好きー

  
 私はスキーが嫌いだ。スキーは好きじゃない。
 やりたいかと問うなら、スキーなどやりたくない。
 寒いし痛いし金はかかるし。
 でも、思い通りに滑れるようになれば楽しいだろうな、とは思うわけだ。
 しかしその楽しさに比べても、寒いのと痛いのと金かかるのは嫌で、だから私はスキーをやらない。
 無条件で自由に滑れるならば、スキーは楽しいだろうなとは思うんだけれども、そうなるまでの練習やコストと比較して、私はスキーをしようとは思わない。
  
 ところがここでひとつ大きな問題がおきた。
 私の好きな女性が、スキーが好きなのだ。彼女がスキーをやっている姿は見たいが、私自身はスキーをしたくない。
 スキー場まで行って、スキー板もないままに完全防寒で傍観しているというのは、なんとも情けない。
 それぐらいならスキーを始めるか、と問うならば、やっぱり女友達と行ってきてと言いたいけれども、ナンパされるだろうし、なんとも悩ましいわけだが、それでも私はスキーには行かないだろう。
 スイスアルプスやカナディアンロッキーの近くで生活をしていても、スキーに行く友達と一緒にスキー場までは行きながら、スキーは決してしなかった変わり者なので、このままスキーはせずに朽ちて死ぬのだろう。
 寒いし痛いし金はかかるし、みんなよく好んでやるもんだぜと思いながら、できるようになったのならば楽しいだろうなとは想像できる。
  
 私は「非スキー」だ。
 スキーをしたいと思わない。
 スキーを楽しんでいる人を羨ましいと思わなくもないが、自分はしようとは思わない。
 スキーを楽しむために練習している人に、寒いし痛いし金がかかって大変だね、とは思うけれども、その努力を莫迦にしようとは思わない。
 その労力やコストとスキーの楽しさを比較して、私はスキーをしないことを決めているだけだ。
 スキーの楽しみをどうしても羨ましいのならば、スキーを楽しむ人を見下すのではなく、スキーの練習をすればいい。
 練習すれば誰でもプロ並みに滑れるようになるとは限らないが、それぞれがそれぞれで楽しむ程度には滑れるようになるだろう。
 私はスキーで全く楽しまなくて良いと割り切って、練習の努力やコストをかけないことにしている。
 冬、みんながスキーやスノボの話題で盛り上がると、私は疎外感を覚え、抑圧を感じるわけだ。
  
 これが「スキーできない奴は人生終了」みたいに言われだしたら「この世の中、阿呆ぢゃねーの?」とか思うわけだ。
 これが「恋愛できない奴は人生終了」みたいに言われだしても「この世の中、阿呆ぢゃねーの?」とか思うわけだ。
 ただ、スキーと恋愛は、結婚を含む人生においての重要度が多少は違ってくるのも事実だ。
 スキーはしなくてもなんの問題もないし他の事にもほとんど影響しないが、恋愛が苦手な人は、少なからず人間関係自体にも、が言い過ぎならば、人類の半分を占める異性との交流を苦手にしている人が多いからだ。
 好む好まざるに関わらず、人間は人間との交流というか、繋がり(関係性)で生きるものであって、それが不得意であると、それは相手にとっても自分にとっても不幸であるし、ときに迷惑でもあったりする。
 しかも、スキーを諦めた人間がスキーに憧れたり、「スキーができたら良いのに。できないかな?」などと甘い考えを起こす以上に、恋愛を諦めた人は恋愛に憧れたり、「スキーができたら良いのに。できないかな?」などと甘く考えたりする。まぁ、甘くできるんだけどね。草さんとかぬっふぃなら。小首傾げながら。
  
 スキーと同じく、恋愛もしなくていい。
 できたら楽しいだろうな、でもできるようになる努力を考えたらしなくていい。
 みんなよくやるね、辛いし心は痛いし金もかかるのに。楽しそうだけど、私はしなくてもいいやと思いながら、横目で見ていればいい。
 その楽しみをどうしても羨ましいのならば、それを楽しむ人を見下すのではなく、練習をすればいい。
 ちょっとの練習や無条件で最初からできるのならば、やるかもしれないけどね。チャンスさえあれば。