プチプチブル

  
 私が小学生のとき、家を新築した。
 祖父が地主であったため、上物だけを建てれば良いので、普通に土地ごと一軒家を買う人に比べたら、上物にかける金額に余裕があるため、お袋は自分の気に入ったように間取りを考え、建築家に注文をした。
 当時、私の友達で私の家よりも新しくて広くて立派な家に住んでいる者はいなくて、私は普通にプチブルであった。
 駅の反対側には大きな集合住宅地があり、いわゆる団地妻がいっぱい生息していた。その団地妻の子供たちが多く同じ学校に来ていた。
 団地住まいの親は家に子供を呼ぶのを嫌がる傾向があり、必然的に私の家に遊びに来ることが少なくなかった。
 そして、親の威を借る私は、私の家を見て「いいなぁ〜」と羨ましがる友達に対して、プチブル根性丸出しにも「そう?」などと答えたりした。嫌なガキだ。
  
 もう少し思春期になると、親の経済力というのは、ある種の諦観が芽生えるのと時を同じくして、受け入れるが故の恥ずかしさも発生する。
 給食費がみんなよりも少ない友達が、デリカシーに定評のある男に「生活保護を受けてるんだ?」などと訊かれると、そこまで訊いていないのに「うちのお父さんは、規定にほんの少しだけ満たないだけなんだって。ほんのちょっとだけなんだよ」と必死に強調していたのが思い出される。親からそう説明されていたのだろう。
 親の経済力が親の価値を判断する要素になるという、強ち全否定まではできないけれども、必ずしもそうでは全くない「真理」を気にせずにはいられなかった。
  
 いつも私の家に遊びに来ていた小川君に私は言った。
「今度、栄作(小川君のこと)の家に遊びに行こうよ」
「ウチは駄目だよ」
 にべもないとはこのことか。
「なんでダメなの?」 
「ウチはアパートだからさ、お母さんが嫌がるんだよね」
「たまにはいいぢゃん」
「隣との壁が薄いからさ、大騒ぎして遊ぶと隣に迷惑なんだよ」
「静かに遊べば良いんぢゃん」
「でも狭いし」
「ならトランプでもやろうよ」
「トランプなら瀧澤君の家でやればいいじゃん」
「だって栄作の家だって見たいぢゃん」
「ウチは駄目なんだよ」
 ここまで頑なに拒否されると私の真性ドSの魂が疼く。意地でも行ってやろうと決意した瞬間、小川君はポツリと呟いた。
「すごくボロいんだよ。ウチのアパート。だからさ、見られるの、恥ずかしいんだよね」
 私はこういうのにとにかく弱い。
 でもだからと言って「ボロいのは恥ずかしいよな。なら見るのも可哀想だからやめておくか。あっはっはー」と言うわけにもいかない。
 私はなけなしのデリカシーを発揮してインチキ臭く爽やかに答えた。
「別に恥ずかしくなんかないよ。良い家で遊びたいんじゃなくて、栄作の家で遊びたいんだよ」
 プチブルの余裕がなせる技である。
  
 あれほど頑なに嫌がっていた小川君が何故か突然折れて、早速その日、私と井本君と小川君の家に行くことになった。
 学校からの帰りの道すがら、小川君は何度も私と井本君に繰り返して言った。同じようなことを何度も繰り返して言っていた。
「本当にウチはボロいから」
「むちゃくちゃ汚いアパートだから笑うなよ」
「貧乏だから嫌なんだよね」
「汚いボロアパートが嫌だったら、すぐに外で遊ぼうな」
  
 直前まで来て、小川君は少し卑屈そうな笑みを浮かべて、私と井本君に言った。
「本当に嫌なんだよなぁ」
 まだ気にしている様子なので私は敢えて軽く返した。
「別にいいぢゃん」
「だって、絶対に想像以上のボロ家なんだぜ。本当に汚くて酷いんだよ」
「気にしないよ」
「うーん。あれだよ。想像以上にボロいだろ。いいよ、笑ってくれよ」
  
 照れくさそうに小川君が指した指の先には、私の祖父が経営していたアパートがあった。
 私はどんな家でも笑わないでおこうと心に決めていたのだが、素で笑えなかった。