痴話喧嘩だから

  
 去年の八月にJR特急「サンダーバード」で二十一歳の女性がトイレに連れ込まれ強姦されるという事件があって、解体工の植園貴光が再逮捕された。
 再逮捕というのは、レイプ常習犯で、強姦罪で既に逮捕されているからだ。
 同じ車両には四十人の乗客が乗っており、女性は泣いており何人も異変に気付いたけれども、さらにうち数人はこのDQNに「何を見とるんじゃ」と凄まれて何もできなかった。
  
 これはネオ麦茶のときと同じように、助けなかった人たちを非難する、という話と、その場にいないものが非難するのは容易い、という話が出てくるだろうな、とわかっていたので、ウェブログの意見とかはいちいち読みませんでした。
 なので、どういう空気になっているのかは知りません。
 自分の身を危険に挺して助ける行為は、私は愚かであると考えるし、また愚かであるから美しいとも思うわけですが、この件は、少なくとも一対多であったり、通報をするなり、自分の身の危険は比較的少なく対応できそうです。
 良いか悪いかと言われれば、悪いでしょう。少なくとも助けなかった本人たちは心に病むでしょうし、病むべきでしょう。少なくとも、助けることが正しいことであるという価値観は維持しておいたほうが良いからです。
 で、車内の詳しい事情は知りませんが、車掌までもが「痴話喧嘩だと思った」と言うことらしいです。
 車掌が痴話喧嘩だと思ったぐらいなので、他の乗客もそう思っても不思議は無いのですが、まぁ、本当に痴話喧嘩だと思ったのか、痴話喧嘩と思ったことにしておこうと思ったのかどちらかはわかりませんが、それはいいとしまして、私はその「痴話喧嘩ならばいいのか?」という気がするわけです。
  
 夫婦喧嘩は犬も喰わないし、警察は民事不介入なのですが、明らかにDQNな乱暴な男と、泣いて怯えている女性がいるとして、これを「痴話喧嘩だから」と放っておいて良いのだろうか?
 思いっきりドメスティックバイオレンスの問題なわけですが。まぁ、車掌は警察ではないけれども、鉄道警察隊を突入さしたれ。