実は私はネナベでした

  
 「瀧澤達也」と書いて「このはなさくや」と読みます。
 これからは「このはなさくや」姫と呼んでください。
 ネットでくすぶっている石長姫の皆さん、これから、はてなー女性陣の一員としてよろしくお願いしますね。
 今日から私も、他の女性と同じく、抑圧され、消費される側の仲間入りよ。
 ネットで今まで不特定多数に「オトコ」を演じて女に媚を売ってきたけど、これでやっと自由に自分らしく振舞うことが出来るの。
 これからは、女としての性を前面に出して「傷ついた」「むかついた」「こんな酷い扱いを受けた」と被害を訴えることが出来るわ。
 私も女としての性を利用して、消費して、同情を買うの。そしてそのうえで言うわ。「私は女を利用する女にはなりたくないわ。男に媚びたくないわ」と。
 私は女であり、性犯罪被害者で、売春婦で、非コミュで、障碍者で、尋常小学校卒で、低収入で、還暦過ぎてて、黒人で、そのうえイボ痔です。
 これらを疑って私を批判しようとする人がいたら、その人は人非人の差別者よ。
 私以上の被差別者が証拠を持って現れない限り、私のことは疑うことすら許さないんだからね!
  
 さて、マイハニーの外見について

外見についてごちゃごちゃ抜かす前に、まずお前の顔写真見せてみい。俺は写真を見ない限りは、お前らの容姿なんか信用しない。タッキーの顔が桜井和寿葛山信吾に似てるってのも、信用してない。つーか葛山信吾の顔ムカつくんですけどっ!

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/25d8cd7a0454741c7f6b5e19cef876c1

 と書かれていたことについて、nanaが次のように書きました。

nanaも本人が言ってるだけの話って信用しないんだよね。
性犯罪の被害にあってるっていうなら証拠出して見せてよ。
物証でも第三者の証言でもあったら信じるよ。

http://d.hatena.ne.jp/sweet_nana/20070909#p3

 それに対して、はしごたんさんは刑法〜 性暴力で苦しんでいる女性に対して「証拠を見せろ!」と言うほど酷な話はありませんというエントリをあげています。
  
 被害者の心を慰撫するという観点から言えば、何一つ異論はないのですが、しかしそれって思いっ切り論点がズレていますよね。
 道徳としての「性犯罪被害者を慰める」ということに対して、ルックス故に痴漢被害に遭いやすいnanaも、おそらく異論はないことでしょう。
 しかしこれは、ただ目の前にいる被害者にどう接するか、という問題でもないでしょう。
  

私に「性犯罪の被害の証拠」はありません。
ですが法律的には、被害者が「告訴」すれば、証拠はなくても「親告罪」として成立します。
法律では上記 [刑法第一七七条] およびその近辺の条例の通りで、「告訴するには証拠が必要」などとは何処にも書いてありません。

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/aa51301ac0f90e1afc9f7d04293a37bc

 通常、刑事事件において、被害者が告訴するのに、証拠が必要などと言うことはありません。
 空き巣や引ったくりなどで物を盗られた場合、被害者が自ら証拠を集めた上で、告訴に至るということはまず有り得ない話です。
 警察に被害を訴え、被害届けが出されたら、警察や検察など捜査権も有するものが、捜査に当たり、証拠や証言を集めるわけです。
 つまり逆に言えば、「告訴するには証拠が必要」なはずがないのです。
  
 はしごたんさんは、「告訴するには証拠が必要」でないということと、「親告罪である」という点で、犯罪として成立している、ということですが、むしろこれは逆で、殺人や暴行などの他の罪が「告訴」や「告発」がなくても犯罪用件が成立するのに対して、「親告罪」は「告訴」がなければ「公訴」が成立しないマイナス方向のものです。
 「親告罪」は「告訴」があって初めて他の犯罪と同じように「公訴」されるわけですから、そこでようやく他の犯罪と同じように、捜査されて裁判に至る可能性がある、ということになります。
 そして、裁判の中で、法的にその犯罪要件が成立するのかどうかが争われるわけですが、nanaが言っているのは、そういう「法的に認められる」かどうかの話ではなくて、ネットで自称する根拠のほうでしょう。
 実際に告訴してようがしてなかろうが、ましてや被害に遭っていなくとも、ネットでは自称できる、という話です。
  
 「ネットに写真をアップする」という「証拠」がないと「認めない」のならば、はしごたんさんは、被害届が受け付けられた警察署や日付、被害者の氏名や住所、そしてそれがはしごたんさんと同一人物であるという証明するもの、これらがアップされて、ようやく「認められる」ということになるでしょう。
 私がnanaの写真を何枚も見て、芸能人みたいな美人であると認めて、さらには私がそれをオフで何人かの人に見せるという「証拠」があるほうが、より信憑性のほうが高いと思われるわけですが、それでも信用しないと言うのであれば、証拠能力としては弱い「私は被害者だ」という主張が信用されなくても仕方がない、という話に過ぎません。
  
