俺に理解ができないような難しい文章を書いている奴はみんな莫迦

  
難しい話はよく分かりませんが id:aozora21さん 
せつないエントリ群(元記事は削除)
  
 「内容がわからないけれども」という宣言をした上で批判するというやり方を、私が言及されているところで連続して見かけた。*1
 これを専門的には「バカの開き直り」問題と言うのであるが、開き直って「私は莫迦ですから」と言えば許されるとでも思っているかのような杜撰な批判をしたりする。
 自分が理解できない文章に反発を感じて「俺に理解ができないような文章を書いている奴はみんな雑魚」みたいな逆切れをする人は、多くはないけど少なからず存在する。
 あるいは「教養のある人はもっと別な有意義なことを率先してやれ。私には難しくてできないんだから」みたいな皮肉を言ったりする。
  
 それに対してインテリがいやらしい皮肉と言うか、正道で逆に追い詰めていたりする。
フタエノキワミで半径ワクが埋まる夢を見て疲れる
エートス・パトス対ロゴス
 インテリならではの酷い指摘なのだが、その指摘の意味を掴むにも理解が必要で、その理解をするにはまた難しいのであって、皮肉であることはわかるんだけど、どう皮肉であるのか難しい話はよく分かりませんが、という皮肉になっていたりする。ほとんどいぢめだ。いい意味で。
 私がやられるとしたら、それこそ保険の掛け合いの空中戦で、腐れインテリ病の極みになりそうで嫌だなぁ。楽しいとしても疲れそう。
 とっとと「彼女には酷いかもしれないけど、筋の通った良い指摘だろ」と胸を張って主張しちゃったほうがよほど楽だと思うんだけどなぁ。
 もっとも、その「良い指摘」は「酷いいじめ」極まりないものであって、私は誰かを傷付けてでも指摘する意義はそれなりに認めるけれど、torlyさんが「言論で(隠微な)いじめっぽい構造が生まれることに気を配る必要性」について、どのようなことを書くのかわからないので、期待と不安でいっぱいになった状態で待たなきゃならなくなるわけだけれども。
 それでも少なくとも今のような明らかに不自然な詭弁で嘘っぽい言い逃れを続けるよりは傷口が浅いと思うのだが。あるいはそれをするほど強くないのならば「指摘されて酷いと気付きました。傷付けてしまってごめんなさい」と言ったほうが、今みたいに嘘に嘘を重ねているように見られるよりはマシなんじゃないかな。
 なお、「そういう意図ではないと言ってるじゃないか」という本人の主観は参考意見にはなれども、逆に言えば、参考意見にしかならないので注意が必要。言表内容は唇を離れた瞬間から(以下省略)。
  
 『せつないエントリ群』にて「本当に頭のいい人は、めっちゃくちゃ難しいことをわかりやすく書くことがふつうにできる」と最後の二行に書かれていた。

本当に頭のいい人は、めっちゃくちゃ難しいことをわかりやすく書くことがふつうにできる。
君たちはそういう意味ではアタマワルイよ。そのへんもせつないが。

http://72.14.235.104/search?q=cache:8Mz9dvM37NUJ:anond.hatelabo.jp/20071002155959+%E4%B8%89%E6%B5%81%E7%A7%81%E5%A4%A7%E3%80%80%E6%88%B8%E5%B1%B1&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp

 このエントリに対してインテリ二人が否定のエントリをあげている。
何処から突っ込めばいいのか
「頭のいい人は、難しい概念も簡単に説明できるはずだ」問題
 id:torlyさんは「頭のいい人は分かりやすく書けるというのは甘い考え」だと言い、id:teraccaoさんは「頭が良い人は頭が良い時点で頭が良い(大意)」と言っている。
 ここでは「頭がいい」というのは「理解力」という意味に特化して差し支えないだろう。社会生活を円滑に行えるという話とかは誰もしてないだろうし。
 「本当に頭のいい人は、めっちゃくちゃ難しいことをわかりやすく書くことがふつうにできる」という俗説を未だに信じちゃっている人がいるようだが、残念ながら「できません」。
 こちらのブックマークコメントでは、説明する側の意識の問題として「優しく説明する気がない」という場合や「理解する知能と説明する表現力の違い」として受け取ったりする人が多いが、それも大きな影響を与えるのだけれども、一番大きな要因は「受け取り手の知能」の問題である。東大元総長の蓮實なら「わからないのは、あなたが莫迦だからです」で終わらせる話だ。
  
