これはジェンダーによるものなのか?

  
 性的ATフィールドの壁異性愛者の同性愛感の忌避)について、女性の意見も聞いてみたいと思って、友人に話を聞いた。
 私:「やっぱりさ、ちんこを舐めてしまうと、全てが崩壊してしまうのではないかという感覚が男(私ね)にはあるんだけど、女の人だと、やっぱりまんこを舐めるときに同じような壁を感じるのかね?」
 女:「あー、わかる。でも、ちょっと違う。私、舐める方はもしかしたら可能かもしれないけど、舐められるのを想像するのはちょっと無理。つか、絶対無理。駄目だわ。比較としてまだ舐めるほうがマシ」
 私:「えーーーーーーーっ?!」
  
 そ、そんな違いがあるんですか?
 というのも、私は、まだ舐められるほうがマシなんですわ。どのみちかなりの究極の選択ですが。
 どっちもいや、というのは当然のことで、究極の選択ですよ。舐めるか舐められるか、どっちかしかないのです。
 どっちかしかないのならば、舐められるほうを選ぶ、ということです。
  
 その理由というのは普通に、舐めるほうは自分の主体的行動として現れるものであって、舐められるほうは受動であり、あわよくば不可抗力との認識も出来るというか、自らの選択で行動せねばならない舐める側という壁は高いでしょう、と。しかも、口とイチモツでは、浄汚というか、清潔感として、かなりの不平等条約じゃありません?
 しかし、その女性が言うには、主体的な舐めるほうが、受動的な舐められるよりはマシである、と。まんこを舐められるよりは、まんこを舐めるほうがマシだ、と。なんで? 普通は逆でしょ? どうなのマンコ・クッパ
 もしそれが男女の一般認識とそれぞれ合致するならば、それはやはりジェンダーの問題なのだろうか?  謎は深まるばかり。
  
 男は性行為において主体的役割を果たすが故に、それを同性に対して同じく主体的に振る舞うことを嫌悪し、逆に女性は性行為において受動的役割を果たすが故に、それを同性に対して同じく受動的に振る舞うことを嫌悪する、ということがあるのだろうか?
 あるいは、舐められるほうは自分の陰部を見られるということが影響しているのだろうか?
 私が男の感性を代表しているわけでもなく、友人が女性の感性を代表しているわけでもないので、サンプルがあまりに少なすぎるわけですが、これは非常に興味深い話だと思います。
 フェミニストは、このジェンダーが原因と思われる調査をしたことがあるのでしょうか? もししてないならば、したら如何かと思われます。
  
 もし、この社会学的に意義のある調査に協力しても構わないという、素晴らしい女性がいらっしゃいましたら、どうか「舐めるのがイヤ派」か「舐められるのがイヤ派」か、はてブでもコメント欄でもトラバでも結構ですので、学術に貢献するつもりで、教えていただけたら大変に有り難く思います。
 男は、まぁ、どうでもいいや。