自己選択した結果の差別について

  
 このままフェイドアウトしようかとばかりに、いけしゃーしゃーと暢気に童貞について書いていたら、凄い力作が二本。
  
 まとめ物  ARTIFACT@ハテナ系-売春婦への蔑視発言の話  kanoseさん
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070320/prostitutioncontempt
  
 論証物   地を這う難破船-何が「差別」であるのか(――検証) sk-44さん
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20070320/1174441827
  
 どちらも非常に丁寧で、認識としてはかなりkanoseさんに近いし、近代という前提に立てば、というか、ほとんどの人が立っていて、しかもそこで生活しているわけですから、sk-44さんの主張は真っ当としか言いようがないと思われます。凄い力作。見事なもんです。
 これは、sk-44さんが近代の枠を超えた上の視点から近代を見て書いているからなのでしょう。ただ、sk-44さんが書いていることのかなりの部分は既にyukiさんが書いているんですけどね。それはそれで凄い。
  
 さて、sk-44さんも書いている部分ですが
>自己決定としての個人の社会的な選択というファクターは、この件における「差別」とは、原理的には関係しない
 についてです。
  
>『2007年03月16日 kanimaster sex 「わたしは売春を悪だとは思っていない」本人が選択している点が、人種・部落差別と異なる』

 これは一面では正しくて、本人が選択しているし、その存在を辞めることもできるという意味では正しい。異なるという事実においては正しい。
 ただし、これが「差別される事実を知っていて選択したのだから、差別されても当然だ」という主張であれば、それは全く意味をなしていない。
 本人が「差別を受ける」ということは予測して実質的に覚悟をする必要はあるだろうけれども、他者が「だから耐えろ」と強制する類でもなければ、抗うことに対して禁止する類の話でもない。
  
 たとえば、プロのサッカー選手というのは、実際にはステータスもあり人気の職業である。
 これがもし、サッカー選手が「球芸師」という蔑視されていると仮定し、「大の大人が球蹴り遊びをして」などと眉を顰められいるとする。
 サッカーが好きで、サッカーが得意な少年がいる。その少年がサッカー選手になる場合、その蔑視を覚悟し、差別を受け入れねばならないと他者に言われる謂れがあるのか?
 実際に差別的な扱いは受けるかもしれないが、最初から知って成った以上は、甘んじて差別を受け続けろ、という話には断じてならない。
 また「サッカーが好きで、サッカーという競技に誇りを持ってるなら、他者から差別を受けようとも気にならないはずだ」というのは、これも、本人が誇りにするのは有り得るだろうが、他者が「だから差別されてもいいだろう」という類の話ではない。
 自分が覚悟をしたり、誇りを持つことはあるだろうが、他者がそれを強要し、だから甘んじて差別を受け続けろ、というのは話が違う。
  
 性的サービスが好きでなりたい人間がどれだけいるのか知らないし、差別が解消されてば成り手が増えて相対的に給与が下がるかもしれないが、それと「甘んじて差別を受け続けろ」というのは、無関係の話である。
  
  
 あと一点、私は子供であるのか、sk-44さんのいう
>arisiaさん――なぜ「元風俗嬢が」という一節が入るのですか、要らないではないですか。
 という点に関しては、私としては聞いてみたいとは思うんですよね。
 それが「差別」であるという糾弾をyukiさんから受ければ、それはその通りだと理解しましたが、こちらの「聞いてみたい」という甘えに応えてくれる人がいるならば「興味深い」のは事実なんですよね。
 シェルビー・スティールが『黒い憂鬱』を書いたときの感情について、シェルビーがどう感じていたかというのは、必然的にシェルビーが黒人であるという属性と密接に関わっていると私は考えるからです。
 もちろん、私がその点をシェルビーに問い合わせ、シェルビーに「その意識こそ差別だ」と糾弾されれば、まさしく「差別」であると思うし、それは今回のyukiさんの対応も、その意味では正当であると思われます。その点では私もyukiさんには申し訳なく思うわけですが、ただ「差別」であろうとも「大きなお世話」であろうとも、それが「興味深い」のは事実であり、もし誰かから「答え」が出るならば、それは有意義ではあると考えます。
 繰り返しますが、もちろん、そんなものにyukiさんが不本意に付き合わされる義務も義理も謂れもなく、yukiさんが「不愉快だ、莫迦野郎!」と返すことはあって当然だと思いますが。
 もちろん「興味がある」とか「答えは有意義」というのが、聞くことに対しての完全な正当化には成り得ないし、また、yukiさん個人を不快にさせることへの正当化は全く出来ないわけです。ただ、そのうえでそれでも敢えて聞くことも「必要ではない」とは言い切れないと考えます。
 それは、私がコドモだからか、あるいは、必ずしも近代を前提にしていないからか、どちらかはわかりませんが。
    
