知的な女性が好きなわけ
前に女性の好みについて、最近は顔よりも知性が優先されているという話を書きました。
綺麗な人は好きなんですよ。好き好き大好き。もうね超好き。
ぶっちゃけね、一発だけ記念に一晩と言われれば、それはもう可愛い人を選びますよ。一期一会ならば。
しかしですね、「可愛くて頭弱そう」という女性と「頭が良くて顔はイマイチ」という女性で、一生一緒に過ごすのならば、私は迷わず後者を選びます。
頭が良いといっても、偏差値や学歴はあまり当てにはなりません。しかし他に指標もないので、それなりに役には立ちます。
人を愛する場合、愛する人に跪きたい、という欲求と、愛する人を跪かせたい、という、相反する欲望が、綯い交ぜになった状況です。
美人であるという場合は、圧倒的な美の前に跪きたい、あるいは、この美しき女性を汚したい、となるわけです。
これがインテリの場合は、知性の前に跪き、そして、知性高き人を跪かせたい、となるわけです。
「美」というのは、視覚的要素で、判断に非常に大きく影響を与えるわけですが、人格や人間性に密接であるように感じられるのは、知性の方に分があります。
つまり「美」というのは外的な価値観であるのに対し、「知」というのは内的な価値観です。
この「跪く」「跪かせる」という主体は、これは「人間」であって、内的な「感情」「心」の問題であり、やはり近いのは「美」よりも「知」のような気がします。
今はどうしているのか知りませんが、以前、滝波リサという、学院生の風俗嬢がいました。
その女性が、次のように書いております。
院生が 好きな客も いるんやなあ セックスよりも、卒論受けた(川柳)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/4076/senryu.html
卒論の話はわりといろんなところでウケるんですが、客にも受けてちょっとうれしかった。
でも、インテリ風の女子を相手にしたい=「ふつうの」風俗嬢は「知識がない」からいや、という構図なんじゃないかと思ってこわかった。
何がこわいのかがわかりませんが、風俗嬢に限らず、「ふつうの」人間は「知識がない」ものなんですが、いやとは思わないけれども、知識があることは悪いことではない。まぁ別段、そんなに得をすることもないんですがね。
ともあれ、一般的に言って、風俗嬢になるのは、極一部を除いて、知識がない人がなるものであるし、その中において、滝波がインテリかどうかと問われれば、明らかにインテリでしょうから、それは、なかなかにポイントが高い。非常に高い。
性的な行為が、他者との自我を溶かし合う行為であるとするならば、インテリの「知」をも含む人格を溶かし跪かせる行為であり、これはポイントが高い。これはもう、良いですよ。
カントの講義を聴きながら、カントを後戯するなんて、漢の夢ですよ。浪漫ですよ。
「ほら、ちゃんと発表を続けなきゃ駄目ぢゃないか」
なんて言いながら、院生をいぢめる教授なんて設定で、ほらもう2回戦が始まっちゃうよ。
インテリというのは概してプライドが高いものであり、プライドが高いほど「跪かせる」落差が大きくなるわけです。
私は生来の○○っ気質なので、「人格を否定する」まではいかないまでも「人格を毀損する(跪かせる)」状態に古傷のヰタ・セクスアリスが刺激されるのです。仮面の告白。
もちろん、「知的な女性が好き」というのは、話をするのが面白い、というのが、ほとんど全ての理由ですよ。ホントだってば。
お互いに刺激しあう楽しい会話が一番大切ですよね。うん。
あ、滝波リサのページ別のがありました。