 「お前らのことなんか信じないぞ」でも「私の話は証拠はありませんから、信じてもらうしかない」そして

「証拠を見せろ!」などと、追い詰めるのは殺人にも等しい非道な行為です。

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/aa51301ac0f90e1afc9f7d04293a37bc

 というのは、なんぼなんでも無茶でしょ。
 別に誰も「一般的な性犯罪被害者への正しい接し方」という話をしているわけではないのですから。
  
 はしごたんさんが、ただ被害を訴えているだけならば、nanaだって相応に同情するでしょうし、憐憫の情も寄せるでしょう。それはそれで心情的には不本意かもしれませんが。
 しかし「証拠もないのに信用できるか」とはしごたんさんがnanaに言うのならば、それははしごたんさんが自ら撒いた呼び水でしょう。少なくともnanaには「証言」があるわけなんだし。
 しかも、はしごたんさんは「自分のほうが不幸である」という根拠で他者に「攻撃」を加えるならば、なおさらその「不幸である証拠」を求められるでしょう。
 私が「女であり、性犯罪被害者で、売春婦で、非コミュで、障碍者で、尋常小学校卒で、低収入で、還暦過ぎてて、黒人で、前科者で、そのうえイボ痔であるが、証拠はない。疑うことすら許さない。はしごたんさんが私に反撃することは、私よりも幸せなんだから許さない」と言ったら、黙って引き下がりますか? まぁ、別の理由では黙って引き下がるかもしれませんね。
  
 何故か「はてな」では通用しているようですが、「私は信じないし攻撃するが、私のことは可哀想なんだから信じろ、そして反撃は許さない」なんてのは、普通は通用しないでしょう。
  
 おそらくほとんどの人が、はしごたんさんの被害の事実を疑っているわけではない。
 でも「私は不幸だ」を根拠に、他の人に対して加虐的に振舞うときには、それが自分に返ってくるということも、避けられないでしょう。
 加虐的に振舞うのをやめるか、反撃を受ける覚悟を決めるか、どっちかでしょうね。
 加虐的に振舞うけれども、反撃をするのは許さない、というのを認めるのがはてな風なのかもしれないけど、その空気は私には違和感がある。そんな空気があるのかどうか良く知らないけど。
 傷ついていようが、傷つきやすかろうが、それで多少の配慮をされるのはいいにしても、アンタッチャブルな存在を作るのは具合が悪い。
 私は逆にはしごたんさんを、普通の人として扱いたい。

 ネット弁慶を社会生活で活かせるか?

  
 文字情報からのイメージ脳内補正機能にて少し書いたことです。

文字だけで生身が無いということは、瞬間的な表情や感じた嫌悪を悟られる、という最も大きな要素がありません。作り笑顔が苦手でも、ネットでは優しく振舞える。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070524#1179953177

  
 対面のコミュニケーションにおいて、一番厄介なのがこの「表情」や「振る舞い」から、自分の真意を相手に悟られてしまう、という問題です。
  
 例えば、同僚や後輩なんかはほとんど問題ないんだけど、上司には、えらく可愛がってくれる人とえらく嫌われる人が出る。私は子供なので、露骨に服従を求める上司に好かれる振る舞いができない。こちらも反発を見せてしまう。一言で言えば阿呆だ。
 なんとなくそういうタイプは「あ、この人、たぶん合わないだろうな」と感じてしまって、それを隠す努力をして社交辞令で乗り越えようと思うのですが、人間未熟なもので、どうしてもそれが出てしまう。
 態度に出さないようにしようと思っても、どうしてか身体から発散されてしまっていて、その雰囲気を相手はちゃんと察知し、その結果、相手側もこちらに良い感情を持たなくなる。
 こういうのが一番、円滑なコミュニケーションの阻害になるんですよ。
 これが無いというのは非常に大きい。
  
 そして前にも書いたように、瞬間的に出してしまう嫌悪の言葉、例えば何かを頼まれたときの「えっ? 私がですか?」などの激しいものから、「あー、はい、わかりました」の「あー」という消極的なものまで、つい出てしまうものから、ネットでは「送信」をする瞬間までのタイムラグで守られているわけです。
 結局のところ、この「あんまり話したくないなぁ」というものも含めて、表情や態度、ちょっとした言葉や雰囲気がコントロールしきれない幼さが「非コミュ」にとって、大きなディスアドバンテージになるわけです。
 これ、本当に情けないとは思うんですが、隠そうと思って隠せられないと言うか、隠しきれるほど大人になれないんだよね。どうにもならん。我慢が足りないからすぐに顔に出るし。まぁ、不快感はすぐに顔に出るけど、怒ったりキレたりしないのが救いといったところか。
 で、生身の場合は上司とか同僚や後輩という「しがらみ」があるわけですが、ネットでは「しがらみ」が無いに等しい振る舞いができるのも大きいでしょう。
  
