スネ夫が言う「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者」
政府が「いじめ問題への緊急提言」というのを出したらしくて、その内容というのが、いじめをした子どもに対する指導、懲戒の基準を明確にし、「毅然とした対応」を取るよう、学校に求めるということです。
そして「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者」との指導を学校が子どもに徹底することも促すとのこと。
ここで気になるのは、岐阜県で中学二年生が自殺した一件です。
その後も詳しく知らないので不確かではありますが、この女子中学生は、いじめられていた子を庇ったが故に自分がいじめの対象にされたと聞きました。
野島伸二の「人間・失格」で、キンキキッズの堂本剛がやった役どころですね。
<いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する>
この密告の義務化は非常に問題が大きいです。
子供に対して、政府が「不作為」を加害だと言っているわけですよ。恐るべし。
密告により自分がいじめられることの前に恐怖で立ち竦んでいても、今度はそれを大人社会や政府から「加害者」として責められるわけです。これをイジメと呼ばずになんという。
正義感を教えることは必要です。そしてそれ以上に、誰かを助けるならば、自分の身の安全確保をしてからしかすべきではないという、広い意味での処世術を教えることが重要です。蛮勇など百害あって一利しかありません。
自らの安全確保が出来ていないときに、溺れる者を助けに飛び込むことは、人命救助で最も戒められることです。それを政府が、奨めているどころか「しないと加害者だ」と責め立てるわけですよ。
もう、いっそのことリアル加害者に回っちまったほうが得なんじゃないか?
岐阜県瑞浪の少女は、自分の理想を正義であるとして頑張ってきたわけでしょう。そして事実、彼女の理想は美しいまでに正義でした。誇るべきものです。
安倍が望む「美しい国」とは、この少女のような美しい正義感を理想とでもしているんでしょうかね?
アメリカをジャイアンと仰ぐスネ夫国家の首相が、のび太がいじめられるのを放っておきながら、何を抜かしとんねんという話ですわ。
「正義」を貫いた結果として「幸福」が訪れる社会が安定した社会と言えます。
しかし、「正義」と「幸福」は連動していないのです。
ヤクザで大成している人間は、「幸福」は目指して結果それを得ているかもしれませんが、別に「正義」を貫いたわけではありません。
瑞浪の少女は、「正義」を貫いた結果、最大の不孝をする「不幸」が訪れたわけです。
しかしおそらくそうは教えられていなかった。「正義」を貫けば「幸福」になれると思っていたのでしょう。そして「正義」に裏切られたから、自殺したのではないでしょうか。
これは、「正義」と「幸福」のどちらか一方を選択しなければいけないという話ではありません。
「正義」と「幸福」は必ずしも一致していない。乖離しているのだ、という話です。
乖離している場面で、どちらを選ぶのかは、個人の判断です。
しかし、その個人が選択するときに、選ばなかったほうのリスクを知っておく必要があるのです。
訪れるかもしれない不幸には口を噤んで、「正義」を選べ、選ばないと糾弾すると脅す政府に、どこに正義があるのかがサッパリわかりません。