ネット弁慶を社会生活で活かせるか?

  
 文字情報からのイメージ脳内補正機能にて少し書いたことです。

文字だけで生身が無いということは、瞬間的な表情や感じた嫌悪を悟られる、という最も大きな要素がありません。作り笑顔が苦手でも、ネットでは優しく振舞える。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070524#1179953177

  
 対面のコミュニケーションにおいて、一番厄介なのがこの「表情」や「振る舞い」から、自分の真意を相手に悟られてしまう、という問題です。
  
 例えば、同僚や後輩なんかはほとんど問題ないんだけど、上司には、えらく可愛がってくれる人とえらく嫌われる人が出る。私は子供なので、露骨に服従を求める上司に好かれる振る舞いができない。こちらも反発を見せてしまう。一言で言えば阿呆だ。
 なんとなくそういうタイプは「あ、この人、たぶん合わないだろうな」と感じてしまって、それを隠す努力をして社交辞令で乗り越えようと思うのですが、人間未熟なもので、どうしてもそれが出てしまう。
 態度に出さないようにしようと思っても、どうしてか身体から発散されてしまっていて、その雰囲気を相手はちゃんと察知し、その結果、相手側もこちらに良い感情を持たなくなる。
 こういうのが一番、円滑なコミュニケーションの阻害になるんですよ。
 これが無いというのは非常に大きい。
  
 そして前にも書いたように、瞬間的に出してしまう嫌悪の言葉、例えば何かを頼まれたときの「えっ? 私がですか?」などの激しいものから、「あー、はい、わかりました」の「あー」という消極的なものまで、つい出てしまうものから、ネットでは「送信」をする瞬間までのタイムラグで守られているわけです。
 結局のところ、この「あんまり話したくないなぁ」というものも含めて、表情や態度、ちょっとした言葉や雰囲気がコントロールしきれない幼さが「非コミュ」にとって、大きなディスアドバンテージになるわけです。
 これ、本当に情けないとは思うんですが、隠そうと思って隠せられないと言うか、隠しきれるほど大人になれないんだよね。どうにもならん。我慢が足りないからすぐに顔に出るし。まぁ、不快感はすぐに顔に出るけど、怒ったりキレたりしないのが救いといったところか。
 で、生身の場合は上司とか同僚や後輩という「しがらみ」があるわけですが、ネットでは「しがらみ」が無いに等しい振る舞いができるのも大きいでしょう。
  
 ネットでは、自分が意図して出そうとする情報だけが、自分のコントロールが利いた状態で出すことができるため、自分の良い面ばかりを出すことができるわけです。
 そして、その「優しさ」を出すことにより、それが感謝されて、そして好意を持ってもらえて、そしてお互いに楽しく交流を持つことができる。
 そんなネット弁慶なんだけれども、なんでせっかく「他者に自分から好意的にすると、自分も楽しいし他者も楽しい」ということをネットで勉強しても、それを生身で活かせないのだろうか?
 まぁ、不快感を隠せるほどの大人になれないからなわけだが。