 ネットでは、自分が意図して出そうとする情報だけが、自分のコントロールが利いた状態で出すことができるため、自分の良い面ばかりを出すことができるわけです。
 そして、その「優しさ」を出すことにより、それが感謝されて、そして好意を持ってもらえて、そしてお互いに楽しく交流を持つことができる。
 そんなネット弁慶なんだけれども、なんでせっかく「他者に自分から好意的にすると、自分も楽しいし他者も楽しい」ということをネットで勉強しても、それを生身で活かせないのだろうか?
 まぁ、不快感を隠せるほどの大人になれないからなわけだが。

 文章から偏差値を読む

  
 さて、先日のエントリにて、私が書いたことで、インテリ眼鏡男子こちらのエントリを経由して、大野さんが愚痴っておられます。
 なんかコメント欄を見ると必死に言い訳に終始していて、不祥事の発覚した政治家のごとく低姿勢です。
 それは良いとして、以下のような記述がありました。

瀧澤氏の記事(特に女性のブログ文章についての記述)は私から見ると、はてな界隈で反発や疑義が起こるであろうことはある程度想定の上で、例によって天然の振りをして女性の神経を逆撫でするように書かれているのであり、あの記事に反応することは瀧澤氏の術中にハマることにしかならないので、無視を通すのが良いと思う。どういう狙いがあるのかはわからないが、何も意図せず記事を上げることはないだろう。

http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070902

 残念ながら、特に裏の意図はそんなになくて、まぁ、nanaがあまりにもすんげー可愛かったからそれを言いたかったというのはあるんですが、おそらく私がどう書いても、正面から批判する人間はほとんどいなくて、捨て台詞や陰口で終わるんじゃないかなという程度です。
 私に名前を上げられなかった人が「私は可愛いのに!」と怒るというのは、二名を除いて有り得ないと思っていて、その二名は既に「可愛い」と書いているから表面上は無傷じゃないかな、と踏んでいました。「私は可愛い」と直接的に言わずに「わかるもんか」という反応がきたら、女心が感じられて愛らしいなと思っていたので、その人たちには「わかるよ、あなたは可愛いよ」と返してあげようかと思っていたぐらいです。
  
 ただまぁ、誰が可愛いと書くことによっての、潜在的な反発というのは起きるだろうなというのは思っていました。
 不快に思う人は多いだろうし、しかし不快に思っても、口に出して不快感を表明することは厳しいだろうなということは考えていました。
 というのも、自分だって生活において常にやっている「ルックス差別」というのを批判するというのは、天に唾を吐くブーメランですし、綺麗事臭がプンプンしてしまいます。
 「私はぶさいくだよ! チクショー!!」的なネタ以外は、難しいでしょう。
 ただ単に綺麗事だけで書いてくる莫迦はいないだろうと思っていたし、いたとしても、痛い人なので良いだろうと思っていました。
  
 というのも、例えば「ルックスが全てではない」という批判があるとしたら、それはその人が「ルックス」に縛られている上に振り回されていることになります。
 というのも、私の先のエントリを読み返していただければわかる通り私は「文章から可愛いかどうかの予想がある程度できる」としか言っていないのです。
 私は「ルックスが全てだ」とは当たり前ながら一言も言っていなければ、それどころか先のエントリでは「ルックスは重要だ」とすら言っていません。
 私が言っていることは「だいたいわかる」という話しか一切していないのに、「ルックスが全てではない」という批判が私向けであるとするならば、それは語るに落ちたというべきものでしょう。
  
 以上の理由により、潜在的な反発はあれども、表顕的な批判は少ないだろうと思っていました。
  
 さて、閑話休題で、ルックスを話題にすることの暴力的抑圧についてです。
  
 えっと、ブサイクはオフ会に出ようが部屋でタイプを打ってようがブサイクなんですよ。ブサイクからは逃れられないんです。
 せめて顔の見えないネットだけでもルックスから解放されたいと言っても、ネットの中で生活するのも少佐ぐらいしかできないわけで、お前どの面下げて実生活を送ってるんだよ、という現実の前にはネットの「顔なし」性なんて屁みたいな救いなんじゃないの? それが必要だなんてどんなネット依存よ。
 つまりどういうことかというと、現実を耐えられるんだったら、ネットなんて簡単に耐えられるでしょ? 現実が耐えられないというのならば、少佐はなんと言うでしょう。
 オフ会に出たいけど、ルックスがキモいから抑圧されている、なんて感じる人間は充分にキモいですよ。そこ自己認識してください。
 普通に出席して、後でルックス強者から陰で「キモかったね」と言われりゃいいじゃないですか。そんなの毎日、学校や会社で言われていることじゃない。いまさら気にすることでもないですよ。
  