 そもそも論として、自分がその概念を「わからない」人間が、自分が理解できていないのに、その説明が「わかりやすい」のか「わかりにくい」のか、判断ができるはずがない。
 莫迦と言うのは理解力に乏しいから莫迦なのであって、理解力が著しく欠ける者にはどれだけ説明しても理解はできないのだし、最下層の莫迦にまで理解を促進させるように書こうとするならば、普通程度の莫迦にさえ回りくど過ぎて余計に理解ができなくなる説明になったりする。最底辺の莫迦にわかりやすい説明は、他の人にはわかりにくい説明になるわけだ。
 これでは、自分が理解できた説明は「わかりやすい説明」であり、自分が理解できない説明は「わかりにくい説明」と言っているに過ぎなくなる。
 つまりこれは、自分が理解できない莫迦であることを、説明者の責任にしているだけで、なんともみっともない。
 結局は、「わかりやすい説明」か「わかりにくい説明」かは、概念を理解できている人間のみが判断可能な事柄であり、「私にはさっぱりわからなかったんだけど、この説明はわかりやすかった」と言うことがないのと同様に、「私にはさっぱりわからなかったんだけど、この説明はわかりにくかった」ということも、原則的には有り得ない。*2
  
 しかも、この人は情けないことに、自称三流私大の出身だと仄めかしている。
 読んでわからない文章に出会ったときの、そのどうにもならない悔しさを「俺は三流私大を出てるんだ。決して世間的に莫迦ってわけぢゃないんだ」というプライドの担保の仕方が救いようがないほど情けない。みみっちい自意識を抑えられない悲しさが滲み出ている。三流私大(戸山)の恥さらしである。三流私大が事実ならば、校風を守り、三流私大の矜持ぐらい持てよ。

せっかく少々の頭脳と親の経済力に恵まれて三流私大(戸山?)までおいでになって、そのテクニカルターム操れるだけの学問身に着けたんだから、もっと社会的に問題になっている現象とか分析して処方箋考えてみるとか自分なりに悩むとか外部からみて有益な情報をブログで提供せんかい!

http://72.14.235.104/search?q=cache:8Mz9dvM37NUJ:anond.hatelabo.jp/20071002155959+%E4%B8%89%E6%B5%81%E7%A7%81%E5%A4%A7%E3%80%80%E6%88%B8%E5%B1%B1&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp

 私には普通に、親の経済力に恵まれて自称三流私大(戸山)まで行っておきながら、id:torlyさんの文章すら「ほとんどまったく意味不明。かろうじて誰かを馬鹿にするために書かれたものらしいとわかるのみ」という親の金の無駄遣いこそ心配すべきだろうと思う。三流私大は昔の校名の○○専門学校に戻して大学を名乗るのをやめたほうがいいんじゃないか。ほんとせつないよ。
 そもそも三流私大(戸山)で社会的に役に立つ有益なことなんか学ぶはずもないだろう。四年間、何を学んできたんだか。

馬鹿で結構。こんなものわからんでもよろしい。

 その通り。こんなものわからなくても日常生活に影響はない。量子力学が理解できなくても日常生活に影響はないのと同様に。だからわかる必要はない。ただ黙っていればいいだけの話だ。しかし莫迦とは、黙っていられないから厄介なのだ。
  
 id:torlyさんの文章は、確かに莫迦にはわかりにくい。つまり私にはわかりにくい。二三回読み返したり普通にする。しかし、ishさんに比べたらよほどマシだ。
 私はishさんのエントリを解読するために、目から血を流しながら一億回以上読み込んで、丸一日かけて血尿を垂れ流しながらなんとか理解したことがある。もうちょっと莫迦にも優しくして欲しいのだが、それを根拠にしてishさんに「ishさんはそういう意味ではアタマワルイよ」と言う度胸はないな。
  
  
 あと私見ながら、一番最初のパラダイムシフトを伴う概念の理解については、どれだけ上手い説明をもってしても、受け取り側のタイミングが合わない限り、難しいように思う。
 少なくとも反発心を持って聞いていれば手前の部分で反発して終わってしまうし、逆に全てを受け入れて聞いていては、言葉の表面上だけ個別に理解して、他の同様のケースにも応用のできない理解になりそうだ。
 反発心もなく、程よく自分で考えながら、破壊し再構築する工程を受け入れられる状態でなければ、どれだけ説明が上手くても理解はできない気がする。
 そういうのは、説明を聞いているタイミングではなく、後になって一人で説明を反芻しているとかに「気付き」が訪れるのではないかというイメージだ。
 説明を受け入れるには、思考の枠組みの中で理解をしようとするものであり、思考の枠組みを解体する説明を既存の思考の枠組みで理解しようとする自家撞着というか自家中毒によるものと思われる。

*1:「言及した箇所はわかっている」とか「姿勢を問題にしている」という言い逃れはそれぞれ「自分的」にはあるのでしょうがタイミング的に重なったという話です

*2:てらっかおが書いている「矛盾」ね