芸術の飽き

  
 ずいぶんと前に美術館に行ったのだが、特別展はとにかくべらぼうに面白かったにもかかわらず、常設点はさっぱり面白いと思わなかった。
 私は美術について全くわからず、ほとんど画盲と言って差支えがない。
 それでも緻密であったり迫力があったり細微であったり大胆であったりエキセントリックであったりサイケデリックであったり侘び寂び風であったりするのは、それなりに趣を感じたつもりになれるのであるが、どうにも理解不可能な分野がある。
 近代美術というのだろうか? 現代美術というのだろうか? シュールレアリズムになるのか?
 素人ながらの具体的な説明を試みると、大きなキャンパスに五センチ幅の白と緑のストライプが交互に並んでいるだけのものや、キャンバスを三本ナイフで切り裂いてあるだけのものが「芸術でござい」と展示してある。
 何が面白いのかがさっぱりわからない
 そこには独創性も芸術性も感じられない。奇を衒って外したようにしか思えない。キャンバスをカッターで三本切り裂くなんてね、私がもう一本増やしてやろうか、という気にさえなった。
 こんなもの、私が今からカッターでもう一本切り裂いたところで、この芸術性に変化はあるのだろうか?
 どうも私の見た美術館では、アメリカの1940年代あたりの作品を中心に、悉くつまらないの極致を極めに極めまくったものがあった。私は大東亜戦争前後のアメリカの芸術を「糞美術の時代」と勝手に名付けたいほどにつまらなかった。
 何も楽しめない。ただただ飽き飽きするだけの芸術である。
  
 私は特別展の面白さと、常設展のつまらなさ*1の落差に驚き、美術部の部長に解説を求めた。
 美術部の部長は次のように言い放った。
「あれはね、ある程度は美術史を通して包括的に理解していないとわからない部分があるんだよね」
 なんだよ。知の独占かよ。
  
 昔「俳句というのは芸としてどうなの?」という文学論争があった。
 「解説がつかないと意味も味もわからないものが芸術と言えるのか?」という視点から、「俳句は作者の名前を隠して見せられたら、名人作も素人作も違いがわからないのではないか」とか「解説もなしで単独で見せられたら意味がわからない俳句が名作とされているが、それは単独で芸術と呼んでいいのか?」とか言われた論争だ。
 これはある種の専門的な文脈を読む上での理解が必要であって、それはある意味では高尚であると同時に、莫迦は置いてきぼりという状態も生む。
 莫迦をどこまで掬い上げるかという問題というのは、高尚のインフレ競争によって引き起こされる面が大きい。
 その「解説がないと意味がわからない」というどうしようもない状態というのは、この「糞美術」にこそ当てはまるのではないか。
  
 とりあえず、わからないなりに解説を聞いてみたのだが、それでもやはりわからなかったので、全く理解できないまま私なりの解釈で解説をし直してみるが、何しろ私が理解できていないので間違っている可能性が極めて高いが、私はこう理解した。
  
 「芸術というのは、ずっと神に捧げるものであった。音楽然り、美術然り。しかし近代に入り、芸術は神から切り離されることとなった。神から自由になった美術は、その神の文脈から切り離され自由になったという、その自由を謳歌するために、それまでの文脈から如何に離れたことをやるか、というのがテーマになった。神から美術を人間の手に取り戻した凱歌が、近代美術だ」
  
 それはつまり、神にささげなくなったら、とたんにつまらなくなったということ?
 それまでのテーマから離れるのがテーマという、メタなものって、やっぱりつまんなくなってしまうというか、テーマから逃走するのがテーマというのは、意味があるのは一発目だけであって、後追いはことごとく二番煎じで面白くないというか、手を変えて同じことをしているだけというか、そういうことなのだろうか?
 文脈から外れることが新しい文脈、みたいな、結局は如何に文脈から離れるかという作業を全員でやってしまったら、そもそもの文脈自体を喪失してしまって、本来の目的自体が見えなくなってしまったということなのだろうか?
  
 この私の解釈が正しいとするならば、美術史を通して包括的に理解していると面白くなるというよりも、文脈を逸脱するためにメタ的に自家中毒を起こしている時代の刻印であり、歴史的な意味合いは残っているけれども、美術の作品としてはスカだった、としか思えない。
 キャンバスをカッターで三本切り裂くなんてのが芸術として認められているのならば、おそらく買ったばかりの白いキャンバスに、そのまま「心の中の修羅」だかの適当なタイトルをつけて「芸術だ」と言い張っている奴もいそうな気がする。
 買ったばかりの白いキャンバスだって芸術作品と言える、のか?
  
 私があまりにも芸術に疎いためか、結局はどうしても理解できなかった。
 こういうことを専門家に訊いていいものかどうか、逡巡しないことはないのだけれども、普段からデリカシーには定評があるのだし、聞いてしまおう。
 大野さん、近代美術?がつまらないのは、知の独占で莫迦にはわからないからですか? それとも作品がつまらないからですか?
 どのような文脈で読み取ったら、面白くなるのですか? 御教授いただけたら幸いです。

*1:一部を除く