「非モテ」というのは「モテない」のか「モテたくない」のか?
「非モテ」というのは、私はこれまで「モテたいのにモテない人」という意味で認識していた。
しかし、こちらを見るとそうばかりでもなく「モテたいわけではない人」という立場がいくつか散見される。
私は一切の努力がなくモテるのであればモテたいと思うし、多少の努力程度で済むのであればちょっとぐらいならしてみようかとも思う人間だ。
ファッションに気を遣ったり、スキーやサーフィンを練習してまでモテたいとは思わないだけで、自然に勝手にモテるんであればモテたいし、実際のその境遇に満足している。
しかし、自然に勝手に、あるいは、ちょっとした努力でモテるにもかかわらず、それでも「モテたいわけではない人」というのは存在するのだろうか?
まぁ、酸っぱい葡萄にマヂになるなよ、という部分はあるのかもしれないけれども、こういう話こそマヂで話さないと面白くないと翔太も言うからマヂで言うけれども、私は女好きなので普通にモテたい。
ここで言われている「優越感ゲーム」というのが、どういう意味なのかを推察して話をすると、松井に似てるとの評判があったらしいid:Masao_moteさんに特徴的な「モテから非モテが莫迦にされるなら、非モテからもモテを莫迦にする」というスタンスは、実効力としてはあまりに弱い。
やはり羨ましいか羨ましくないか、というので優越感は決まる。
「金持ちは心が汚い。貧乏人は心が清らかだ」「美人は冷たい。ブスは人の痛みがわかる」などと言ったところで、そんなことは慰めであって事実ではない。
「私は心を綺麗にするために貧乏をやってます」なんてのは、変な宗教に入っているか、ちょっと頭のおかしい人である可能性が高いし、貧乏人が実際に大金を手に入れるチャンスがあれば金が欲しい人がほとんどだろう。
ブスはブス同士では足を引っ張り合ったり、「あの子、ちょっと可愛いとか思っちゃって……」と、妬み僻み顰をフル動員して悪口を言ったりして、なんのことはない、自分の痛みは良くわかっているんだけどね、という場合が多い。そして心でつぶやく「あー、美人に生まれたかった」
金持ちが貧乏人を羨む。美人がブスを羨む。モテが非モテを羨む。
このようなことは基本的にない。
二股とかをかける下劣な人間失格が修羅場を迎えて「あーぁ、モテるのも大変だよ。モテない奴は楽で良いよな」というのは、勝者の余裕で愚の極みである。死ねばいい。
相手が羨んでもくれない以上、非モテ側からの実効性のある対応は二つしかない。
モテを羨むか、最初から勝負に乗らないか。
勝負に乗らないのは大変だ。
モテる人間を見て、羨ましいと思っちゃった時点で、それは乗ってしまうことになる。乗ったら負けだ。
いちゃついてるカップルを見ても、ほとんど気にもならないし、羨ましくもないし、自分とは無縁の世界の出来事だなと、解脱できたときに初めて勝負に乗らないと言える。
あとは、「恋愛」のかたちを変容させるという根本的な手段しかないんじゃないかな。