 ネットは、被抑圧者のための開放治療の場として存在するわけではないのですから、実社会で許される規範で行動して文句を言われる筋合いはないと心得るべきでしょう。文句は言えるけれども、言い返されて終わりのこと。
 実社会で差別問題のカウンターとして言われる「弱者を守れ」という発言者こそが、弱者を認定している暴力的まなざしの問題が発生するわけです。
 これはもう大野さんのコメント欄や草さんのエントリで言われていることなので繰り返しませんが、これらの言説についてもサイードを踏まえられる程度のリテラシーを持つ者には当たり前の話であり、哀れな偏差値しかない人の中にはサイードも知らなければサイードの言っている意味を理解もできない人は大勢いるわけで、抑圧について語っている姿を見せることが既に暴力的抑圧なわけです。
 しかも、なんかネットでインテリ眼鏡面をさらして、小首傾げたクールなポーズで不精髭を生やしてスマートに決めちゃって、女性と音楽をやってますみたいな野郎が、実際にインテリな言説で抑圧を語るなんて、これはもう酷い暴力ですよ。
 抑圧を気にしだしたらスポーツも娯楽も全滅だ。そんな簡単なことがどうしてかわからない奴がいるなら、多少でも偏差値上げて理解できるようになってプチ抑圧する側に回って来い。
  
 原則論で言うならば、スローガンとしては「ネットをルックス弱者の聖域として死守せよ!」ではなくて、「実生活でのルックス差別を解消せよ!」とならないと意味はないでしょう。
 しかしこれ、隗より始めよ。美人を好むな着飾るな。男女を問わず全員でいつ何時もブルカ着用を義務付けますか? テレビに映るもブス多し。視聴率が取れるのか? 
 これはもはや、平等「博愛」としては、共産主義革命よりも難しい意識革命が必要です。
  
 で、だ。
 顔が全てじゃないよ。偏差値が全てじゃないよ。学歴が全てじゃないよ。収入額が全てじゃないよ。職業が全てじゃないよ。体力が全てじゃないよ。性別が全てじゃないよ。性格が全てじゃないよ。身長が全てじゃないよ。出身地が全てじゃないよ。資産が全てじゃないよ。育ちの良さが全てじゃないよ。歌の上手さが全てじゃないよ。文才が全てじゃないよ。抑圧は無限に続くよ。
 さて、どうする? どうやってパートナーや友達を選ぼうか? 拒否権無しのフリーセックス社会にするか? くじ引きにするか? 文鮮明に決めてもらおうか?
 TOMOKI君は元気かな?

 本来会うはずのない者同士が

  
 テレビ朝日で、朝日新聞の販売店で働く男が犯した殺人事件について、おそらく朝日新聞論説委員をやっていたっぽい男がコメントしていた。
 事件は例の、携帯サイトの、犯罪共犯者募集サイトで知り合った者たちが、通りがかりの女性を殺して金品を奪った強盗殺人だ。
  
 「インターネットで、本来出会うはずのない者同士がくっつき、このような事件が起きた」というようなコメントだったと記憶している。
  
 まず、この「インターネット」という括りはいいかげんどうにかならんもんなのだろうか?
 例えば、テレビ番組にはオカルト番組がある。テレビ朝日オーラの泉を根拠に、NHKニュースが一括りに非科学のインチキであるとは普通は言わない。
 あるいは、振り込め詐欺に電話が使われるからといって「電話は犯罪の温床になっている」とは普通は言わない。
 まぁ、それはいいとして、だ。
  
 「本来出会うはずのない」というのなら、その「本来として出会う」のはどのような関係なのだろう?
 百歩譲ったところで、親子とか兄弟などの家族や、隣近所の生活圏、ぐらいしか思い浮かばない。
 例えば、少年サッカーチームで一緒だとか、あるいはカルチャーセンターの俳句教室で同じだとか、英会話学校でノヴァ友だったりとか、これらは全て本来出会うはずではなかったと言える。
 言うまでも無く、学校という制度は、国家の要請で恣意的に子供が集められているだけであって、そこには何の必然性もないし、「本来出会うはずのない者同士がくっつき」友達となっている。
 犯罪に関して言うならば、少年院などは、不良というか、DQNたちの横の繋がりを作る施設となっているわけで、少年院は「本来出会うはずのない者同士がくっつき」それで犯罪が起きているが、少年院も公的機関である。
 偏差値の低い高校などは、頭の悪い不良が多く集まるわけで、一部では少年院と同じ効果を生む学校もあるわけで、「本来出会うはずのない者同士がくっつき」それで犯罪が起きている。
 お見合い結婚した夫婦間で殺人が起きた場合、「本来出会うはずのない者同士がお見合いでくっつき、このような事件が起きた」と言うのだろうか?
  
 結局は、自分が馴染めない「ツール」に対して、自分の感じる疎外感の不満をぶつけているだけなんだろうか? これでは普通に頭が悪いとしか思えないわけなんだが。

 文章からルックスを読む

  
 先日、大野さん翔太と、三人で会う機会があった。
  
 そのときの話で、大野さんが興味深い話をしていました。
 「私は文章からだいたいその人となりを想像できるんだけど、東京で会ってきた人たちも、全員が想像通りでしたよ」
 聞いたかね? 大野さんと東京で会っていた諸君よ!
  