  
  
 以下はまたmacskaさんへの私信ですから、他の人が読んでも面白くありません。
 こちらまで飛んじゃってください。http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070322#20070322fn1
 煽り合いをやってても仕方がないので真面目に。

でも問題は、いかにそれが事実差別と呼ぶのにふさわしいモノであったとしても、そういう社会的合意が成り立っているとは限らないこと。

http://d.hatena.ne.jp/macska/20070321/p1

 私には、この個別の問題に対しての「社会的合意」にこだわる理由がわからないし、さらには、その「社会的合意」の形成を誰が判断するのかという問題があると思うわけですが、とりあえず、macskaさんが個別の問題の「社会的合意」を重要視しているのは理解しました。
 私は逆に「概念」のほうで考えています。つまり「差別」という概念や「平等思想」という概念によって判断しています。この概念はすでに「社会的合意」というか、近代に生きる者としては前提にあるものと判断しています。
 macskaさんは、「売春者に対する蔑視発言は差別である」ということを、根拠が明かされていない主張とされているわけですが、「差別」や「平等思想」という概念からも「蔑視発言は差別」と言えないと思っていますか?
 つまり概念として「偏見や先入観などをもとに、特定の人々(売春婦)に対して不利益・不平等な扱いをすること」というのが「差別」である以上、「蔑視した発言をすること」が「不利益な扱いとは言えない」という主張をしない限り、近代日本における概念において「差別」であることは明白だと言わざるを得ないわけです。
 そこにはもはや、「売春婦を蔑視した発言をすることは差別とは言えない」と言う者がいたとしても、「蔑視した発言をすること」が「不利益な扱いとは言えない」というのが成り立たない限り、それこそが無意味です。
  
 誰もが一定以上の知能や理性を持ち得ない以上は、その人たち(差別する当事者)の「合意」などというものは待つまでもないわけです。
 そして「差別」や「平等思想」という概念が知識として共有されている社会で、「蔑視した発言をする行為」を「差別だ」と糾弾するのは、なんら問題のある行為だとは思えないわけです。
 で、私としてはその「差別だ」に対して、「差別」や「平等思想」という概念から「差別だ」と認めた上で、その概念自体を否定すると言っています。
 ここまでわかりますか?
  
 「差別」や「平等思想」という概念を否定しない、つまりは、macskaさんみたいに「差別とは悪いもの」という概念を信仰している?場合、概念的に差別であるとしても、認めることが出来なくなってしまうわけです。
 inumashさんが以下のように書いています。

>inumashさんはあなたご自身の彼女さんや奥さんが売春をしても肯定できる、我慢できる、ということなのでしょうか?
これに関しては「YES」とお答え致します。事実、僕の今の恋人にはそのように言っています。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070316/p1

 inumashさんには失礼ですが、私はここに不気味さというか病理を感じます。
 これは、ねねさんというかたがコメントしているのと同じ感覚です。
>えらい! 非の打ちようがない人格者ですね。1つ質問です、あなたの恋人はあなたに風俗で働いても全然OKと言われてなんて答えましたか?嬉しそうでしたか?満足そうでしたか? Yesであれば2人はすんごいベストカップルですね、どうぞお幸せに。
 「風俗で働いても全然OK」と言われた恋人の心情を慮ると、私はぞっとするわけです。大きなお世話と言われようとも。
 「異教徒」の私には「平等思想」「差別反対」という新興宗教の異常に熱心な信者に映るわけです。家族や恋人に対する愛情以上に、はるかに大きい「差別反対」教に対する帰依の姿が映るわけです。そんな話をされて、恋人がどう思うのか? という社会通念が吹っ飛んでいる。誤解しないで欲しいのですが、私は社会通念が正しいといっているわけではありませんよ。
 しかし、私は自分が「異教徒」であるが故に、異常に熱心な新興宗教信者の気持ち悪さを感じてしまうわけですが、その一方で、その信仰心に対する一貫性については、同意は出来ないけれども、尊敬の念すら覚える。生き方としては不気味ですが、姿勢としては潔さまで感じます。
  
