ウェブログでのふぁんれたー

  
 私は、これまであまり交流系のウェブログ使用を控えていたので、他のウェブログ記事のトラックバックや、あるいは私の記事に対してのブックマークコメントに返事を書くなど、あまりしないようにしていました。
 うれしいコメントや、面白い指摘などに反応したくなるのだけれど、反応しだすと反発を持ったものにも「コイツ阿呆やろ」と勢い余って反応することが目に見えているので、一律に出来るだけしないように考えています。普通のコメント欄に関しては、存在意義として交流のためのものであると思っているので、気にせず返事を書きますが。
 私自身のブックマークについても、色気に負けたものと、知り合いから言及されたものへの嫌がらせ以外は、使っていなかったわけで、それは使い出したらネガティヴコメントを付け出しそうな気がするからでした。これはしないように気をつけたい。
 他のウェブログのコメント欄にも、あまり書き込んだりもしてないですね。そういうふざけた姿勢のわりには、はてブコメントもそれなりにはいただいていて、本当にありがたいことです。
  
 しかし、やはり和気藹々と交流している人たちに比べて、キモい意味での「自己完結」しちゃっているウェブロガーというのは、それなりに反応を貰えるにしても、なんとなく虚しさをともないます。
 それはまるで、真っ暗闇の洞窟に向かってキャッチボールをしているような、そんな気分です。
 コメント欄に返事が来たらキャッチボールの球が返って来た。はてブコメントなら「ナイスボール」とか「悪球だ」とかの声が聞こえる。誰かがいるな、というのはわかるわけです。
 しかし、何もない場合だと、ボールを投げた、暗闇の中で誰かが捕っているのか、あるいは、誰も捕らずに地面に転がっているのに投げているのか、不安による虚しさがともなうのです。
 文章を書いている段階では、真っ暗闇の洞窟に人がいるかどうかもわからないわけで、このボールを受けたい人なんていないのかもしれんのだよね、と思いつつ、一球入魂しているわけです。
  
 おそらくね、ボールが返って来ない心配なんかは必要ない人とかもいるんですよ。RSSやアンテナが100人をかるく超えてます、みたいな。コメント欄も大盛況で和気藹々と、たまに一見さんが来てもソツのない対応でいなしますから、そんな姿を見ても誰も突っ込まないでね、って感じで。
 そんな人はボールが返って来ない心配なんかは杞憂ですわ。それでも本人は心配してるとは思うんですけどね。あるいは、ブックマークが二桁いかなかったな、どこがいけなかったんだろう、みたいな贅沢な悩みを持ってたり。私のクリーンヒットはそういう人たちの凡打なんですわ。まぁ、私は万人向けてではなくて、ニッチ産業ですから、バントバントでコツコツいけばいいんですが。
 もちろん、文才やら、交流においての気遣いやら、キャラクターやら、おもてなしの心や技術によって、ボールは返って来るべくして返って来るわけで、それは素晴らしい才能なのです。
 しかし、私にはそんな才能はないわけで、暗闇に虚しく投げるしかない。
  
 もうね、はてなアンテナRSSに登録してくれている人なんかは、頬擦りしたくなる気分ですよ。まだ未登録のあなた、そう、今これを読んでいるあなたですよ。あのね、登録すると私が喜びます。
 登録にのみ、見えない向こうに必ず人がいることの保証と、書き手には思える拠り所があります。こちらに良い印象などなくとも、相手が存在している、というだけで心強いわけです。
 ただもっとも、登録してあっても、ボールを受け取っているとは限らないというのは、最後まで付き纏うわけなんですが。厳密には保証にならないんですけどね。
  
 さて、こちらのishさんのish☆走れ雑学女ブログも、和気藹々の交流型ではなく、発信型のウェブログです。いや、どっかで交流しているのかもしれませんが。
 ishさんは、桁外れに非常に頭の良い人で、私がネットで見知ったうちのツートップの一人です*1。別格です。知識量、情報の処理能力、理論の組み立て、全てにおいて秀でています。オールマイティに万能です。知的にクレバーです。
  
 ishさんのウェブログで私が気になったのは、交流型ではなくて発信型と思われるテクストのわりには、「ですます」調で書かれているという点です。
 普通、発信型は自己完結の文章になりやすいのです。
 私は、自分では自分を、「ですます」調と「だである」調を混ぜた文章を書くのが上手い、と思っているわけですが、そんなものは世間一般から見れば、混ざってる時点で、文章が下手だと認識されるのである。
 たとえば、こちらのサイトなどは、キモいほどに自己完結型ウェブログで、「だである」調を原則にしているらしい。が、文章が下手なのでたまにごっちゃに混ざったりするが、基本的に自己完結の「だである」調である。
 自己完結型の文章は「だである」調になりやすいのです。
 返答を期待した語りかけではなく、言い切りだからです。言い切ったときの方が、語りかけるよりも、返事がないときに傷が浅いからです。
 普段の独り言で「ですます」調って、あまり無いでしょ? 「暖かくなってきたな」とは言っても、「暖かくなってきましたな」と独白することはないわけです。「あっ、梅の花だ」とは言っても、「あっ、梅の花です」と独り言では言わない。
 発信型→自己完結型→「だである」調
 こんな感じ。
  
 ishさんは、発信型で、自己完結ながら、文体は「ですます」調です。そして非常に面白い。キモくない。これは凄い。
 しかし掛け値なしに面白いにもかからわず、コメント欄には反応が少ない。というのも、コメントするのに、なんかの登録とサインインが必要だからです。
 語り掛け口調でありながら、反応がないというのは、暗闇へのキャッチボールです。
 おそらく、私のウェブログの何倍も、何十倍ものアクセスがあるのであるからして、私如きに心配される謂れもないのだけれども、ウェブログを続けるモチベーションは萎え易いのではないかと思います。
 ブックマークのマークとかも付いたのだけれども、内容の高さに比較してしまうと、ブクマ数が少ない。あれだけの内容ならば、もっとついてもいいはずです。
 自分が不安であったり虚しさを怖れるあまり、お前が言うなながら心配してしまうのです。
  
 だからつい言いたくなってしまう。
 すごく楽しみにしていて、特に高度な内容のものについては、画面で読んで、さらには紙に印刷してからまた読んでいます。
 まだコメントもブクマもしてないけど、非常に楽しませてもらっています。ありがとうございます。
 これからも楽しみにしています。

*1:もう一人はうちなんちゅ