「自己決定権」の立場からは近親相姦は認められるべき

  
 現在の日本国では、自由主義国家ということで、個人の自由というのが認められていることになっています。
 十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 これは、公共の福祉に反しない限り、何をやっても自由ということとされ、それはジョン・スチュアート・ミルという功利主義者の自由論を根底としています。
 これは『自己決定権』という権利とされ、「自分のことは自分で決める権利」のことで、「他人に迷惑を掛けない以上、何をやっても自由」であり、「自己の選択の失敗は『自己責任』で引き受ける」という考え方です。
 今現在、この「自己決定権」という考え方は、社会的に概ね合意されており、なかばこれを前提として社会は運営されちゃってます。
 ということで、今日は社会に倣って「自己決定権」を前提にして話を進めます。
 以上、http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20061128#1164725473 よりリサイクル。
  
 世界的にかなり普遍的に『インセスト・タブー』というものがあります。いわゆる近親相姦の禁忌です。
  
 何故に近親相姦がいけないのかと考えると、実は明白な理由というのがありません。調べてないけど。考えても思い付かない。
  
 一般的に言われている理由としては、近親交配による畸形の発生率の高さがある。が、これが果たして事実かどうかも良くわからない。
 逆に言えば、両親が「畸形でもかまわない」と思っているのであれば、これは「自己決定権」の範疇であるとも考えられ、また、生まれてくる「畸形の可能性が比較的に高い」子供に関しても、その誕生自体を可哀想だとか、さらには「生まれないほうが良かった」と思うことこそが、実は畸形児に対する差別と言える。
  
 次に有名なのが、レヴィ・ストロースの「女の交換」という概念で、私はこれを最初に聞いたときからずっと違和感を覚えていました。それは私が常に女性に対して優しいからというのもあるのですが、フェミニズムの観点というか男女平等という観点からは、この考えは消えていくべしで、そうなれば近親相姦をしてはいけない理由になりえないのではないか。私はその主張を何時間にもわたってsho_taにしたのですが、頑として聞き入れず、「俺が言ったんじゃねー。レヴィが言ってるんだ。俺はお前よりもレヴィを信じるに決まってるだろ」みたいなことを言いながら、それをわずか一年ぐらいでまったくフェミニストに怒られそうな記述です。私もなんかヘンだな、とは思うんですよね。(略)どういう理屈なのかいまだに納得できない部分があります。って、おいテメー。
  
 ともあれ、その後id:sho_taから「この『女の交換』というのは、相対的に女から見れば『男の交換』なんじゃない?」と言われ、自分で考えたのか何かの本で読んだのかは知りませんが、家制度を無視すればそうなるかもしれません。無視すりゃいいんで。
 ただ、この「交換」をしなきゃならない理由がないんですよね。自家再生産で全く問題がないはずです。
  
 いろいろな種が交わると、一つのウィルスで一族全滅、という事態から避けられるというのはあるかもしれませんが、まぁ、それだって「自己決定権」を阻害して良い理由にはなりません。
  
 「自己決定権」の立場からは近親相姦を否定できる根拠は一つもありません。たぶん。
 しかも、日本では法律においても「近親婚」は直系や三親等内(叔父叔母とか)が禁止というか受理されませんが、性行為に関しては、法的には違反ではないのです。
  
 ということで、近親相姦として禁忌されているインセスト・タブーは、法的にも「自己決定権」の見地からも、全く問題のない行為だと言えるでしょう。