 私は、inumashさんの考え方は、まず最初に「差別は絶対悪だ」という概念が先にあり、それにより「だから差別をしない」という結論に至ったと思っています。それは一つの考え方で、私にはもはや解脱しちゃっているように映るほどです。とにかく一貫している。
 近代を一貫するならば、私はこの道以外にはないと思います。
  
 私は逆に、家族や大切な人に売春婦になって欲しくない、という感情を優先するが故に、私は差別者であり、近代の「差別は絶対悪」という概念のほうを否定します。
 では、「差別は絶対悪」という近代の概念を持ったまま、家族や大切な人に売春婦になって欲しくない、という場合、それは「それは差別ではない」と言うわけです。これが逆転の発想です。
 「差別は絶対悪である。私は自分が悪いとは思わない。よってこれは差別ではない」
 私は、これは全く一貫していないし、端的に「お前は差別者だ」と言ってしまえばいいと思います。
 差別者だと認めてから、その行為の正当性を争ったっていいわけですから。
>妥当な理由があるとした場合、それは定義上「差別」とは呼ばないのね。
 なんというmacskaさんの信仰告白というか、イデオロギー内の話にすぎないわけですから。
  
 「差別」や「平等思想」という共有概念で「差別だ」と立ち竦めさせるのは、私は一つの手段だと思いますよ。
 誰もが高い知能や理性などを持っているのではないのだから、「これはダメなんだ!」と、これをやれば叩かれるんだ、というやり方だって私はあると思いますけどね。
  
  
 率直に言ってしまいましょう。*1

yukiさんが反論しているコメントの書き手はみんな「これ(売春者を侮辱すること)は差別の問題として語るべきではない」と言っているわけです。
yukiさんの言うそれは『差別』ではない」という人はいて
「こういう理由があるから」差別ではない、と主張する批判者
「こういう理由により、売春者に対する蔑視発言は差別とは言えない」という人がいる
「こういう理由により、差別ではない」という相手の「理由」
yukiさんのエントリの周辺を見回したところ、そういう(差別にあたるのかどうかという)議論がたくさんある

 私は、なんでmacskaさんがいつまでたってもこれに具体的な名前と発言を出さないかを勝手に想像しています。
 というのも、私は迂闊なことに、macskaさんのエントリを見て、そんなことを言っている「みんな」が存在するとばかり思って、それらを「全員が莫迦だ」と書きました。
 ところが、それを受けたyukiさんのブックマークが以下のものでした。

2007年03月19日 yuki_19762 差別, 激しく同意 『売春婦を侮辱するのが差別に当たるのかどうか』を皆が議論してたんだ!!っていう。吃驚だよ。一部のバカだけだと思ってたら。じゃあ噛み合うわけない。差別じゃなくてなんだ?恐ろしいよ。

 ちょちょちょちょちょちょちょちょちょちょちょ。
 思いっ切り当事者が知らないってなんでだ? と思い、私は周辺ログを調べてみたんですよ。
 ところが、いないんだ。どこにもいないの。どこに行ったの? みんな? たくさんある議論は何処? 見当たらないのは節穴だから? というか、yukiさんも知らない? どゆこと?
 「売春婦は差別をされるもの」とか「差別をしてしまう」とか「黒人差別とは構造が違う」という意見はあっても、「売春婦を侮辱するのが差別に当たるのかどうか」なんて問題になんかされてない。「こういう理由により売春者に対する蔑視発言は差別とは言えない」なんて発言が見当たらないんです。探し方が悪いのか?
 強いて言えば、二人。

