神子母鬼

 竹内由貴の『神子母鬼』は、主人公である山谷育子が子宮頚癌のため子宮全摘出手術を受けたシーンから始まる。
 気落ちする育子に、夫の良行は慰める意味も込めて「養子を貰おうじゃないか」と提案する。
 育子は、自分たちの子供を産めないということを気に病み、良行の提案通りに養子をとることに同意する。
 二人の養子はすぐに決まった。
  
 養子になる子の母親である静香はシングルマザーになる予定であった。
 父親である榮一は、出産の前に交通事故で亡くなっていた。しかも、榮一の両親と静香の両親も乗せて、安産祈願のお参りに行く途中、飲酒運転のダンプに後ろから押し潰された。全員が即死だった。
 静香は、この大切な時期に身内を一瞬で全て失う不幸に襲われ、自殺も考えるが、榮一の血を受け継ぐ、双方の両親の血を継ぐ子供を生み、自分一人ででも育てることが、自分の役割だと決意する。
 しかし、子供は双子であり、静香の身体は出産をすると母体にも赤ちゃんにも危険があることがわかる。
 静香は、この子供だけが生きるよすがであるとして、断固として生む決意をし、堕胎をするときは心中だとまで覚悟を決めていた。その強い意志に誰も反対することなどできなかった。
 静香の希望通りに出産することになったのだが、結局、静香の身体は耐えられず力尽きる。しかし双子の男の子の赤ちゃんは無事に誕生した。
 ただ、双子の男の子は、生まれると同時に、兄弟お互いの他は天涯孤独の身であった。
  
 良行と育子は、この双子の一人である靖士を貰い受ける。兄の清士は、既に亮太郎と慈江という他の夫婦に貰われていた。
 良行は靖士を我が子のように可愛がったし、育子は、良行への負い目を感じて、よその家庭以上に愛情を注いで育てた。
 しかし、順調に育ったある日、靖士は心臓移植を要する心臓病に罹ってしまう。
 可愛がっていた分、良行も育子もショックを受ける。二人は評判の良い医者を訪ね歩いたり、あらゆる手段を講じて靖士の命を救おうとする。
 だが心臓移植をしない限り靖士は余命はわずかだという説明を受けるばかりであった。
  
 育子は、双子の兄である清士も、同じ心臓疾患で苦しんでいるはずだと思い込み、清士の育ての親と同じ境遇として苦しみを分かち合いたいと、清士を探し始める。
 しかし、育子が見つけた清士は健康そのものであった。
 清士はサッカーを楽しみ、学校の友達と仲良く遊び、家庭では一家団欒を平和に過ごしている。
 育子は、病に苦しむ靖士と楽しく生きている清士の差を「許されない不公平」だと思い詰めた。何故に自分ばかりが理不尽な不幸に見舞われなくてはならないのか。
 その思いは、次第に清士と、その家族に嫉みとして向いていく。そしてそれは日ごとにどす黒く大きく育っていった。
  
 とうとう育子は、大金を用意して中国人ヤクザから銃を入手すると、サッカー部から帰宅する途中の清士を誘拐し、そのまま靖士のいる病院へと向かった。
 そして、清士を連れて医者のもとに行き、心臓移植手術を強要する。双子であるから臓器も合うはずである、と。
 「生きている子供から心臓は取れない」と泣き喚く医者の前で、育子は清士の頭部を銃で撃ち抜く。今度は医者に銃口を向け、移植手術を急かした。
 医者は、靖士の移植手術と引き換えに、手術に関わる医師や看護婦の生命の安全と、育子の自首の約束を取り交わす。
  
 結果的に、靖士の手術は成功し、当然ながら清士は死ぬ。
 育子は、子供を助けた安堵と、身勝手な「復讐(幸せなる家庭への)」の満足感を感じながら、逮捕される。
 良行は、養子を貰うという提案をしたことについて、育子に詫びる。
 清士の育ての母である慈江は「靖士の身体の中で清士の心臓は今も動いて生きている」と、自分を慰める。
  
  
 育子は子供を一人殺しており、「罪のない子供を身勝手な理由で殺害した罪は重い」一方で「自分の子供を助けたい一身で気が動転していた」という弁護とで、相場程度の十年ぐらいで出てくるのだろうか?
 靖士の手術の成功で、どれだけ生命が永らえるのかは不明だが、育子が出てくるまで生きられたら、育子にとってやったもん勝ちに思える。
  
 育子は、清士ではなく靖士を育てることになったのは偶然でしかなく、亮太郎と慈江が先に清士を選んだからに過ぎない。
 もし、亮太郎と慈江が靖士を選んでいたなら、もしくは、良行と育子が先に清士を選んでいれば、それぞれ同じように愛情を注いで育て、そして亮太郎と慈江の元にいる靖士が心臓病になったわけだ。きっと良行と育子は清士と共に温かい家庭を楽しんでいただろう。
  
 育子の思考で考えるならば、清士は育子によって「なんの罪もない」のに殺されたかもしれないが、靖士だって「なんの罪もない」のに死なねばならないのだ。
 この非合理な理不尽に、唯一納得する方法は、残念ながら「運命」というものを受け入れるしかない。
 それはとても苦しくて悲しいことであるが。