被害者が加害者に謝る国・日本

  
 少し前の話ですが、父親の仕事の手伝いでAVを一本買いました。友達と一緒に買ってきました。
 私はAVのレンタルとか数回しかしたことなく、AVの購入本数も同じ程度しか買ったことないんですが、その数少ない中の一本です。
 一緒に買いに行った友達の家で見たのですが、その内容は、率直に言ってハズレを掴んでしまった。結局、そのAVは二度と見ることもなかろうと、その一緒に買いに行った友達の家に置いてきてしまったのですが、今思い出すと一箇所だけ面白いシーンがありました。
 手元にないのでうろ覚えなんですが、女の子にリモコンバイブをつけたまま車の助手席に座らせ、ドライブするという日常的な風景が、特典映像みたいな区分に入っていました。
 運転手でもある監督?は、わざと歩行者の多いところをゆっくり走り、さらに車の窓を開けます。するとバイブの挿さったAV嬢はエルゴスムに達しそうになっていますから、そのエクスタシーを街中で見られることに恥ずかしがるという粋な計らいなわけですわ。
 で、窓を開けられ、絶頂に達しようかという女性は慌てて監督?に言うわけです。「ダメだって。バレるって!」
 監督はさらに容赦なく人込みの交差点のそばに車を駐車します。そしてそこでまたリモコンの電源をオンにします。するとAV嬢が言いました。
 「ごめんなさい、許して」
  
 考えてみると、例えば、たまたま巻き込まれた人質事件とかで、犯人が刃物を首に添えて脅したり、あるいは拳銃をこめかみに向けたりすると、つい「ごめんなさい」とか「許して」とか「勘弁してください」とか「堪忍な、堪忍な」とか謝りたくなります。
 私が以前、海外で、友達三人とともに麻薬のリアルジャンキーにライフルを向けられたとき、一番先頭で銃口を突きつけられていた友達はしきりに「sorry」を連発していました。
 これが例えば欧米の人間であった場合、犯人に刃物や銃で脅されたとしても、もちろん「please」はつけるでしょうけれども、「help」であったり「stop」であったりじゃないでしょうか?
 私は今のところ欧米人に刃物や銃で脅したことがまだないので確かなことはわかりませんが、もし経験のある方がいれば教えてください。
 ともあれ、刃物や銃で脅す明らかな加害者に、なんの落ち度もない巻き込まれただけの被害者が、「ごめんなさい」「許して」と、謝り許しを請うているわけです。何も悪いことをしてないのに。悪いのは明らかに相手なのに。
  
 これは考えるに、もし「ごめんなさい」「許して」というのが、日本の固有な文化であるとするならば、原因は幼児期の教育にあるのではないか。
 おそらくほとんど全ての日本人は、幼児期に「ごめんなさいと言いなさい」と叱られたことがあるだろう。そして、謝るまで許されなかった。母親から怒られているという非常にストレスフルな状態に置かれたとき、それを回避するために言わされる「ごめんなさい」という刷り込み。
 自分が嫌なシチュエーションに置かれた場合、そのストレスから回避されたい場合、ほとんどオートマティカリーに「ごめんなさい」「許してください」という言葉が出てくるようにプログラミングされているんじゃなかろうか。
 幼児期の刷り込み、恐るべし。水子の魂百まで、わしゃ九十九まで。雀百まで踊り忘れず、わしゃ九十九まで「ごめんなさい」忘れず。
  
 日本人は謝罪すれば水に流す民族、という言われ方をする、のかな。
 そんな「謝れば許される文化」においては、解放されたくば「悪くなくても謝っちゃう文化」も一緒に形成しているんですね。