童貞の優しさは優しさではない

  
 たまに、誰かを好きになって、告白して、振られて、その振った相手をいきなり罵る人っていますよね。
 学生時代、さんざん川上さんのことをどれだけ好きかを熱く語っていた薄毛の井端君が、みんなにハゲまされて告白に行きました。
 井端君は勇気を出して告白したところ、川上さんに「ごめんなさい。私、実は荒木君と付き合ってるの。気持ちはすごくうれしいんだけど、以下同文で省略ね」と断られました。
 まぁ、しゃーないですわな。それまで極秘にしていた荒木君との交際までカミングアウトしてまで、真正面から答えてくれた川上さんは、いい娘だなぁ、なんて思ったわけです。
 ところが、井端君は翌日から、川上さんを罵り始めたわけです。あれだけどれだけ好きかを熱く語っていたのに「なんだよ、あの阿婆擦れ」とか言い出したわけです。
 おいおいおいおい
 私は、当時は今以上に青臭い童貞でしたから、そういうのが許せなかったわけです。もっとも井端君も童貞でしたが。
 「お前、それは酷いだろ。お前、好きだったんだろ?」
 「もうどうせ無理なんだから、あんな奴、知らねーよ。荒木に股を開いてるんだろ。不潔だよ」
 おいおいおいおいおい。不潔はお前だ。
  
 こういう人は、相手を罵ることによって、相手の価値を低くすることで、自分の得られなかった悔しさを低く見積もろうというタイプです。酸っぱい葡萄。まぁ若ハゲの至りだとは思いますが。
  
 それに対して、誰か人を好きになった場合、そして、好きになった相手に告白して断られた場合、何故か、好きになった相手のことを心配し、断ってきた相手に対して同情したりする人がいます。したりする人がいますというか、します。私がする。する。するんですわ。しまくります。
  
 私は、本当に迷惑な人間で、好意を持った相手に「可愛い。超可愛い」とか「好き好き大好き」とか、好意を隠せずに丸出しにしてしまうんですよね。日常生活で普通に好意の垂れ流し。「ホント可愛いよね、ほんっと超可愛いよね、もう無茶苦茶可愛い、すっごい可愛いんですけど」の連呼。
 露骨なまでに、誰がどう見たところで、お前はあいつが好きだろう、というのが知りたくなくても嫌でもわかるぐらいに丸出しになります。
 ただ別に好きでもない人でも、その人が可愛ければ「可愛い。綺麗だよね。超可愛い」とか気が付くと言ってしまっているので、言われている方は、周りの目を気にせざるをえないわけです。とんだ迷惑です。
 そうするともう、好きになってしまった段階から「ごめんな、ごめんな、ごめんね」と思ってしまうわけです。
 それで、告白なんかしなくたって、こっちの好意はわかっているわけです。
 「この人、私のこと好きなのかな?」なんて段階すらない。もうあからさま。最初からフルスロットルです。なんつー迷惑な。
 で、毎日絶えず口説いているような状態になります。これは迷惑。
 会ったら口説き、電話して口説き、メールして口説き、普通に迷惑です。
 ほとんどストーカーというより、完全無欠にストーカーです。思いっきり迷惑です。
 不思議と今まで大きな問題にはならずに済んでますが、よく学校や会社や裁判所に訴えられずにきたもんです。顔がアレだったら一発アウトだったことでしょう。
 また、相手も良かったのだと思われます。後で嫌いになる人なんか最初から好きにならないわけですが。
 しかし、まぁ、ほんとに超口説く。口説き方も童貞臭い。「すんげー好きなんですけど、どうしたらいいですかね?」
 主観的には口説いてるつもりはないんですよ。勝手に口に出ちゃうんですわ。私が悪いわけじゃない。
  
 で、私みたいな、我ながら如何ともしがたい迷惑なのは、好きになった相手の心配をしたり同情したり、するべくしてすべきなんですよ。歯止めを掛け捲っててそれなんで。解放したらとんでもないことになってしまう。
 しかし、秘めて好きでいるにもかかわらず、好きになった人に心配して同情する人もいます。
 「俺なんかに好かれること自体、迷惑なんじゃないか」
 「俺なんかに告白されて、断るときに嫌な気分をしたんだろうな。ごめんね」
 まぁ、下の方は私も「断る自体嫌なことをさせて申し訳なかったな」と思うんですけどね。
  
 これ、なんか、相手のことを気遣っての優しさに見えるんですが、実は違うんですよね。
 自己防衛なんですよ。あるいは自己愛とか。
  
 「俺はここまで思ってるんだ」という、相手に対する「思い」を、ただただ高めるためのものなんですよ。自分のことよりも相手を気遣う俺、みたいな。
 失恋時に逆に相手の心配をしてしまうのも、他人を思いやっていると思っていることで安らぐ感覚とか、あるいは、自分の余裕と勘違いできるとか、早い話が、自分の問題に直面しないために、他者を間に立てているんですよ。完全に無意識で。