 まぁ、私はイケメソの爽やか好青年と予想され、翔太は二週間ぐらい風呂に入っていなさそうなくたびれた遊び人との予想でしたから、確かに外れていないわけです。
 しかし私は、その大野さんの会ってきた人たちの、ルックスなど想像したことすらありませんでした。
 「そんなん、文章から外見の想像なんてしますか?」
 「するよ。だってだいたいわかるもん」
  
 私が思い出したのは翔太のこの記事です。
 このコメント欄で書いているように、私は、誰が可愛いだろうという予想はしていますが、その容姿がどのようなタイプであるかまでは考えたことがありません。
 そこで私は説明しました。いつも通りデリカシーには定評があるので、オブラートに包んで、実名でお送りします。
  
 「私には、だいたい身体の中央あたりに『美女アンテナ』というのがあるんですね。書く文章を読むだけで、その書き手が可愛いかどうかがわかるんです。可愛いとアンテナが勃つんですよ。今までバリ3で反応があったのは、べにぢょさんnanaびせいそさんですね。アンテナがキャッチできていなくて漏れている人もいるかもしれませんが、前から言っているんですがこの三人は間違いなく可愛いとわかります。あと、コイツは間違いなく不細工だというのもなんとなくわかりますよ。例えばですね、」
  
 男は子宮で考えるというやつです。
 まぁ、美女アンテナというのはあながち嘘でもないのですが、それだけに頼っているのではなく、文章の書き方や内容や振る舞いから、この人はそれなりにモテていて、モテることに慣れていて、自分に自信があったり、あるいは可愛い人にだけ許される振る舞いをしたりとか、それが童貞の嗅覚でわかったりするのです。
 っま、べにぢょさんの場合は、ドット画像も出ているので可愛いことは誰の眼にも明らかです。
 nanaの場合は、後で写真を貰ったんですが「ちょっとお前これ芸能人みたいじゃん!」というぐらい可愛くて驚いたので、おそらくもう一人もきっと可愛いことは間違いないでしょう。
 しかし、可愛いだろうという予想まではしても、どういうルックスかまでは想像したことはありません。
 いわんや男についてをや。
  
 すると大野さんは言いました。
 「ああ、私も女性のルックスは想像したことはないわ」
 やっぱりそんなもんなんですね。

 脅迫的行為を受けた時の対処法

  
これまでの私の書き込み。
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614#c01
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614#c02
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614#c03
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614#c06
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614#c10
これらの続きです。
  
  
さて
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070615/abuseaction
yuki_19762    わたしもこんなんで警察動くとは思いませんよ。こんな悠長に学級会開いてられるレベルの問題に。皆マルコが口だけだと思ってるから学級会やってんでしょ。マジでビビってなんかいないでしょ誰も。
  
私は思いっきりマジでビビってますけどね。弱みは見せたもの負けですから隠しますが、ビビるから対処するんです。ビビらないなら対処しませんよ。
私の知る限り、ビビっていない人はいないですけどね。「マルコに対してビビリすぎ」と思うかもしれませんが、マルコをよく知らないんだから、ビビるに決まっているわけです。
私なんかはほとんど初対面の段階でハッカーの兄貴が住所割るとか言われて、マルコがどういう人間かわからないわけですから、当然ビビるわけですよ。
とりあえず私は雇い主に対して、頭のオカシイのに絡まれているから職場に対して何かあるかもしれないという相談をし、防御は整えるわけです。こわいよー。
というか、普通に考えて、何の心配の意識をしない者はいないと思いますよ。自分の身に降りかかるならば。万が一のことを考えます。当たり前のことです。
自営業や自由業だって安全ではありませんよ。取引先や依頼主など全くない職業ならば別ですが。
前の件の被害者など自営業でしたが、広告出していた先に広告を取り下げたりしてました。払ったお金はパーです。弁護士費用も含めて数十万円を無駄に使っています。
主婦でも同じです。いくら嫌いな旦那さんでも、収入源には安心して働いてもらわないといけません。ボーナス飛んだら旅行にも行けません。
  
私は既に過去に経験があるから、対処をする方法を、他の人よりは多少は知っているわけです。
ただその一方で、私は既に過去に経験があるからこそ、本当にやる人間がいることも知っているわけです。
逮捕された脅迫的行為をした男のときも、私はそいつが「口だけだと思って」いて「マジでビビってなんかいな」かったわけです。直接に狙われてないから。
ただ、執拗に狙われたあるサイトと掲示板の管理者は、その男の威圧的な脅迫的行為と嫌がらせ行為により、サイトと掲示板を閉鎖しました。そしてその管理者はネットから姿を消しました。
それに怒った人のうち、幾人かは実社会で迷惑をかけるという脅迫的行為を「ネタ」だと思って笑い、少なくない人間が「口だけ」だと思って、囃し立てて煽っていました。
ところが実際には行動に移し、事件は起きて、最終的には逮捕にまで至ったわけです。
そのときの犯人も「捕まるようなことはしてないよ」と言っていたわけですが、逮捕されていましたね。連絡が入ったときには笑いました。
もちろん罪状は「脅迫罪」なんかではないですよ。
  
