待ち合わせの駅前に流れる思い出のローカルCMソング

  
 随分と会っていなかった友達と久しぶりに会うこととなり駅前のモニュメントの近くで待ち合わせをしていました。私は待たせるのが嫌なタイプなので時間よりもかなり早めに着くようにしているのだけれど、待ち合わせの相手は大いにルーズでしっかりと遅刻してきました。
 おかげで私は長時間待たされることとなったのですが、運の悪いことに、その待ち合わせ場所の近くでは、異常に下手糞なストリートミュージシャンがギターをガシャガシャ掻き鳴らしながらがなっていました。
 他人前で歌うぐらいだからある程度は上手いべきだと思うのですが、これが本当に下手で、とても聞いていられないような、聞かされる側としてはたまったもんじゃないほどのシロモノでしたが、待ち合わせのために動くことも出来ません。オリジナルの歌なのか、聴いたこともないメロディに青臭いつまらない歌詞を乗せた歌を叫んでいます。
 待たされていることに加え、あまりにも聞いていられない音楽に苛立ちながら、仕方がなく、その場に立っていると、突然、なんとなく聞き覚えのあるメロディが耳に入ってきました。
 これ、きいたことあるな、なんだっけな?
 そう思った瞬間、ある顔が浮かんできました。そうだ。橋本だ。
 橋本とは大学で一緒だった友達で、お互い無駄に迷惑を掛け合いながら嫌がらせのようにつるんでいた腐れ縁を絵に描いたような関係でした。お互いに彼女もいなかったので、暇があればお互いの部屋に押しかけ、相手の都合もお構いなし。
 退屈になると野郎二人でカラオケに行こうなどと言い出す。私は歌は得意で非常に上手いんですが、橋本の奴は酷い音痴。下手なくせに歌いたがるので本当に迷惑な奴でした。
 奴が一番好きな歌で、行くたびに毎回必ず歌う歌があって、それを私が知っている歌ならばまだ良かったんですが、なんか奴の地元のほうのCMソングかなにかで地元ではかなり有名らしくちゃんとカラオケにも入ってるんですが、奴の地元になど行ったこともなかった私は聴いたこともない歌で、これを聞かされるたびに閉口したものです。
 そのストリートミュージシャンは、橋本が大好きだったその歌を歌い始めたのです。橋本と同じような下手な歌で。
 でも彼は橋本ではありません。奴はもう四年半前にこの世から消えてしまっているからです。
 奴が体調が悪いから地元に戻ると言い出したときに、私は「甘えてんじゃないの? 病は気からって言うだろ」などと言ってました。奴は私と同じく甘えたところがあって、弱い人間でした。だからこの街を去り、親元に逃げるのだと思ったのです。
 しかし、それからたった半年ほどで「昨日、地元の病院で亡くなったらしい」と、橋本の友達である水口から連絡がありました。
 私はその水口と、橋本の葬式に出るため、初めて橋本の故郷に行きました。到着が夜だったので、お通夜は遠慮して、そのままビジネスホテルに入りました。
 部屋に独りでいても、橋本が死んだという実感がわかず、明日の葬式用に持ってきたスーツを眺めながら、独りの空間を持て余していました。橋本と一緒だった半年前なら、橋本の部屋に乱入していたんだろうな、と思いながら。
 ノックがありました。水口もまた、橋本の死がまだ受け入れられず、部屋を持て余していたのでした。水口は私の部屋に入りテレビをつけました。何か音が欲しかったのでしょう。それから私たちは、橋本との思い出話を交互にしました。
 合宿の夜にラーメンを食いに行くためにヒッチハイクした話や、橋本がいい歳しながら梨恵ちゃんに告白するときに水口に付いてきてくれと頼んだ話などして、それから少し間が空いた瞬間、二人は「あっ!」と同時に声を発しました。
 テレビからは、橋本が嫌になるほど歌っていたあの歌のフレーズが流れてきたのです。そうか、このCMか。
 私たちはCMを熱心に見て、CMが終わると、二人して笑いました。それまで私と水口は特に仲が良かったわけでもなく、橋本と三人でカラオケに行ったことはありませんでした。おそらく水口は水口で、橋本の歌の被害に遭っていたのでしょう。
 「俺、初めて原曲を聴いたよ。本当はこんな曲だったんだ」「な、本当に、似ても似つかない……」そこまで言って、水口は言葉に詰まりました。涙で声が出なかったのです。私も泣いていました。
  
 私は思い出の歌に、それも聴きなれた下手な歌声に呼び寄せられるように、ストリートミュージシャンの前に立っていました。
 私は目を瞑って「橋本」の歌声を聞いていました。曲が終わりに近づくにつれて、涙が頬を伝って行きます。人の多い駅前で泣くことも初めてでした。しかもこんな下手な歌で。
 歌は終わりました。私は涙で真っ赤になっているであろう目を開けると、財布から一万円を取り出し、ギターケースに入れました。
 私がその場を去ろうとすると、そのストリートミュージシャンに呼び止められました。
 私は頑なにその場を去ろうとすると、彼は慌ててギターを仕舞い、私を追いかけてきました。そして言ったのです。「ありがとうございます。おかげで、これで田舎に帰れます」
 彼はミュージシャンを目指して出てきたけれど、才能がないこともわかっていた。帰る機会を探しているような状態だった。そんなときに父親の病気が酷くなったと知らせが来た。でも帰るお金もなかったらしい。
 「このお金で今日、深夜バスで帰れます」
 もちろん橋本と同じ故郷です。
 「お金のことだけじゃないんです。僕の歌で涙を流してくれる人がいた。それだけで、これまでの五年間が報われたような気がします。本当にありがとうございました。一生忘れません」
 「お父様、元気になると良いですね」
 私は、待ち合わせをしていた友達に「悪いけど先帰る」というメールを打ち、家へと帰りました。