小沢健二の美しさ

  
 私は「どんな音楽が好きなの?」と訊かれると、フリッパーズギター小沢健二と答える。オザケン♪ね。
 ベートーベンやバッハやアルビノーニなどのクラシックの名前を挙げるのもスカしてるし、ビートルズというのもなんかあれだし、ジョピンと言ったってねぇ。
 で、邦楽というかJ-POPから答えようとすると、一番好きな歌手を答えると、あまりにもあまりにも過ぎて恥ずかしいので、恥ずかしくない二番目にこよなく愛する歌手を答えると、フリッパーズギターになるのですが、極希に「ナニソレ?」と言われることもあるので「オザケン」と答えます。
 毎年夏になると『カメラトーク』を聴いてます。生涯のパワープッシュ。超ヘビーローテーション。夏にカメラトークは欠かせません。クーラーにカメラトーク
 夏のイメージのCDなので、毎年夏には必ずCDトレイに入りっぱなしの一枚です。夏の定番。
 チューブやサザンなんて聴かない。あれは、海に行く途中でオープンカーのカーステで聴く音楽でしょ? 海いかないしね。オープンカー持ってないしね。クーラーの効いた部屋で『カメラトーク』。夏にはコレです。
 そして春でも秋でも冬でも、思い出してはCDトレイにセットし「きちがいじゃが仕方がない」と呟きながら堪能するわけです。
  
 で、オザケンなんですが、歌が下手なんですわ。酷いもんです。百歩譲っても音痴。しかし天才なのです。東大出てます。
 インテリにしか書けない詩を、さらりと書いている。
 ♪ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ〜♪
  
 オザケン『さよならなんて云えないよ』という歌があります。森永ダースのCMソングでした。当時は王子様でした。
 タイトルを見て、歌詞をさらっと聴くと、「美しき青春の日々で訪れる、悲しい別れ。嗚呼、お別れするのは辛いけど」という印象を持ちます。こんな楽しい仲間たちに、さよならなんて言えないよ、と。
  
 ところが歌詞をよく読むと、オザケンは、えらく醒めているんです。思いっきり「別れ」を受け入れています。
 ♪南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる ♪
 ♪“オッケーよ”なんて強がりばかりをみんな言いながら ♪
 ♪本当は分かっている 2度と戻らない美しい日にいると ♪
 ♪そして心は静かに離れてゆくと ♪
 「旅立つ日をずっと待ってる」し「心は静かに離れて」いくとわかってるし。
 「町を出て行く君」に「強く手を振りながら」別れを受け入れ、そのうえ「心は静かに離れて」いくとわかっているという醒めたオザケンが、どこが「さよならなんて云えない」んでしょうか?
 これは友達との離別を惜しむ歌なんかではなかったんですね。ならば、何に対して「さよならなんて云えない」のか?
  
  
 『さよならなんて云えないよ』は、後に『ある光』というシングルCDのカップリング曲になります。マーケットプレイスで¥12800より、って……
 カップリングで収録される際、若干の歌詞の変更とタイトル変更があり、スローバラードバージョンで収録されています。
  
 『さよならなんて云えないよ』の歌詞には「oh baby」という合いの手の入るフレーズが4種類あります。
 ♪美しさ; oh baby ポケットの中で魔法をかけて ♪
 ♪心から; oh baby 優しさだけが溢れてくるね ♪
 ♪いつの日か; oh baby 長い時間の記憶は消えて ♪
 ♪優しさを; oh baby 僕らはただ抱きしめるのか?と ♪
 『ある光』のカップリングでは、曲の中では歌われているのですが、付属の歌詞カードでは、♪美しさ♪の歌いだし以外の「oh baby」が消されています。
 他の3種類は「oh baby」を省いてみますと、
 ♪心から優しさだけが溢れてくるね ♪
 ♪いつの日か長い時間の記憶は消えて ♪
 ♪優しさを僕らはただ抱きしめるのか?と ♪
 という具合に、文法上も繋がるのですが、♪美しさ♪だけは繋がらないのです。
 ♪美しさポケットの中で魔法をかけて ♪ と不自然になるのです。
 他の部分の「oh baby」が『合いの手』であるなら、♪美しさ♪の後のは♪美しさ♪に対する『呼びかけ』なのです。
 そして『さよならなんて云えないよ』から、スローバラードになって変更されたタイトルこそが『美しさ』です。
 小沢健二の、その『美しさ』に対する思い入れの深さがわかります。
 で、そのポンっと出された『美しさ』とはなんなのでしょう?
  