犯人が行動を起こしたとき「口だけだと思って」いて「マジでビビってなんかいな」かった人たちは、いっせいに一旦ネットから消えました。
一番煽っていた当人は、法務関係の仕事をしていたのですが、最初の事件後、犯人から「次はお前を狙う」と言われて、一週間ほど仕事を休んで、ずっと布団をかぶって震えていたそうです。阿呆かと思いましたが。その一週間、こっちは慌てて手間をかけて金をかけて対策を練っていたのにビビってメールの返信もせず電話も出ずに連絡さえも取れなかったんですから。
しかし実際にはこんなものでしょう。たぶん対処に動ける人間のほうが少ないですよ。ネットから消えていた人たちも、出てきたと思ったら単なるスパムメールに怯えて助けを求めてきたり、私が知っている個人情報を犯人に漏らさないように念を押してきたり、「口だけだと思って」いて「マジでビビってなんかいない」と思っていた人間が一番取り乱していましたけどね。
「自分は脅迫の対象になるはずがない」と何の根拠もなく思い込んでいた人が醜態をさらしたわけです。
自分は大丈夫だと思っている人たちも、脅迫的行為をするのはマルコだけとは限りませんよ。もっとタチの悪い奴だっていますからね。
  
もちろん私だってマルコの脅迫的行為は恐くてマジでビビっているわけですから、当然の如く、自分の身を守る準備はしているわけです。
私なんかは、名前をぐぐったところで、いくつかの自分のウェブログ掲示板の書き込みしか出てこないようにしています。前の事件の遺産のおかげですが。
自分は大丈夫だと思っている人は、ぐぐって確認するぐらいはしたほうが良いですよ。今日は父の日だね。ありがとう お父さん。
たとえば旅行記で宿泊先を書いている人は、泊まった宿に、絶対に名前を漏らさないように確認の電話を入れたりとかしておいたほうが良いですよ。旅行記を削除するとかね。でもせっかく綺麗な思い出や写真、もったいないでしょ。
だから私は、そういうページがなくならないようにも、脅迫的行為をしようとする人間が出にくいように、していきたいと思うわけです。
  
当たり前の話ですが、身を守るための行為も決して楽しいわけがない。
もう三十路も超えていると思って安心していた子供のせいで、古希を迎えるお年寄りに心配をかけなきゃいけなくなるとか、見たくはないわけですよ。不憫でならない。
私も優しいんで、手元にある写真を見ると、同情するわけですよ。可哀想だな、と。
それこそ、また何かあるときのためにさらに保険として親しい人についても情報を準備する必要があるとしたら、所属や名前や生年などがわかっている手っ取り早い人は女性が多いんですよね。自分の身を守るためには仕方がないのですが、個人的には全く好みません。
まぁ、大野さんという女性が狙われていても平気な女性たちならば本当は気にしなくても良いのかも知れませんが、それでもやはり非常に気には病みます。正直、やりたいわけがない。実際に対象となっていると思うだけで非常にストレスフルですよ。当たり前ですけどね。それを知っているから他人にやりたくもない。だからやらないし、やる必要がない状態であって欲しいと願うわけです。
  
当事者ではない人は、やりすぎだという感情的な反発は持つでしょう。私自身、吐き気を催す嫌悪感があるわけです。何しろ今、私自身が同じことをやられていて嫌悪感を持っていることなのですから。嫌なのは私が良く知っている。
  
しかし脅迫的行為をする者が、どういう手段で来るのかわからない以上、守るほうや嫌が応にも過剰な防御を要求されます。
相手が日本刀を持ってるかもしれないのに、こちらがカッターナイフしか装備していないのでは意味がないですから。
でも私の身を守る装備が日本刀であるのを見て、相手がそれに怯えるとしたら相手はピストルを用意するかもしれません。ならばこちらは機関銃。
そんなエスカレーションを起こすぐらいなら、最初からやめませんか?
武器を行使したがる者がいるならば、「それはやめろよ」と未然に防ぐことのほうが、みんなにとって損のないことだと思うのですけどね。
脅迫的行動を取るものに、みんなで「それはやめろよ」と止める行為を、「村八分」だとか「集中攻撃」だとか「尻馬に乗る」とか思いますか?
例えば良く知らないヤクザがいきなりあなたの元に来て「お前の仕事を奪ってやる」と脅し始め、みんなが集団で止めに入ってくれたとき、それを遠巻きにみている人が「村八分」だとか「集中攻撃」だとか「尻馬に乗ってる奴がいる」とか言い出したらどう思うか。
「あの止めてる奴は偉そうでムカツク。お前は止めるほど立派なのかよ。止めない時だってあるだろ。一貫性がないぞ。それなら今から『みんなで止めよう』という規則を作れ」とか言って邪魔してる場合なの?
  
