あんた誰なのよ?

  
 青空の下、ウッドベースの響くジャズを聴きながら湾岸沿いを車で走っていた。
 進行方向左手を見るとガスステーションがある。ガソリンも半分を切っていたので入ってみた。
 手前の給油機には赤いBMW318が停まっていたので、私は奥の給油機に横付けした。
 私がガソリンの給油口を開け車を降りると店の建物から店員が飛び出てきて給油を始めてくれた。店員は二十後半ぐらいだろうか。角刈りで日焼けした男だ。私は「お願いします」と声をかけると、海を見に道路のほうに歩いた。
 ふと赤い車を見ると、三十半ばの女性が若い店員に一万円を支払っているところだった。
 私は道路を横切り、海を見ながら一つ大きく深呼吸して、またガスステーションのほうに戻った。
 すると、赤い車の女性が若い店員に怒鳴っていた。
 何事だろうかと意識を向けると、どうも一万円を支払ったのに、五千円としてお釣りを持ってきたらしい。で、「私が渡したのは一万円だ」と言っていて、店員は「いや五千円でしたよ」と水掛け論をしている。
 私には一万円に見えていたので、いざとなったら最悪、言ったほうが良いのだろうかと考えていた。
  
 私は自分の車に乗り込み、赤い車の女性の成り行きを見ていると、店員が店に戻り、また女性のところに行って「一万円だったみたいですね」と言った。
 「だったみたいですね」って。
 私は驚いたわけですが、女性は当然ながら怒りました。まぁ、怒鳴るでしょう。怒鳴ってました。
 すると、私の車のフロントガラスを拭いていた角刈りの店員が慌てて赤いBMW318の方に走っていきました。
 そして、角刈りの店員は若い店員から話を聞くと、女性のほうに向いて謝りました。
 「申し訳ありませんでした」
 そう、若い店員が最初からこう謝っていれば、この女性もここまで怒ることもなかっただろうに。私だって待たされることはなかったのに。
 しかし、角刈りの店員は続けて言いました。
 「ここは私の顔に免じてお許しください」
 はぁ?
 私が一瞬、理解できずにいると、女性が叫びました。
 「あんた誰なのよ!」
 もっともな話です。
  
 なんでこんなチンケな給油所の店長?の顔如きで免じて許さねばならないのか?
 女性の「あんた誰なのよ?」の皮肉も通じず、角刈り店員が「ここはどうかひとつ」などと妙な謝りを続けているのを、私はにやにや見ていました。
 すると若い店員が私のほうに来て、ガソリンのキャップを閉め、会計をしました。
 一万円を払おうかとも思ったのですが、まぁカードで支払いを済ませ、運転席側半分だけ拭いてもらったフロントガラスのまま、私は出発しました。