「言わされてる感」と忌み言葉

  
 「言わされてる感」という言葉は誰が言い出したのか知らないが、非常に上手く適格に概念を切り取り、名付けていると思う。
 素晴らしいネーミングが生まれるからその概念が使われるようになるのか、概念が存在することからの要請として名付けられるのか。なんとなく後者の方が多そうだ。
  
 私の婆さんの誕生日に、私の甥っ子たち五人が似顔絵とメッセージをかいて持ってきました。
 小学生の落書きのような下手糞な絵に、これまたガキがやっつけで書いたようなメッセージが書いてありました。
 実際に小学生と幼稚園児なので絵も字も汚いけれど、婆さんはボケちまっていて、メッセージなどは読めもしないだろうし、書いて持ってきたという行為の儀式性にのみながら、充分に意味があります。
 で、そのメッセージには「おたんじょうびおめでとう」の後に、それぞれ「いつまでも元気でいてね」 「これからも元気でいてね」 「いつもあかるく元気でいてね」 「いつまでも元気でね」と書かれていました。そして一人だけ「死なないで」と書いてありました。
 要介護の最高段階にある婆さんを相手に「元気でね」も糞もないもんだが、今まさに死にかけているわけでもない相手に「死なないで」というのも凄い。私の親は「いつまでも生きられても困る」と言っていましたが。
  
 「どれがいい?」と、私は親に訊いたわけですが、親は「誕生日に『死なないで』と『死』を口にされるのも」という言挙げ的な留保を示しながらも、「でも『死なないで』かなぁ」と言っていました。
 そう、そうなんですよ。私も「死なないで」が良いと思うわけです。
 他の四人を見たら、まるで判を押したような、テンプレをそのままコピペしました、みたいな。面白味も何もない。「明るく元気で」なんて、学校で最も興味のないクラスメイトに対して義理で贈る言葉を丸出しですわ。
 「いつまでも元気でいてね」なんて、何かの式典の際に先生指揮のもと、声を合わせて大声で言わされている感じです。
 それに比べて「死なないでね」という言葉は、その人が死んでしまったことを想起して、それから「その状況が嫌だ」という感情からで言われている感じがする。もちろん年寄りの誕生日に、死を想起すること自体が不謹慎ではある。でも私はなんか、在り来たりの「言わされてる感」よりも、感心してしまった。
 大人がやったら計算づくと思われるのかな。