確かに、みんなで止めたってやる奴はやるでしょう。だから最初から止めないし、やった奴とも仲良く遊んでます? 自分がやられたわけでもないから?
自分がやられないのは、やる奴と仲が良いときだけでしょ? 他にやる奴が出てきたとき、武器の軍拡競争を始めるの?
それぐらいならば、武器を行使したがる者を止めさせる外交努力をしたほうが、随分と安上がりだと思うんだけど。
それでもやる奴はいるよ。でも、それは、今ここで起きている脅迫的行為を見逃す理由にはならないでしょ。まずはみんなで外交で止めりゃいいじゃん。それでもやるにしろ止めればいい。
  
私は悠長に学級会を開いているだけではなく、当然ながら今必要な準備は進んでいるし、必要ならばこれからもどんどんと進めるわけですが、それは「マルコが口だけだと思って」いないし「マジでビビって」いるからです。
http://megalodon.jp/?url=http://www.asks.jp/users/marco/&date=20070617015051
>これからはますますやりたいほうだいですよ
なにしろこんな状況ですから。
しかしそれでも、「マジでビビってなんかいないでしょ誰も」と言われてしまう。
でもね「口だけだと思って」いて「マジでビビってなんかいない」と思っていた人間が実際には取り乱すんですよ。みんなで守ってくれるなら救いがありますが、そうでないなら大変ですよ。
  
コストを安く外交で「止める」のか。
手間と金とコネをかけて武器のエスカレーションによる軍事力拡大競争を戦い抜くのか。
数十万円を払って弁護士に相談するのか。
あるいは逮捕されて拘留されて弁護士を雇って詫び状の受け取りを拒否されて、、、、、まぁ、頑張ってください。
  
こちらは、いきなり一方的に宣戦布告された身なんで、正当防衛に必死ですわ。

 山口光市母子殺害事件で「殺す」と言うインテリと「殺せ」と叫ぶ莫迦

  
 山口県光市の事件に関してエロ教師の会メガネ会長が記事を書いているのでコメントしたわけです。
  
 この事件に関しては、私は以前に書いております。
 刑罰は被害者のためでも加害者のためでもない別の都合によるもの
 これは簡単にまとめますと、近代刑法において、刑罰とは被害者のためにやるのではない、ということです。
 しかも刑罰は、犯罪者を更正させるためのものではありません。
 光市母子殺害事件は判例に照らせば死刑は不当である件
 これも簡単にまとめますと、日本の判例主義から考えると、この事件は無期懲役が妥当な判決である、というものです。
 念のために私に異論や批判がある人は、一応それぞれ目を通してからにしてください。
  
 id:teraccaoさんのところに書いたコメントでもそうなのですが、私の書いたものへの批判も同じく、他人の書いた文章をきちんと読み込まないまま、自分の誤読により批判や罵倒を投げかける人間が多い。
 批判しようと思うならば、読めよなぁ、と思ってしまう。
 自分が批判したい言説をあらかじめ想定して、その想定に対して批判しているものだから、全く私は関係ないのに、私に対して批判していることになる。
 例えば、私のエントリについたコメントなどは、本人はおそらく正義のつもりなのだろうが、相手がしてもいない主張に批判と罵倒をして、おそらくは自分は良い事をした善人だと満足して、書き込んだ後に射精をしたものと思われる。書いてスッキリしました、状態だろう。
 しかし、彼が書いているもので、私に向いているものは具体的にひとつもありません。端的に言ってしまえば、独りよがりな莫迦です。
  
 これは、私の書いたものに対して、論理具体的に反論しようと思えば、自らの誤読に気が付いたことでしょう。
 実はこれは私にもあることです。
 私も以前、id:MrJohnnyさんの吹風日記・最近の若者は本当にいたか、とカントは言った、皆が本を書いているを読んで違和感を覚え、反論を書き出したところで、自分の誤読に気が付いたことがあります。まぁ厳密には、誤読とは言い切れないのですが。
 つまり、相手の主張を吟味し、その主張から具体的に推測して反論するならば、あらかじめ想定していた思い込みの誤読はある程度解消されるはずなのに、相手の主張を読み込むことなく、自分が用意した思い込みの誤読に対して批判するから、莫迦をさらすことになるのです。
 確かにこれらの文章は、構造的には莫迦には難しい面があることは否定できません。
 でも、相手の書いた文章から、具体的かつ論理的に反論しようと思えば、まず誤読には気付くはずです。
 気付かないとするならば、それはもう莫迦か、あるいは主張を読まず印象で批判しようとしたか、あるいはその両方かのどれかです。
  
