前提にして話を進めます。
  
 現在の日本の売春事情は、売春防止法というのがありまして、これは禁止法ではなく、売春自体を処罰するのではなく、売春を斡旋する行為、いわゆる「管理売春」を取り締まる法律です。
 売春というのは性器の挿入をともなう行為とされているため、挿入以外の性行為は売春防止法の取締りの対象にはなりません。よくわからない話ですが。
 で、いわゆるトルコ風呂、今でいうソープランドが、実質的には売春施設であって、まさしく「管理売春」なわけですが、実質は警察とのイイカンジな関係で黙認されています。
 言い分としては、ソープランドの個室で、ソープ嬢と客が勝手に自由恋愛でセックスを始めるという筋書きになっていて、警察も現行犯ぐらいしか取り締まる方法がないため、余程悪質だったり、警察と仲が悪かったりしない限り手入れはありません。
 しかしたまには手入れがあったりするわけです。そこでデリヘルですよ。客の部屋や客の取ったホテルの部屋に行くわけですから、これまた現行犯も難しくなるわけです。
 女性が一人で赴くわけですから、今回の事件や池袋事件のように非常に危険がともないますし、また、店舗型のソープランドに比べても衛生管理は悪いです。
 「援助交際」という隠語?で呼ばれる「自由売春」というものがあります。管理売春のように、斡旋業者が入っていない売春行為のことです。アンタの奥さんや娘がやってるかもしれない。
 十八歳以下でない限り取り締まることは実質不可能で、ソープランドなどに比べて、衛生管理も悪く、避妊や性病の対策においても売春者として教育される機会もない。
 これは、管理売春を生業とするヤクザの邪魔であり、ヤクザのシマを荒らせばヤクザに酷いことをやられちゃうこともあります。
 最近はそれほど話題にもならなくなりましたが、「援助交際」は、常に批判的なイメージで語られがちで、それは今も変わっていません。
  
 さて、「自己決定権」で考えるならば、自由売春は自己責任で認められるべきである、ということになります。
 性行為というのは避妊さえしっかりすれば、基本的に両者の合意のみで行われるものであり、十三歳以上との合意の上での性行為自体は、法律は規制していません。
 まして、小遣い稼ぎのための自由売春であれば、身売りや借金や生活苦などの不本意な売春と異なり、人権侵害にも当たりません。
 また、本来違法であるヤクザによる管理売春という風俗店を実質的に認めて、自由売春を認めないというのもおかしな話です。
 さらには、管理売春では客を選ぶことができませんが、自由売春であれば、売る側と買う側の双方の当事者の意思が反映されやすく、現在の買う側だけが選べて売る側が選べないという拒否権が限りなく弱い不均衡による人権侵害も解消されます。
 そして自由売春を合法化すれば、性行為を労働とする労働者の最低限の権利や保護が与えられるようになるでしょう。
 オマケとして、近代の男女平等という観点から考えて、現状の売った女性のみが差別の対象となり、買った男性が免罪されるという状況も改善されるべきでしょう。
  
 世の中にはお金を払わなきゃセックスができない非モテ童貞がいっぱいいるわけで、逆にお金さえ貰えば、非モテ童貞とでも寝てやってもいいっという寛容な優しい女の子もいます。もちろん、そこからも零れるほどの超非モテ童貞もいるでしょうが、交渉で金を無限に積めば限りなく可能に近くなるでしょう。
 現状の管理売春は、それこそ余程の非モテ童貞というか、超キモメンが行ったところで、まず断られることはないわけでしょ? しかも、その超キモメンが行っても、超イケメンと同じ料金で済むわけですよ。何故にそうなるのかという売る側の女性に選択権がなく、つまりは人権侵害が行われているおかげです。どっちが良いですかね?
 社会を基準に考えるならば、当事者の意思が反映されやすい自由売春が認められて、ヤクザなどによる管理売春の方は認められないべきだろう。というか、法的にそうなってるし。人道的にも社会的にも、いかなる理由をもってしても、自由売春が不可で管理売春が可になるというのは、どうにも理解に苦しむわけで、現在「援助交際」という言葉で批判的な扱いをされている「自由売春」は、自己責任で認められるべきと言えるでしょう。
  
 管理売春は認められないけれども、自由売春は認められるべきである、というのは近代主義としては必然のように思えるわけですが、この考えに反対する人もいるようで、「管理売春はプロであるからOKだけど、自由売春(素人売春)はアマだからNG」と主張する人もいます。
 その主張と、それに対する反論については、また後日アップします。アップしたらここにリンクを張ります。