セーラー服とタツノオトシゴ

  
 私にはかなり歳の離れた姉がいまして、姉には高校生になった甥っ子がいます。
 その甥っ子の学年末テストが終わりまして、もう春休みに入ったようで、一家でグアムに旅行に行きやがりました。
 それはいいんですわ。
 我がお袋からですね「今日、帰りにクリーニング屋によって受け取ってきて」と頼まれました。甥っ子の制服でした。これが姪っ子だったらコトですよ。
 休みに入ってすぐにクリーニングに出して、そのまま出国し、帰国した翌日からはまた合宿があるらしいんですわ。それでお袋が頼まれたことを、私が孫受けした状況です。
  
 しかしこの制服、なんとかならないもんですかね。
 よく「制服は個性を潰す」なんて批判がありますが、制服如きで潰れる個性なんかは潰しておけばいいんです。
  
 それよりも、この不衛生は何とかならんか。
 この学生服は自宅で洗えるようなものではなく、クリーニングに出さなくてはなりません。クリーニングに出すまで同じ服を着続け、しかも汚さないようにと気をつけると、動きまで制限されてしまう。構造上も動きにくい。
 また、何着も替えを用意しておけるほど安いものでもないし、挙句の果てに、何着も用意したところで、女子と違って男の場合は、応援団にでも入らない限り、卒業してしまえばもう二度と着ることのないことは間違いがない。
 ジャージーにしても、もうちょっと卒業してからも使える汎用性があっても良いのではないかと思ってしまう。
  
 ただ、制服にもこれ、それなりの利点があるわけです。
 日本の学生服は、軍服から生まれたという話を聞いたことがあるのですが、制服というのは本来、軍隊や国家、学校や会社など、何かに帰属することを表す。今、若い女性には「愛されOL」系のモデル、エビちゃん蛯原友里)が(中略)。そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。
 それはいいとして、仲間意識・共同体意識を芽生えさせます。
 また、服というのは、見た目を変化させる効果、体温を保つのを助ける効果の他に、意識を変化させる効果があります。
 戦国時代、鉄砲が一般化して以降は、鎧兜などは物理的な防御性はあまり期待できなくて、むしろ「戦場に行くのだ」という意識の問題の方が大きいと、織田信長に聞いたことがあります。
 学校に行くために制服を着ることで、意識の改革とともに、学生という立場の再確認もできるわけです。
  
 小学校のランドセルなんかも、これまた極めて邪魔臭いわけです。
 決して安いものでもなく、背負ったままで前に落としたものを拾おうとすると、中身が全部ダバダバダバとスキャットしながらこぼれてしまう優れものです。
 両手がフリーだから安全だというけれども、そんなもん、安いリュックサックでも良いじゃないか、と思う。
 しかし、馬鹿馬鹿しいが、小学生は、このランドセルを背負うことで意識改革を目的とされているのかもしれない。
 雨の降った遠足予定日に、皆が授業の用意をランドセルに入れて持ってきている中、一人だけ浮かれて遠足の準備をリュックサックに入れて登校したことが君にあるか?
  
 ともあれ、制服というのはそれなりに利点もあるので、残したほうがいいと思う。いや、ブルセラ趣味とかではなくて。ほんと。
  
 で、制服の存続を望んでいるのですが、どうしても改善されたらいいな、と思うことがある。
 制服のスカートとズボンの選択制です。
  
 私に知り合いで、パンツの好きな女性がいた。いやグンゼとかじゃなくて。パンツルックね。いや、パンツが見えてるとかの親父ギャグじゃなくて。ボトムはスカート履かない、みたいな。いや、パンツは履いてるんですよ。いや、パンツと言っても、あー、面倒臭せー。
 これ、ズボンのことパンツとか言い出した奴は誰なんだよ。ズボンだズボン。ズボンしかはかない女性がいたんですわ。友達の彼女なんですけどね。
 で、似合わないことに東京の山奥の河川にバーベキューしに行ったときに、彼女がズボンの裾をめくったんですよ。
 すると、ふくらはぎに真っ赤なタツノオトシゴがいるんです。
 昔からデリカシーに定評のある私は「あ、知らなかった。初めて見た」と言ったわけです。なんか、気が付いたのに触れないのも、耐えられなかったんですわ。許して。
 彼女は「ああ、痣?」と答えました。「それでいつもズボンなの?」 我ながら気が利く男です。
 「子供の頃にね、気にしてたんだ。だからそれ以来スカートが嫌いでねぇ。だからセーラー服は嫌いだった。ソックスはいても上の方が見えちゃうし」
 「そうだよなぁ」 そ、そんな会話でいいのか? 俺よ。
 「今は別に気にしてないから」
 「あー、そうなんだ。まぁ、別に気にならないけどね」 それが限界か? 俺よ。
 「うん。そんなことどうでもいいって感じ。というか、私ね、ヘソの下にね、横に長く、もっと大きな痣があるのよ。他の人のそんなとこ見ないじゃんね。だからずっと誰にでもあると思ってて、蒙古斑みたいな感じ? ふくらはぎはみんなないからショックでさ。それでコンプレックスだったんだけど、もう今はヘソ下のほうのショックがでかすぎて、ふくらはぎなんて些細な問題って感じ」
 「……」 なんと答えていいのかわかりません。つか、ヘソの下を想像した時点で負けてます。ヘソの下ってどうなってるんでしょう?
 「まぁ、雅史君(私の友達で彼氏ね)は気にならないといってくれるからいいんだけど」 まぁ、見せてるわけですわね。うん。
 「そんな目立つんだ?」 これぞデリカシー。
 「うん。龍みたいである意味格好良い。あははは」 いやいや、そんなところにお母さんがいましたか。落とし児がふくらはぎにいますよ。
  
 スカートは、足に傷や人面瘡があっても隠せないし、風が吹いたら桶屋が儲かるし、スカートめくりをする輩もいるし、タシロも植草さんもいるし、スカートを強制するというのには反対だ。
 だいたい今の制服なんか、普通にしていてもパンツが見えそうではないか。あんな制服を強制している学校はどうかしている。
 なんか、id:annojoさんのウェブログのコメント欄

えぞりすさん
お笑いタレントのハリセンボンの細いほうの方が、スカートが嫌いで(決して男性的ではない)中学から制服がスカートだったために性格が暗くなったという話をTVで拝見しました。現状の学校では女子がズボンをはくことは難しいのでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/annojo/20070225#c1172420597

 ハリセンボンの細い方というと、あの自虐の詩にでてくる幸江さんのことだと思うが、こういうケースはあると思う。
 たとえば私が慣れないスカートを履くとすると、なんか、ものすごく心許ない気持ちになるだろう。
 是非とも、スカートを履くか、ズボンを履くかは、自分で選択できるようにするべきである。
 そして、男女平等の立場から、男子のスカート着用も許可されるべきだろう。