「彼女が欲しいオーラ」

  
 ちょっと考えさせられる話だった。
 いや、厳密に言えば、考える前に脊髄反射で反論してしまったのだが、考えてみると引っかかる。
  
 「森下って『彼女欲しいオーラ』が出てないんだよね」
 「俺だって出てないだろ。彼女なんか欲しくないし」
 「いや、瀧澤は出てるよ。森下は出てないんだよ」
 「俺はあれだ、愛のリビドーだ」
 「意味はわからんが、お前は出てるんだけど、森下には感じられない」
  
 その榊原が言うには、森下には「彼女が欲しいです」というオーラが見えないという。しかし私だって彼女なんて欲しいなどという気持ちはさらさらなく、私からそんなものが先走って出ていては困る。
 しかし、私からは出ているらしい。たしかに、出てるかも。先走ってるかも。
 あれは私が十八歳のとき、極力女性と関わらないようにしていた時代だ。
 私は、バンドの関係でキーボードの女の子と練習スタジオにいた。二人きりではなく、そのキーボードの子と仲の良い、わりと顔立ちの整った友達(♀)と三人でいた。私にとって苦痛でないわけではないのだが、基本的には演奏に合わせて歌っていればいいのだから楽なものだ。
 その顔立ちの整った女の子も、キーボードの子のピアノに合わせて一曲歌った。これがなかなか上手い。つーか、無茶苦茶上手い。
 「すごい上手いぢゃん! バンドやったらいいのに」
 楽器が一切弾けないために何の権限もないインチキバンドのインチキヴォーカルは、本当に入られたら自分の存在意義を一気に失いかねないことを言って絶賛し、キーボードの子の演奏でデュエットしたりした。もちろん銀座の恋の物語だ。
 三時間ぐらい練習して「すごい上手かった。楽しかったから、よかったらまたやろうよ」と声をかけて、それぞれ帰った。
 その数日後、キーボードの子からこんな伝言が届いた。
 「あのね、真由ちゃんなんだけどね、彼氏いるから、ごめんなさい、って言ってたよ」
 「なにが?」
  
 なんという間抜けな会話だろうか。
 キーボードの子にとって見ても、どう見ても私が真由ちゃんにアタックしていたように見えたらしい。口説いていたように見えたらしい。必死に見えたらしい。
 ウルトラマン顔ではあったが、確かに、顔立ちが整っていたから「綺麗だよね」とも言っていたし、歌なんかは本当に上手かったから始終ずっと褒めまくっていた。
 だがちょっと待ってくれよ、真由ちゃん。何で告白する気もない相手からフラレなきゃならんのだ?
 これはきっと、私の「愛のリビドー」が出まくっていたのだろう。別に好意はあっても、それは恋愛感情とは違ったのだが、ちょっと先走って出ちゃっていたようだ。お漏らししちゃっていたわけだ。
 しかし、こんな垂れ流しも問題なのだが、その「彼女欲しいオーラ」が出ていないというのも、問題であるらしい。
  
 私はこの「彼女が欲しい」というフレーズに反発してしまったのだが、これが先の好意を集めるというのの反対であるとするならば、話が見えてくる。
 非モテであるのは、好意を集めることに無頓着であることだ、と。
  
 誰だって、他者からの好意を頂戴したいかと問うならば! 問うならば! 是非とも頂戴したいですよねー?
 これはもう、お金を欲しいですか? に近い質問といえる。貰えるなら欲しいですよ、と。
 ところが、これ、他者からの好意の場合は、実は厄介な問題がある。維持をするのが大変なんですわ。
  
 ジョルジュ・サン・ピエールとマット・セラの試合の最中に遊びに誘われたって迷惑なだけであるのだし、こっちが関係を維持したいと思う相手以外は、好意なんてなくてよくね? と思うわけだ。
 無償で受けるのならば吝かではないのだが、受けたあとに維持するのはご遠慮願いたい。面倒だからです。
 「自分の時間を邪魔される面倒臭さ」と「他者から得られる好意」のコストを天秤にかけるわけです。
  
 しかしね、こんなのね、自分が望む交流だけ選んで維持できるなんて、余程の絶対強者しか無理なんですわ。
 ある程度の敷衍的な「好意を集める」スタンスでいないと、自分が望む「交流」も得られやしないんですよ。
 童貞は莫迦なので、その惚れた女性にだけ真摯に口説けば何とかなるんじゃないか、なんていう甘い観測を立てていますが、それは大きな誤りなんですよ。
 惚れた相手にだけ丁寧に接して、自分がどうでもいいと思った女性には、本当にどうでもいいという対応を取ってて、上手くいくわけがない。
 普段からある程度はまんべんなく「好意」を集めておかないと、圧倒的に後方からスタートさせられるんですわ。せっかくゴールを定めたってね。
  
 惚れちゃう女ができそうなら、普段から面倒でも好意は集めないと、こりゃどうにもならんよ。
 ただ、それは面倒臭い。正直、やってられんよ。
 だから、これは、好意を集めることはしないが、惚れちゃったって意地でも夢なんか見ないぜ、とぐらいのコスト計算とリスク計算をしておかないと。後で慌てても遅いんだ。
  
 自分は好意を集めるコストは払いたくないし、それを維持することでの不利益も受けたくないというのであれば、好意を受けたい相手から受けられないのはデフォルトぐらいの気持ちを持つべき。
 そういう認識でやっているならば、それはそれで立派な見識であり、その判断は尊重されるべきだろうと思う。
 「恋愛って楽しいよ」なんていうふざけた誘い水なんてぶっ飛ばして、尊重されるべきだろう。
 それなら麻薬だってきっと楽しいわ。