 id:sho_taが、「光市母子殺害事件、差し戻し公判の反応」をまとめてみたというエントリで、以下のように書いている。

視聴者および読者は闘技場の観客で、舞台にいる法曹関係者、被告、原告に向け、「殺せ、さあ殺せ!」と叫んでいる姿を見ているようです。

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20070528#1180341898

 コロッセオでライオンと戦ったのはキリスト教*1とか、凶悪犯ではないものが含まれていて、一概に同一視してよいのかどうかはわからないけど、相手の主張も読み込まずに、非難と罵倒をしてしまう人間を見ると、「殺せ、さあ殺せ!」と叫んでいる、と見る向きが出るのもさもありなん。
 こちらのコメントで「こういう人間が支援しているという印象を受けることが、本村氏にマイナス効果にならないことを切に願うばかりです」と書いたわけですが、「民可使由之。不可使知之」 民はよらしむべし、知らしむべからず、であって、多くの大衆というのは、こういうものなんでしょうね。民主主義万歳だ。
 私は、本村さんは非常にインテリであると書きました。
 インテリが「殺す」と言い、莫迦が「殺せ」と叫んでいる状況です。私は、インテリの発言には興味がありますが、莫迦の絶叫には軽蔑します。*2
  
 私は先ほど「思い込みの誤読をする莫迦」の話をしましたが、もちろん相手の発言から、その発言の意図を想定することはあります。
 例えば、私がテラカオさんのところにしたコメントに対して、ブックマークコメントで「公開処刑とか簡単に口に出せる人々」というものがつきました。
 これはおそらく、何らかの批判であると思われます。
 たぶんこの人は、私やてらかおが「悪い奴は見せしめ的に公開で処刑にしてしまえ」と言っていると誤解しているのでしょう。
  
 そう、読み返せばわかるように、「見せしめ」は誤読なのです。
 まず、teraccaoさんの本エントリの該当部分について。

いわゆる「極刑」が世論や被害者の声をバックに量産されるような状況だけは勘弁して欲しい。まったくの余談だけれど、もし死刑存続を選ぶなら、死刑執行の日の一週間前くらいから「今週、死刑を執行します」というキャンペーンをやるべきだろう。「執行」の実態に関する情報を周知させてこそ、「司法」の部門における民主主義が達成されると思うからだ。

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20070528/1180366777

 これは前提が「司法の民主化」となっています。
 この部分のてらかおさんの意図は、「もし死刑を望むのであれば、国民は国家の成員として、人を国民の手によって殺しているんだ」ということをもっと認識せよ、という主張であると思われます。
 つまり、殺す以上は殺すということをもう少し自覚できたほうがいい、という趣旨であることが推測できます。
 ならば、国民が「主権者としての殺人」を認識するには、その現場を見せるに勝るものはありません。
 よって、私やてらかおさんの主張としては、「司法の民主化」を考えるならば、今週死刑キャンペーン以上に公開処刑のほうがいい、ということになるのであって、少なくとも「見せしめ」的な「公開処刑」による国民娯楽を言っていることでないことは明らかです。
  
 さらに言えば、その直後に私は次のように書いています。

さらに言えば、死刑執行人ではなくて、遺族か、もしくは、裁判員制度のようにランダム呼び出しで、執行するというのが民主主義的じゃない?

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20070528/1180366777#c1180372120

 これも、国民が国家の成員として、しかも主権者として、殺す以上は「死刑執行人」などという非人道的な役職を作って嫌な仕事を任せるのではなく、ランダム呼び出しで執行するほうが、自覚もする上に、民主主義的であるという主張です。
 つまり、完全に「司法の民主化」や「行政の民主化」を前提とした制度論の問題であり、明らかに「見せしめ」という反民主主義的な前近代的な話とは全く別次元の話であることは明白です。
 そして、てらかおさんは直後に賛意を示しているわけで、さらには直接民主主義と間接民主主義の話をしていますから、私の意図も思いっ切り伝わっているようです。
 てらかおさんは、裁判員制度直接民主主義最高裁判所裁判官国民審査が間接民主主義、という下敷きで考えていたと思われます。たぶん。「死刑判決」を出すのも、「死刑執行人」次に「法務大臣」に次ぐ、嫌な仕事ですからね。
  
 私とてらかおさんは、おそらく、主義主張としては真逆であるにもかかわらず、同じ結論に達するのは、これはイデオロギーの部分ではなくて、前提が決まった上でのロジックの部分であるからだ。
 つまり、この前提があるとするならば、論理的に考えれば結論としてこうなる、という話をしているに過ぎないからだ。
 逆に言えば、莫迦でなければ、同じ結論に達する、という言い方もできるかもしれない。帰結ですね。
  
 あと、インテリのてらかおさん宛だけど、民主化を進めるならば、「行政の民主化」として、せめてもの間接民主主義として、幹部官僚国民審査制度は必要じゃない?
 裁判員制度が導入されれば、司法よりも行政のほうが民主主義的統制が及ばない状態になるよね。いくら議員内閣制と言えども。
 そして「国防の民主化」の国民皆兵に行き着くわけだ。 

*1:国禁だった

*2:「殺せ」という人間の全て莫迦という意味ではないですよ