夢がないね

  
 私は、両親にそれぞれ兄弟姉妹が多いため、従兄弟の関係に当たる親戚が多い。十八人いる。
 そのうち十四人が結婚していて、さらにそのうちの二組が離婚しそうでしない状態が続いている。一人は男で一人は女だ。
  
 この離婚しそうでしない従兄弟は、私とは比較的に年齢が近く、家は遠かったけれども夏休みなどはそれぞれの家を訪ねたりして遊んだ。
  
 この従兄弟の嫁さんは、従兄弟よりも年下で、私よりも年上だ。子供が一人いる。
 以前、私はこの家族と一緒に花火を見に行ったことがある。その際、その子供が、見ず知らずのオッサンの顔を指差して「うわ、変な顔」と言った。そのオッサンは、おそらく何かの病気で顔面が崩壊していた。確かに変な顔である。
 私はとりあえず驚き、指している手をぴしゃりと叩き、子供を叱った。両親が近くにいなかったからだ。
 しばらくして、母親、つまり従兄弟の嫁さんが戻ってきたので、私は一応、経過を説明した。すると従兄弟の嫁さんはこう言った。
 「子供は正直だから、思った通りのことを言うのは当たり前でしょう?」
 DQNだ。DQNがいる。
  
 その嫁さんは、顔が大きい。小林魔裟斗と同じぐらいデカい。
 『どっかの子供がアンタに「この人、顔がデカい」と言ったら、どう思う?』と訊いてみた。
 「酷い!」
 仰る通り酷い。そうなのだ。酷いからこそ言ってはいけないのだ。
 しかし違った。彼女は私に対して酷いと言ったのだ。まぁ、それも仰る通りだ。
 「子供ならともかく、達也さんは大人じゃない」
 仰る通り。こう見えても陰毛も生え揃っている。立派な大人だ。いや、大して立派なものは持ってないが、大人であることは間違いない。確かに大人であり、そして確かに酷い。頭脳は子供、身体は大人、名探偵だぜ。
  
 これは、自分の子供をかばいたいという動機がほとんどを占めているのであろうが、それにしても「子供は正直だから思ったことを言うのは当たり前だ」というDQNな言い訳はなんだろう?
 「子供は無垢だ」とか「正直であることは美徳だ」とでも思っているのであろうか?
  
 ちょっと前の話だが、兄が妹を殺害するという事件があった。
 歯科医を目指す兄が、グラビアアイドルを目指す妹に「夢がないね」と言われたことに腹を立てて、殺したらしい。
 言うまでもないが、こんなくだらないことで殺人に至る兄はあまりに愚かであり、一方的に悪い。
 そして、この妹は非常に可哀想だ。殺されたことも可哀想だが、社会で建前として言われていることを、本当に信じてしまったことが、また可哀想である。
  
 妹は、「グラビアアイドルになって、バラエティのクイズ番組に出たい」という夢を持っていた。
 私は、こんな夢にそれほどの価値があるとは到底思えない。歯科医になるほうがまだ余程マシに思える。
 しかし、この妹は愚直にも、世の中の奇麗事を信じてしまった。
 「夢を持つのは素晴らしい」そして「個性的であることは素晴らしい」
  
 夢なんて、持ってても持ってなくても、そんなことはどっちでもいいということを知らなかった。
 しかし、「夢を持つのは素晴らしい」と喧伝されている世迷い事を真に受けてしまった。
 夢を持つのは良いことかもしれないが、夢がないことも悪いことではないという知恵を知らなかった。
  
 そして、父親や、兄である長男が歯医者であるから、同じ歯医者を目指すのは「個性がない」ことだと妹は思った。
 他の人と一緒であることは、個性がなくてつまらないことだと、真に受けてしまった。有りがちな話である。
 個性など、わざわざ作るものではなくて、自然と出てしまうものであり、隠せるものなら隠しておいてなんら差し支えないということを知らなかった。
  
 そしてこの妹は、知り合いから「はっきりと物を言う」「自分に正直な人」という評価をされていた。
 「♪言いたいことも言えないこんな世の中ぢゃ、ポイズソ♪」なんて、真に受けてしまった。雲の形を真に受けてしまった♪
 確かに、思っていること、言いたいことを言えないというのは、もどかしくもあり、惨めでもある。
 そして逆に、立場が上がれば上がるほど、言いたいことを言えるようになる。
  
 「言いたいと思った自分を本当の自分で、言えない自分は本当の自分ではない。本当の自分らしさのために、言いたいことは全部言う。それが自分に正直であり、そして言いたいことをはっきり言うことが正しいことである。」
 こんな勘違いをしていたのではなかろうか? まぁ、ただ、我慢に欠けるために、思ったことをただ口に出してしまうだけなのかもしれないが、マンガやドラマなどでは、言いたいことをはっきり言ってスカッとするのが美化されている。
 往年の田中真紀子なども、言いたいことを言ったという口の悪さだけで持て囃された。そりゃ言いたいことだけを言っていればそりゃスカッとするんだけどね。親父が角栄ならなぁ。
 しかしそれは自分が独りだけで生きている世界ではそうすればいいわけだが、人間は関係性の中でのみ生きる意味がある以上は、関係性に配慮すべきである。が、自分の感情というものにそれぞれが物凄く大きな価値をおくようになったがために、感情の赴くままになんでも全て垂れ流すのが、正直であり美徳だと自己正当化されたりするのだろう。
 そういう風潮に、立場などの関係性を無視して言いたいことを言うことが、重大な意味を持つ行為だと勘違いしてしまったのだろう。
 そんな、くだらない建前の善意を、本当のことだと信じてしまったのだとしたら、なんとも可哀想である。
 しかも、そんな勘違いをしたことで、殺してやりたいと思われるほど他人を怒らせ、また、それで実際に殺してしまう愚か極まりない者が近くにいたのだから、本当に可哀想である。
  
 子供は正直だから、思った通りのことを言うのは当たり前である。それは半ば正しい。
 半ば正しいからこそ、その「正直」を矯正する必要があるのだ。
 「正直」も「正義」も「善意」も、それぞれは価値のあるものではあるのだけれども、必ずしもその先に「幸福」があるわけではないし、また、それぞれが干渉してお互いを損なうこともある。
 それは、子供のうちに、時には説明し、時には上から押し潰すことで、教え込むことが、命を無駄にしないことに繋がる。