女性は可愛ければそれでいい

  
 好きな女性のタイプの話です。
  
 性格など破綻していようが、美貌を鼻にかけていようが、可愛ければそれでいい。
 優しかった女性も、何かをきっかけにいつ心の中の修羅が目を覚ますやもしれません。
 同じような感性を持っていると思っていても、いつパウロの回心が起きて、新興宗教にはまるとも限りません。
 人の心は移ろいやすいものです。それに比べて、美しさというのは、時間をかけてゆっくりと劣化していく。容姿が劣化していく過程で、性格が良く変わっていく可能性だってあるわけです。
 性格の悪さや、考え方の違いで喧嘩になったとしても、美しさという別の全く別の価値観に美点を見出せば、「まぁ、可愛いからいいか」という解決も可能です。
 性格や考え方で相手を選んでしまった場合、そこの相違で喧嘩になってしまったら、どう解決したら良いと言うのでしょう。
 女性は器量良しに限る。女性は可愛ければいい。
  
 そう考えていた時期が俺にもありました。
 なにがどうしてそうなってしまったのかサッパリわかりませんが、パウロよりも私の方が目から鱗が落ちたようで、塩見孝也も驚くほどに私は転向しました。
 まず、綺麗な人が怖くなってしまったんですね。
 綺麗な人は好きなんですよ。好き好き大好き。もうね超好き。好きなんだけれども、同時に恐れてしまうわけです。
 恐れすぎちゃって、綺麗な人が向こうから寄ってくるだけで、なんかもう騙されて傷つけられるんじゃないかと身構えてしまうわけですよ。
 言うまでもなく、向こうには騙すつもりなんかなく、勝手にこっちが騙されているだけですよ。騙されるもくそもなく、勝手に転んでるだけですわ。
 向こうにその気もないのに、こっちが勝手にドキドキして、後になってから一人で、頭の中でなんか引っかかってて、ヤバいこのままでは惚れてしまいそうだと必死にそれを打ち消そうとやきもきするわけです。
 俺とは住むジャンルが違うじゃないか、などという極め付きの説得力で、惚れそうになる色気を押さえ込む。
 それはそれで楽しくないことはないのだけれども、隙を見せたら惚れちゃうので、必死に葛藤しています。惚れちゃいそうだから怖いんです。
 もう、あんまり綺麗だと、恋愛の対象としてすら見られません。というか、見ないようにしてるんです。必死に。こ、こわい。こわいよー。
  
 むしろ最近は、知性の方が重要です。
 単純に偏差値というだけの話ではなく、物の見方のほうで、性能の良い女性がいいですね。
 物事を良く知っているということよりも、ある事象に対して、どうしてそういう現象になっているのか、というのを合理的に説明できる能力を持つ人と会話をするのが楽しいです。
 その合理的な説明が正しいかどうかは重要ではなく、その説明の中の一貫性や整合性が取れていて、その組み立てがきちんとされていて納得できれば、それだけで惚れてしまいそうです。というか、惚れます。
 こっちは不思議と惚れても怖くありません。
  
 性格が良いなんてのは、あまりに良過ぎると、一歩間違えれば莫迦ですから。
 性格の悪いところを、理性で隠そうとしているぐらいが調度良いんです。
 根っからのお人よしで性格が良いのは、単なる善意の垂れ流しであって、ほどほどの性格の人が理性で意図的にしている善行の方が好感が持てます。
 理性で意図的に、見える「性格」をコントロールできる人は、充分に知的な人ですから、性格の善し悪しよりも、知性の方が重要です。
  
 綺麗な人は怖いんです。可愛い人にビビっちゃうんです。
 これはもう、若くないということなんでしょうかね。