窓から銃口がのぞいているぜ

  
 恥ずかしいといえば、普段他人に見せない姿を見られると恥ずかしい、という感情が湧きます。
 普段見せない姿といえば、性行為や排泄や裸体です。
 でも、温泉や銭湯で見られるのは、普通であるが故に、そこまでは恥ずかしいわけではありません。
  
 今までで一番恥ずかしかった経験はと言うと、そう、あれは忘れもしない、そう、何年も前の夏のことだった。
 十九歳の夏休みを地元で過ごしていた私は、昼ちょっと前に起き出して、寝汗でじっとりとした身体をシャワーで流し、そしてクーラーの効いた部屋に入り、お袋が作ってくれたそうめんを食べていた。
  
 久しぶりの実家。シャワーを上がり、バスタオルで身体を拭うと、トランクスを履き、そのバスタオルを首からかけると、久しぶりのマンガを読みながら、片膝を立ててお袋の作ってくれたそうめんを流し込む。
 なんかほのぼのとした、生活の中の小さな幸せ。
 美味いなぁ。
 お袋は、さらに次々とそうめんのいっぱい入った器をガラスのテーブルの上に置いていく。いやいや、わんこそばじゃないんだから。
 違った。どうやら兄貴の家族も遊びに来ていたらしく、お袋は兄貴やその嫁さんのそうめんを、私が食べていたガラスのテーブルに置いていった。
 懐かしいマンガを読みながらそうめんを食べていると、隣の祖父の家から、兄貴と義姉が帰ってきた。
 私は、無作法にもマンガを読み、トランクスいっちょに、首からバスタオルで片膝を立てた姿勢のままで挨拶をし、そうめんを食べていた。
 「お先に」
 私がそのまま食べていると、兄貴、義姉、お袋、親父が順々にテーブルに座り、一緒にそうめんを食べだした。
 さすがに私も愛想が悪いかと、マンガを閉じて後ろに置き、テーブルに向き直った瞬間である。
 私はマリー・アントワネットさながらに、一瞬にして白髪になるかと思った。
 トランクスの社会の窓の部分から、私の44マグナムの先端が思いっきり顔を出しているではないか。顔ではなく頭というべきか? いわゆる「亀頭」だ。かの「先っちょだけだから」の先っちょだ。
 ちょっちょっちょっちょっちょ
 いやいやいやいやいやいや
 テーブルは思いっきりガラス板である。思いっきり透けてます。シースルーです。
 これは一体どうしたものか。
 どうするもこうするもない。気付いたことに気付かれることの方がコトである。
  
 これは、本当に納得のいかない話である。
 私は、用を足すとき、ズボンのチャックを開け、トランクスは、右手で左から裾ごと右に持ってきて、自慢のイチモツを露出し、放尿する。
 トランクスの中央に、あんな穴など必要ないのだ。
 私は普段、その穴は、ボタンで厳重に開かないように閉じているのだが、実家においてあったパンツまでは管理が行き届いていなかった。
 その日、私が履いたトランクスは、そのいわゆる「社会の窓」と呼ばれる部分のボタンがされていなかった。迂闊だった。
 全く以って不徳の致すところであった。痛恨の出来事である。*1

 この十九歳という性春真っ只中で多感な時期、私はあまりにも無防備だった。
 確かに私にも少なからぬ落ち度はある。
 しかし、どう考えたところで、トランクスの前の穴は必要が無い。というか、あれ、使っている人ってどれぐらいいるの? なくても良くない?
 親切ごかしにあんな穴を開けて、実はこんな理不尽な罠をしかけている。私はHanesを訴えたい気分である。
  
 とまれ、このときほど居た堪れないときはなかった。
 隠すわけにもいかず、家族や義理の姉さんの前で、私の可愛い亀がご挨拶している。
 そしてそれを肴に一家でそうめんを食べている。シュールだ。ダダだ。サイケデリックだ。
 私はそうめんを食べながら、その愚息がゴキゲンな状態にだけならないように神経を集中した。

*1:男根の出来事でもある