主婦が娼婦を軽蔑したという、別に珍しくもなんともない話なのに、元なのか現役なのか知らないが、キレた娼婦がいくつもエントリ立てて過剰反応。なんか言われるのが嫌なら最初からカミングアウトしなければいいのに。差別されてる訳ではなくて軽蔑されているんだよ、そんだけのハナシ。

http://d.hatena.ne.jp/albinoalbinism/20070314/1173866055

2007年03月16日 ch1248 社会, 論, 事件, *clip 勉強になる。が、一般的な差別の話と今回の事件は別個で考えた方が良いと思うのは俺だけかなあ……。/↓それは差別そのものの話。今回の件を「差別と絡めて議論させること」自体に違和感があると言いたいわけ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://yuki19762.seesaa.net/article/36049824.html

 さてさて。
 まずalbinoalbinismさんは論外でしょ。「こういう理由」が「売春婦は人間扱いされないのは当然」です。
 花見川さん(ch1248)は、私はこれを「黒人差別とは別に考えたほうがいい」という意味で、「売春婦と一緒にしないで欲しい」「淫売の子供は可哀想」「卑しい、さもしい、汚い、心の底から軽蔑する」これらの発言を「差別ではない」と主張しているようには見えなかった。
 これは花見川さんに確認しないとなんとも言えないけれども、花見川さんが、差別とは思わないと言っていたとしても、「こういう理由」は述べてません。
 後は「蔑視はしてしまう」とか「(自己選択だから)黒人差別と一緒にしないで」というのはあっても、「こういう理由により売春者に対する蔑視発言は差別とは言えない」というのは議論されてない。
 それで、先日の記事でしつこいぐらいに「どこにあるんですか?」と書いたのですが、今回だけは読まなかったのか梨の礫だし。
  
 さてさてさて。
 そしてyukiさんもエントリまで立てている。
 「たくさんある」というのに、一番の当事者のyukiさんすらも存在を知らなかった「みんな」は何処?
 すみません。どうやら私は釣られたようです。
 その結果、yukiさんまで巻き込んでしまいました。yukiさんには本当にご迷惑おかけしました。すみませんでした。
 こんな記事を書いておきながら、よもや自分が架空引用にやられるとは……

もし、売春婦を侮辱することをみんなが「差別」ではないと、本当に言っているのならば、それは、全員が莫迦だからである。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070319#1174233369

 「もし、本当に言っているのならば」との留保は入れましたが、調べればわかることをしなかったのは、迂闊と言われれば致し方なく、不徳の致すところです。
 ただ、こういう話題で釣りをするというのは、正直いただけません。いや、どうであれ私が迂闊であったことにはかわりはないんですが。
  
 いやいや、私が見つけられなかったところにて、しかもyukiさんも知らないところで、「yukiさんが反論しているコメントの書き手のみんな」が「売春婦を侮辱するのが差別に当たるのかどうか」という「議論がたくさんある」のかもしれません。
 yukiさんも知らないところでの「yukiさんが反論しているコメントの書き手のみんな」の「議論がたくさんある」からといって、それに意味があるのかはわかりませんが。
 そのmacskaさんの記事に対しては、賛同のブックマークコメントは若干ついたけど、それって、マッチポンプだよね。
 マッチポンプで新しい潮流を作るというやり方はあるのかもしれませんが、こういう問題でやるかなぁ?
 いやまぁ、私が見つけられなかったところで、yukiさんも知らないところで、たくさんあったのかもしれませんがね。意味ないけど。
 まぁ、迷惑かけたんで、yukiさんに関する売春差別の話題からは離れます。yukiさんにはご迷惑をおかけしました。すみませんでした。
  
  
 これは老婆心ながらで、macskaさんに大きなお世話かもしれませんが、一言失礼。
 macskaさんは「あなた(yukiさん)のやり方は差別をなくすための議論を阻害する」と批判しています。
 macskaさんは、売春者の権利擁護運動には強く関わっているそうですが、macskaさんのやり方は「売春者の権利擁護運動に関わってあげているこの私」という上の立場から「売春婦は莫迦なんだから自分で抵抗せずに私の邪魔しないで」と言っているように映る可能性について考えたことありますか?
 macskaさんがそう思っているといっているわけではありませんし、私がそう認識しているという話でもありません。

*1:*