生きていた証を

  
 大東亜戦争中、敗戦濃厚の大日本帝国では、若い男性は多くが徴用されて戦地に赴いていたわけです。
 赤紙が届き、戦地に赴く春男君に対して、何回か言葉を交わしたことがある京子さんとの縁談が持ち上がる。
 京子のお母さんが春男の出征の情報を知り、京子に事情を説明して、春男の嫁にならないか聞いたわけだ。
 京子は、春男の出征を聞くと「なら急がないと」と二つ返事で結婚を承諾した。
 春男はすぐに京子と式をあげ、一晩共にして、翌日には入営し、その後、マレー半島に出征するわけである。
 戦況は日に日に悪化し、補給線も途絶え、春男の隊は多数の病死者と餓死者、少数の戦死者で全滅総員玉砕した。
 春男の戦死報告は京子の元に届き、京子は初夜の一発必中で得た子宝の勝を背中に負ぶり、裁縫仕事で女で一つ育てていく。
  
 国家間に翻弄される運命を受け入れざるを得ない春男に、たった何度か言葉を交わしただけの京子が、自らの人生を与えるという美しい物語。
 混乱期の不条理に抗えない童貞(であろう)男が、銃後の女性たちの尽力と挺身で非童貞となり、不本意ながら思い残すところなく、お国のために命を捧げる悲しい物語。
 その物語の後には、(おそらく)処女であった京子ちゃんが、たった一度の破瓜で子供を授かり、再婚することなく死んだ春男に貞操を守りながら、子供を育てる話が背後で続いている。
  
 平時においての不条理、たとえば、不治の病で間も無く死ぬとわかっていて、結婚間近の相手がいる場合。
 私が死ぬほうであるならば、籍は入れないであろうし、ましてや、子供を作ろうとはしないだろう。
 死してなお、これからの相手の人生の負担になるというのが心苦しいからだ。そんなことは望まない。
 ただ、せめて死ぬまで最期まで看取って欲しいとは強く願うだろう。
  
 相手が病気の場合、私は結婚しようとするだろう。相手が私への負担になるだろうからと拒否しても、私は相手の本人を勝手に酌み「お願いだから結婚して欲しい」と言うだろう。
 ある男は、「死に行く者の願いは極力叶えられるべき」であって、たとえ本心では望んでいたとしても、言葉に出した願いに逆らって結婚するのは、「最後にわがままをきかせてしまった」と「死ぬ本人に悔いが残る可能性が高い」から、しないと言う。
 私は、そう思わせないように、こちらから強くお願いするというのだが、奴は、それぐらいのことは相手も察して、結局は心の負担になったまま死ぬことになり不憫だという。
 まぁ奴は、飽きた女を振る正当化で「別に好きな女を作られる程度しか魅力がなかった相手が悪い」とかを理由に平気で振る奴なので、相手が死んで別れられるならラッキーぐらいに思う奴なのかもしれないが。