私が問題視しているのはアナタの血液型ではなくてアナタの人間性なんだけど

  
 未だに血液型を聞かれるときがある。で、勝手に予想を始めた挙句に勝手に納得して「わかるわかる」と頷きながら「で、A型であってるの?」とか確認される。
 この宗教儀式に付き合わされるのは何度も経験させられているので、慣れてはきているけど、やっぱりげんなりしますね。
 血液型性格分析というのは、科学的根拠はない、とされています。心理学、統計としても有意な根拠というのはなく、今までの実験からは「ある」という結果は一つも出ていません。現状、実質的に「ない」とされているような状況です。
  
 お遊びなんだから目くじら立てなくても良いじゃないかという声もあるわけですが、非常に迷惑なんですわ。
 これを国内だけで通用しているローカル的な宗教儀式と知らない友人が、海外に行って毛唐との会話に困っていきなり聞いたりするわけですよ。それを横で私は「あちゃー」と思いながら聞いているわけです。
 ニコニコしながら黄人が尋ねます。「血液型は何型? あ、待って、当てるね」
 この時点でヤンキーは引き気味ですわ。屈託なく聞いてきて、あまつさえ当ててみせるという。で、怪訝な顔をしながら私に聞いてきます。「俺の血を売るつもりなのか?」
 日本ではこういうゲームが流行っている、と説明するしかありません。
 日本では血液型の割合分布が「A:O:B:AB」が「4:3:2:1」という割合ですので、比較的バラけているから通用しますが、海外では地域ごとにB型因子が少なかったりして、お遊びとしても成り立たないわけです。
  
 で、この血液型性格分析やら占いやらですが、それぞれの型のパブリックイメージがありますね。
 A型 :几帳面で真面目
 B型 :大雑把で自己中心的
 O型 :大らかでお人よし
 AB型:二重人格で裏表激しい

 なんて感じのものが広く出回っていたりします。
  
 上のイメージの中から、イメージが良いのを二つと、イメージが悪いのを二つにグループ分けしてみてください。
 良い:A型&O型
 悪い:B型&AB型
 と分けられるのではないでしょうか。
 これをさっきの日本での割合分布と比べて見てください。
 4割のA型と 3割のO型という多数派グループが、2割のB型と1割のAB型という少数派グループを差別しているという構図が見えてきます。
 一割しかいないAB型などは、今では冷静な天才肌の一面があるとかフォローで言われてますが、以前は性格が悪くて結婚相手にしたくないタイプ、などと言われていました。あの地区の出身者とは結婚したくないという構造と同じですね。
 身分や階級での差別が大っぴらに出来なくなったから、血液型の少数派を科学を装って差別をするのが血液型分析やら占いです。
 露骨な差別を、お遊びなんだから目くじら立てなくても良いじゃないか、というのであれば、それはそれで覚悟のある発言だなぁと思いますけどね。
  
 また、ラベル効果とかレッテル効果と呼ばれる弊害もあります。
 人は自分や他人から真面目だと思ったり思われたり、つまりはレッテルを貼られると、それに沿うように行動を取ろうとする、という効果です。乱暴に言えば、期待や暗示によってそう振舞おうとしてしまう、(無意識を含む)心の動きです。乱暴だ。
 つまり、良いレッテルを貼られた人間は良いように働き、悪いレッテルを貼られた人間は悪いように働きます。
  
 さらに人間は、自分の予想が当たったと思いたいがため、相手の評価を自分の予想に当てはめます。
 全く同じ真面目な人間でも、第一印象で「真面目だ」と判断した人間は真面目に見え、逆に第一印象で「裏表がある」と判断した人間には、その裏を意識してしまうことになる。そしてつまらぬことで、悪い印象を持つものだ。そして普通なら気にもしないような些細なことを見つけると「ほら、俺の判断は正しかった」と悪いイメージを強固にするのです。
 高級で上等なワインであっても、安物のワインのラベルを貼られれば、安いワインでしか売れないのです。多くの人間は、ワインの善し悪しなど、わかる目利きではないのですから。
 あからさまに不当な評価を受けているわけです。この差別の実害をお遊びと呼ぶのであれば、覚悟があるなぁ、と別の意味で感心しますが。
  
 しかし、人間は差別が楽しいですからねぇ。メカニズムを説明したところで「だって良く当たるから」という非科学的な宗教を信仰するわけです。魔女狩りに狂喜乱舞しながらね。
 そして、B型やAB型は肩身が狭い思いをするわけです。
 私は敢えて言いたい。
 私はB型の女性が大好きです。B型女性最高! 愛してる