 この『さよならなんて云えないよ(美しさ)』では、♪青い空が輝く太陽と海のあいだ♪と始まる前半部分で、友達との楽しい交流が眩しいほどに描かれていて、その高揚感は♪左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも♪と、エクスクラメーションマークの連発でピークに達している。この高揚感の凄さは何故かタモリが絶賛したほどだ。
 しかし高揚感のピークも間もなく、すぐに「旅立つ日をずっと待ってる」し「心は静かに離れて」いくと、いきなり醒めたオザケンが登場する。
 オザケンは、高揚する場面にいながらも、冷静に醒めた目で、将来から見て今の状況をどう思うのか? 将来はどうなっているのか? を、冷徹なまでに見据えている。
 しかも「僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも」と言ったそばから「本当は分かっている 2度と戻らない美しい日にいる」というところまで、既にわかってしまっている。
 それは♪今日がとても楽しいと 明日もきっと楽しくて そんな日々が続いてく そう思っていた♪と歌う浜崎あゆみとは対極にある。高揚感の中でも徹底的に客観であり、時間的にも俯瞰である。
 俯瞰視が可能であるからこその悲しみが見えている。
  
 人生においては、別れが生ずることをわかっている。それは仕方のないことである。
 別れは、新たな旅立ちを生むこともあり、それは希望に満ちた出発である。「南風」のように暖かい後押しを出発に期待している。♪南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる ♪
 そしてオザケンは、新しい生活では、今は絶対に切りたくないと思っている美しい友情すらも、静かに離れていくということを知っている。知っているからこそ達観し、それは仕方がないことだと全てを受け入れ、責めない。♪本当は分かっている 2度と戻らない美しい日にいると そして心は静かに離れてゆくと♪
  
 その全てが見えているオザケンは、「心は静かに離れて」いくことを、逃れられず止むを得ないのだと知りながら、何に「さよならなんて云えない」のか。
  
 ♪いつの日か; oh baby 長い時間の記憶は消えて ♪
 ♪優しさを; oh baby 僕らはただ抱きしめるのか?と ♪
 ♪高い山まであっというま吹き上がる ♪
 ♪北風の中 僕は何度も何度も考えてみる ♪
 歌詞の一番最後です。
 超人のオザケンは、客観的に鳥瞰的に見えて「知っている」からこそ、今現在の「記憶」も、いつかは将来的に消えていくことを知っています。
 しかし、この「永遠に続く」と思えるほどの美しい高揚感だけは、消えると知っていても、それに抗いたい。この最高潮の記憶だけでも死守できているだろうか?と心配しているのです。
 記憶は風化されます。オザケンの知っているように、どんな大切な記憶でも風化されるのです。記憶にとって長い時間は、厳しい北風のように吹き付け、風化させていくのです。
 それに抗うため、オザケンは何度も何度も記憶を心に刻み込むのです。
  
 『さよならなんて云えないよ』は『美しさ』というタイトルになりました。
 「さよならなんて云えない」のは「美しさ」に対してです。「美しさ」とは「記憶」つまり「思い出」のことです。
  
 ♪美しさ; oh baby ポケットの中で魔法をかけて ♪
 自分の中だけで思い出に消えない魔法をかけて、ずっと胸に抱きしめ続けられるようにと願うだけで、それ以上の無理な要求はしない。それは不可能であり、裏切られることは止むを得ないことであると知っているからです。
 そしてそれは「永遠に続く」と信じた、その「瞬間(刹那)」の気持ちさえも否定することになるからです。
  
 友達に対して「さよならなんて云えない」のではなく、『美しさ』=『思い出』だけは、ずっと心に残しておきたいと、忘れたくないと、高揚感の直中で考えているのです。
 刹那い。