蝶が飛び交うお花畑で

  
 私は、とても尊敬している恩人がいます。
 その恩人は、あらゆる分野に幅広く造詣が深く、いわゆる本物の教養人で、しかもそれを鼻にかけず非常に謙虚な尊敬するに相応しい人です。
 恩人が極めて教養人であるのに対し、その御母堂様は論理よりも感情で動くタイプの肝の据わった豪胆な方です。勢いが半端ではなく、スケールのでかい大物です。恩人などはかなり振り回されていますが、それを許してしまうような愛嬌のある女性です。
 その尊敬に値する恩人の御母堂様にも、私は可愛がってもらい、大変に恩義を感じているのですが、私は以前、そのご母堂様に対して結果的に大変失礼な裏切り行為をしてしまい、また他の事情もあって、もう二度とお会いすることは出来ないかもしれないと思っていました。
  
 あわせる顔がなくなった半年後、その御母堂様は病気で急に倒れられ、生死のはざまをさまよい、生き延びられておられるのですが、身体に障碍は残ってしまわれました。
 私は、お見舞いをさせていただきたいと、その恩人に伝えてもらったのですが、障碍のある状態を見られたくないから遠慮したい、との返事でした。
 私は、御母堂様が、そういう考え方をされる方だと存じていましたし、私自身、あわせる顔などない立場ですので、お見舞金だけお包みして、恩人に対しては、出来ることは何でもするから頼って欲しい、と伝えました。
 生き延びられたとは言えども、障碍は残っており、またいつ再発するかもしれない、という状況なのです。
  
 私はずっとお会いしたいと思い続けて、恩人にもそれを伝えていた先日、御母堂様から、身体の調子がいいから久しぶりに一緒に食事にもどうですか、というお誘いをいただいた。
 思ったよりもお元気で、約二年ぶりに同席させていただいている間中、私は感激でずっと胸がジーンとしていました。
 御母堂様も、生きて私と一緒に食事を出来ていることが幸運だ、とおっしゃってくださり、喜んでいただきました。
 まず命が助かったということが、僥倖と言っても過言ではない状況だったと聞きました。
  
 調子がおかしいと言ったところ、御母堂様の母上様(恩人の祖母)が、嫌がる御母堂様を半ば強制的に病院に連れて行かれたそうです。検査することとなり、お婆様は先に家に帰られたのですが、御母堂様はその病院の、ひと気のない廊下で倒れられたそうです。
 意識を失いかけながら、なんとか、這って、看護婦の見えるところまでいざり、そこで完全に意識を失いました。それを看護婦が見つけてくれて緊急手術となり、そこにたまたま専門に近い腕が良いと評判の医師がいたため、一命を取り留めた、というお話でした。
 御母堂様は最初に倒れられたときのことをこのように話しました。
 「倒れたときに、頭の中には、お花が咲き乱れていて、蝶がとても優雅に舞っているのが見えたの」
 おそらく何度も聞かされていたのであろう恩人は、私に「聞き流して良いよ」という態度を表しました。
 言ってしまえば、ありがちな臨死体験の描写であり、確かに恩人の立場に立てば、気恥ずかしいのは想像がつきますが、私は真剣に聞き入っていました。
 それは、御母堂様に対する礼儀の問題とかが理由ではなく、本当に私が話を聞きたかったからでした。
  
 というのも、たまたま、その食事の直前に私が読んでいた本に、極寒の地で、寝てしまえば先に死が待ち構えているとわかっているにもかかわえあず、心地よい眠りの誘惑に出来そうにない、という心理描写が書かれてあった。
 私はそれを読んで、私は心が折れるだろうな、と思っていた。
 その場面に自分をおいた際、寝たら駄目だ、という意識よりも、まぁいいか、という諦めというか、心の弱さにすぐに負けるだろうと思えた。
 心の弱さ以前に、生きて何かを残すということへの執着が、あまりにも弱い。
 死ぬ必要がないから生きている。理由無く死ぬと迷惑がかかるから生きている。こんな程度だ。
 生きて何かする必要があるから生きようとしているといった、生に対する執着というものが、ほとんど皆無に近い。
  
 御母堂様は、その心地よい蝶の舞うお花畑で、その心地よさはわかっていながらも、頭の中のかすかな「人のいるところまで行かなくちゃいけない」という、ひと筋の指令があったために、お花畑から這い出していった、とおっしゃってました。
 恩人は「真面目に聞かなくてもいいからね」と言って席を外しました。
 御母堂様は続けてお話されました。
 「私は死ぬことは、死んでしまってもいい、仕方がないと思っているんだけど、唯一あの子(恩人ね)のことだけは心配でね。兄弟もいないし一人になってしまうから。瀧澤さん、一生連絡がつくようにチャンネルは切らないようにしていてもらえる?」
 「はい」 私が切られることがあったとしても、私から切ることは有り得ない話です。
 「あのとき助かって、おかげであの子とこれまで一年以上は一緒に長くいられたんだから、本当にありがたい。嬉しい」
 そこに恩人が戻ってきました。
 「親孝行しなね」と私が言うと、話のわからない恩人は「してるよ」と答えました。うん、確かにしてる。
  
 私も、最愛の人や、家族が浮かぶとき、心地よいお花畑から、ひと筋に向かい這って行けるのだろうか。
 何事にも動じない感じの御母堂様が、あまりにも大きな虚無である死を臨み、私は初めて御母堂様のしおらしい一面を見た気がしました。それはとても愛しかった。
  
 私は御母堂様に、何十回とご馳走になっていたのですが、今回は格別でした。
 本来ならば、とても許してもらえなくても仕方がないのことなのですが、誘っていただけたこと、そして、ご一緒できた奇跡で、ずっと感激しておりました。
 「また、調子の良いときに是非ご一緒させてください」
 帰り際に私がそう言うと、「うん、そうね。今日は嬉しかった」と言われました。
 私は部屋に戻ってからも、とてもとても嬉しく、何度も何度も心に刻み、反芻したのでした。