売春婦を差別しないという人間の欺瞞

  
 なんか、売買春に対する差別のことで、なんかすごいことになっているそうですが、ただもう、余りに長くて追いつけないんですわ。
 なんかよくわからないんですが、人が一人壊されそうだという話なので、大変なことになってますね。
 私は、ネット上の罵り合いで人が壊れる様を何回か見てきましたが、おもしろうてやがてかなしきメイドの足袋の一里塚めでたくもありめでたくもなし。
 ただ、この壊されそうだと言われている人は、一部、私の主張とかぶっているところがあるんです。

私は、家族なり大切な人が売春婦になるならば、出来る限りの尽力をして阻止をしようとするだろう。それだけの差別心は持っている。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070218#1171807918

 この部分ね。
 私は、私の身内や大切な人に可能な限り売春をして欲しくないと考えるので、必然的に売春をする人の差別者にならざるを得ないと認識しています。
 以前にも書きましたが、全てのネガティヴコメントは私のところにくればいいのに
  
 さて、以前に書いた記事についたブクマコメントで、「売春婦を差別してないか?」というものがありました。
 こちらのコメント欄で「雑魚ばっかりじゃん」という、たこ八郎もビックリな極めて偏差値の高そうなコメントを残していらっしゃるid:Marco11さんです。へいらっしゃい! で、私が好きだといった人を「雑魚」呼ばわりした割には、結局、一言いわれると逃げ腰で「自分も雑魚」なんだ。ショボ。で、今度は「ショボ」と言われると慌てて強がっちゃう。こんなに格好悪い人もいないな。雑魚と言った人間が一番雑魚だった、ちゅーね。
  
 で、「差別してないか?」と問われれば、「差別をしていることに自覚的ですよ」と答えざるを得ないわけです。もっとも、そのコメントがつけられた該当記事から、なんで「売春婦を差別してないか?」という印象を持ったのかは、おそらく本人以外には全く理解不可能・意味不明ですが。
 私は、自分に近しい大切な女性が、売春をするという場合に、可能な限り他の道を探すよう尽力するでしょうから、明らかに差別しているわけです。
 Marco11さんは、お母様もしくは妹さんや娘さんあるいは彼女や奥さんが売春すると言い出した場合、「おう、そうか。気合を入れて頑張れよ」とでも言うのでしょうか? まぁ、言ってもいいんですけどね。
  
 以前、風俗をこよなく愛する友人が「俺は風俗にも行くし、風俗嬢になった友達もいるから、風俗嬢に対する差別も偏見も全くない」と言っていました。
 その悪友が結婚するといったので、私はその友人の細君がある商社の秘書課勤めだと知りながら「奥さんはソープ嬢だったっけ?」と質の悪い冗談を言ったところ、本気で「俺のことはともかく、嫁のことを侮辱するな」と怒られたことがありました。
 確かに私の冗談は明らかに質の悪いものであることは疑いのないことですが、風俗嬢に対する差別がない、と言い切っていた友人だけに驚きました。
 で、育ちの良い私は意地悪にも突っ込んだわけです。「風俗嬢を差別しないといってたのに、なんで奥さんを風俗嬢と言われると怒るんだ?」と。
 「風俗嬢と言われたからではない。違う職業を言われたから正したまでだ」
 いやいやいやいや。「もし俺が『お前の奥さん、スチュワーデスだっけ?』と聞いたら、侮辱するな、までは言わないだろ?」
 「違う職業を言われれば、どの職業だって『侮辱するな』と言うよ」
 嘘吐け。
  
 風俗業というのは、普段は人に見せない部分を見せる。いわゆる「恥ずかしい」という姿を見せているわけです。
 たとえば、レストランで娘が働くことになったのを知った父親が、娘に「よーし、パパ、明日、すみれの仕事の頑張り具合を見に、レストランに食事に行っちゃうぞ」なんて言って、娘がこれに「いやだ、恥ずかしいからやめてよ」なんて会話が繰り広げられるとします。
 これが、娘がソープランドで働くことになったのを知った父親が、娘に「よーし、パパ、明日、かすみの仕事の頑張り具合を見に、ソープランドに挿入にイっちゃうぞ」なんて言って、娘がこれに「いやだ、恥ずかしいからやめてよ」なんて会話が繰り広げられるとは思えません。
 まぁ、これはインセストタブーの問題も絡んできますので、そりゃ一緒には比較できない、という部分もあるのですが、普通に「働いているところを見られるのは恥ずかしい」という以上の意味を持っているといえるでしょう。
  
 売春婦に対する差別心を持っていないというのであれば、たとえば会社の部下に「いやねフグタ君、わしの娘が今日からソープランドで働くことになってね。親バカと思われるかもしれないが、可愛いから一度指名してみたらどうだね。技術のほどは知らないけどな。あっはっは」なんてシュールな会話も出来るかもしれない。
 しかし、出来やしないわけですよ。可能な限り隠そうとするわけです。自称「売春婦を差別しない人」でもね。
  
 すると今度は、差別心を他人のセイにし始めます。
 「私は売春婦を差別するつもりはない。が、売春婦を差別する奴が多く、社会が売春婦を差別するので、その差別による不利益を被らないために、身内の者には、売春婦にならないように言ったり、あるいは売春婦であることを隠したりするのであって、自分は売春婦を差別していない」と。
 そんなものは、明らかにその「社会による差別」に加担しているのであって、その社会の差別をより強固にする役割を担っているにもかかわらず、自分だけは身綺麗であろうとする卑劣な振る舞いです。
  
 こんな莫迦な誤解をする人もいないでしょうが、私は、目の前にいる売春婦個人に徒に差別的であって良いという主張をしているのではありません。
 通称「池袋事件」の過剰防衛という裁判については「お前、司法の場で世間知を優先するなや」と純粋に思いますし、公的な差別というのはあってはならないと思いますが、個人の差別にしては違法でない限り、ある程度の蔑視はありうるということです。個人的に罵るのは違法ですよ。
 たとえば、一般論としての議論においては、それが売春婦の目に触れる場合であっても、特定の悪意がない限りは議論がされてもかまわないと考えます。
  
 そして、まずは全員が自らを差別者であると認めるところから始めるべきではないのか? ということです。
 たとえばこれが女性であっても、自分が売春婦と言われて憤るのであれば、それは差別に加担しているといわざるを得ないわけですから。
 男性であれば、自分の愛する女性が「一晩いくらなの?」と訊かれたとしても、そこの反発に侮辱を感じる時点で差別に加担している事実を認めざるをえないわけですよ。
  
 もちろん差別者であると自覚さえすればいいという話ではありません。
 ただ、差別者であると自覚している人間のほうが、差別者であることにすら気が付かない人間よりも、理性のコントロール下では、意識的に差別を抑制できることもあります。
 自らが差別者であることにも気が付かず、同じく差別者である他者を糾弾だけする行為は、被差別者を利用した欺瞞とも言えるでしょう。
 Marco11さんは、差別についてや、イデオロギーについて、多少でも深く考えたことはおありですか?
  
 ただ一つ言えることは、id:furukatsuさんじゃないけど、恋愛至上主義が残っている限り、売春婦に対する差別はなくならないんじゃないかな。
 その古澤克大さんに「要するに人生にバレンタイン的なものが欠如してんだろうね」なんて書いてる人に、はたして理由はわかるでしょうか?
  
 ということで、せっかくわざわざ私の大切な方々を「雑魚」呼ばわりされに来たわけですから、「くだらない長文は読めない」とか「その話はがいしゅつ」とか、在り来たりな格好の悪い逃げ口上以外を期待して、お待ちしております。
 頑張れ、自称大物!*1

*1:ねぇねぇ、自称大物ってどんな気分? ねぇどんな気分?